双葉食堂 豊田英子さん
双葉食堂も、駅通りともう1本の道を挟んだフルハウスの向かいにあるご近所さんだ。昔ながらの鶏ガラでだしをとった、懐かしいしょうゆ味のラーメン。辛味の利いたもやしラーメン。そして、うどんと肉うどん。メニューもシンプルに4種類。夏は限定で冷し中華が加わる。この味を求めて遠くからお店を訪れるお客さんも多い。営業時間は午前11時から午後2時まで(木曜日定休)。お昼時には行列ができ、売り切れてしまうことも。小高駅周辺にはここ以外に食堂はなく、小高の食を支える貴重な場所になっている。
「創業時は、焼きそば、ざるそば、タンメン、みそラーメン、たまごうどんやいなりうどんなど、いろいろやっていました。震災後は、従業員が散り散りになり、食材も手に入らなくなったので、メニューを少なくしました。お店で使う食材は原町から配達してもらっています。鶏ガラはブロイラー会社の人が、伊達の方から仕入れてきてくれて、配達してくれます」
震災後、豊田さんは避難生活を送りながら、2011年10月に鹿島区の仮設商店街の仮設店舗で営業を再開する。そして避難指示解除後、この地に帰還した豊田さんは2016年5月26日に双葉食堂を再開する。
「鹿島の仮設でやっていましたが、家に戻れる状態になったことを知り、やっぱり何もしないではいられなくて、私にできることはラーメン作りしかないと思い、この地で双葉食堂を再開することにしました。小高ワーカーズベースの和田智行さんが、小高駅前に事務所を立ち上げて、小高で商売ができるという旗振りをしてくださったことも大きかったです。皆さんの後押しがあって何とか始めることができました。双葉食堂は、義理の母が昭和26年に創業したんです。主人が亡くなり、義母も施設に入ったので、1人でぼやっとしていられないし、家族で生業としてきたお店でもあるし、守っていかなければという思いが強かったです。
味は昔からほとんど変わりません。鶏ガラでだしをとった、あっさり味の昔ながらの中華そばです。少し濃い目の味付けの義母に比べると、私は甘めかもしれません。店主の好みで微妙に味は変わっているかもしれませんね。味を濃くとか、あっさりとか、しょっぱくとか、油っこくとか、お客さんによって好みは異なるので、お客さんの感想を従業員がメモしてくれて、味付けの参考にしています」
仮設商店街の仮店舗には、昔からの馴染み客を始めとして、多くのお客さんが訪れた。小高で営業を再開した後も、お昼時はたくさんのお客さんが押し寄せる。地元だけでなく、遠くから車に乗ってお店を訪れる人も多いとのこと。
「ネットの力が大きくて、小高について調べて、うちを見つけて来てくださるお客さんもいます。双葉食堂の記事が掲載された新聞をもって来られる方もいます。2年ぐらい前の新聞の切り抜きを持ってきてくれて、ここにサインしてくださいと頼まれたこともあります(笑)」
ラーメンは、安く、おいしく、お腹いっぱいになる、誰もが好きな大衆食である。ラーメンは生活の基本であり、日常にもっとも密着した食べ物と言える。
「ほとんどのお客さんがラーメンを注文されます。でも私が嫁に来た頃には、うどんの方が多かった。今は若い人から年配の方までラーメンの注文が多いですね。昔は学校とか会社への出前が主でした。うちの主人が元気な頃は、小高工業高等学校(現、小高産業技術高等学校)の先生方のお昼を出前したりしていました。今は出前はしませんが、近所のお年寄りには持っていくようにしています。車で来て出前箱を使ってテイクアウトする人もいます。作業員の方とか、現場で召し上がっているようです」
食を通して、この場所で日常を取り戻していく。そんな印象を受ける。お客さんは、様々な思いを携えてこのお店にやって来る。
「私らが避難したのは新潟の三条市なんですけれど、そこで出会った方が朝出てきて食べに来てくれたり、横須賀や埼玉からもいらっしゃいます。今年のお盆は休まず営業しました。わが家に帰ってきたみたいだと、皆さん喜んでくださいました。どこにも寄る所がないし、知っている人も喋る人もいないけれど、ここに来れば誰か知り合いとお喋りができますしね」
豊田さんも双葉旅館の小林さんと同じく60代。双葉食堂の味を継承していくことが自分の義務とおっしゃっている。まだまだ現役だが、後継者についてはどのような考えをお持ちなのだろうか。
「娘が嫁いでしまったので、私の代で終りです。義母も主人も、娘がやらないというならば、娘には娘の将来があるからいいだろうと言ってくれていたから、私も無理強いはしません。震災でお世話になった方が、週末に東京からどんぶり洗いの修業に来てくださっています。娘は継がずに東京の人が継ぐことになりそうです」
この場所でお店を営み、毎日たくさんのお客さんと接しておられる豊田さん。豊田さんが考える、今の小高にいちばん必要なものとは何なのだろうか。
「とにかく若い人たちに定住してもらいたいですね。町には活気が必要です。私らは自分の生活を守るのに精いっぱいだから、若い人に若い発想でいろいろ試みてほしいと思います。すでに何人か移住されています。それだけでも違います。小高の良いところは、外からやって来た人でも、すぐお隣さんみたいな感じになって親しくなる所です。昔から大歓迎なんです。小さい町だから、まとまりがあるんですね」
そんな豊田さんは、この地に文化の種を蒔こうとしている柳さんの活動をどのように見ておられるのだろうか。
「誇らしいですね。フルハウスは道を挟んでうちの向かいにありますからね。田舎には田舎の考えがあるでしょうけれど、柳さんのような都会的なセンスをもった人と協力し合って、いろいろできればと思います。イベントをやれば人が集まってきますから、交流の輪も拡がっていくでしょう。うちによく食べに来てくれるお客さんが柳さんと親しくなって、いろいろな情報を私たちに教えてくれるんですよ。今度劇場ができるから協力してくださいという話だったので、私らも協力したいと思っています」
フルハウスや劇場を訪問した人たちが、双葉食堂で食事をする。そうした場所と場所との連関が、この町を活性化することは言うまでもない。
「昔は駅通りに皮膚科医院がありました。相馬の方から皮膚科を受診に来て、双葉食堂でラーメンを食べて、菓詩工房わたなべでケーキを買って帰ったお客さんがいました。そういうコースがあれば、また違いますよね。1つひとつのお店から広がっていくから、柳さんの本屋さんや劇場も、そういうコースの1つになればいいですね。
もう少しがんばってみようと思います。鹿島に避難している間は、小高がどうなっているのか知らなかったんですけれど、和田さんたちががんばってくれて、今では3千人くらいの住民が戻ってきました。私は小高が好きです。人の多い場所は合わないみたいで、この町の静かな所が性に合っています。周りの人はほとんど帰ってきているんですよ。昔のようなコミュニケーションが徐々に戻ってきています。復興の可能性はあると思っています」
文・榎本正樹
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文学と映画を愛する市井の文化人
──谷地魚店 谷地茂一さん
小高の復興に尽力する新世代
──小高ワーカーズベース 和田智行さん
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