iida_top

世界の「ローカル」を遍歴した写真家の導かれた桃源郷/飯田裕子さん

千葉・南房総

2地域居住, 移住定住促進

『南総里見八犬伝』の舞台でもあり、房総開拓神話の首長「天富命(あめのとみのみこと)」が指揮をとった山と伝えられる富山(とみさん)を背に、海に広がるコンパクトにまとまった地域が千葉県南房総市富山地区の旧岩井町。1999年からこの土地をベースに活動しているのが写真家の飯田裕子さんです。今回は、飯田さんが南房総やハーブと出会ったいきさつや、「ローカル」そして多拠点生活についてお聞きしました。

江戸の妙薬「枇杷葉湯(びわようとう)」を現代に復活

  南房総といえば枇杷(びわ)の栽培が盛んな地域ですが、ここ数年飯田さんが取り組んでいるのが枇杷の「実」ではなく「葉」を利用した商品のプロデュース。

“ある日、友人が作っている『和暦日々是好日』という旧暦手帳を眺めていると、6月のコラムが目に留まりました。「枇杷葉湯(びわようとう)」という枇杷の葉の煎じ汁が暑気あたりや清涼剤として昔広く飲まれていたとのこと。興味をもって調べてみると、江戸時代には町の至る所に枇杷葉湯売りがいて、口上をしながら行商をおこなっていたようです。和歌や俳句にも季語として「枇杷葉湯」が登場し、よほど身近な飲み物であったことが推測できますが、江戸時代の終焉から開国、戦争、そして高度経済成長期という間に、残念ながらこの文化は忘れ去られてしまったのでした。”

南房総千倉出身のイラストレーター山口マオさんが表紙のイラストを手掛けている

南房総千倉出身のイラストレーター山口マオ
さんが表紙のイラストを手掛けている

“古来枇杷の葉は薬効があると重宝されており、枇杷の葉を利用した療法などがありますが、「枇杷葉湯」の歴史的背景に魅力を感じました。そこで2年前まずは自分で商品を作ってみたんです。手作りで規模は小さいですが、富浦や館山の道の駅で取り扱っていただいています。夏の暑気払い飲料なので、夏開催の東京オリンピックでも、「江戸の知恵飲料」を飲んでいただけたらいいですね!”

ハーブの癒しと南房総への案内状

  それではなぜ、写真家の飯田さんが「枇杷葉湯」をプロデュースすることになったのでしょうか。このことには、飯田さんと南房総を引き合わせる人生の転換期が深く関わっています。

“30代、身体を酷使していたためか体調を崩した時期があり、再生する時に助けられたのがハーブでした。友人が見舞いに贈ってくれ、すぐに身体の変化を実感し驚きました。徐々に回復し「東京を離れよう」と心に決めたその時、実家に物件情報が載った一通のFAXが届きました。実はその物件が今住んでいる岩井のマンションなんです。”

富山(とみさん)から岩井海岸までが一望できる飯田さんが住むマンション

富山(とみさん)から岩井海岸までが一望できる飯田さんが住むマンション

“南東を向いた角部屋で、部屋から山、田畑、海を一望できる眺望に母が一番盛り上がっていましたね(笑)。AWA(安房)やIWAI(岩井)という土地の音も当時よく通っていたクック諸島の言葉にあったり、マンションの高層階だとカメラやフイルムの湿気問題もないですし、ロケの長旅から戻りリゾートマンション内には温泉もあるのでチャージできます。また房総ではクリエイティブな活動をしている人たちとも友人となり、もちろん地元の農家さん、漁師さんとも交流できて、このスタイルが気に入り今年で18年が経ちました。”

イギリスの衝撃からハーバルセラピストへ

  南房総へ拠点を構えてからは再びカメラマンとしての仕事に復帰した飯田さんでしたが、南房総での交友関係が広がる中、ハーブとの縁が進展していきました。

“鴨川で活動していたハーバリストの園藤祐子さんとの出会いから2012年にイギリスのハーブ視察旅に行きました。そこでメディカルハーバリストのリエコ・大島・バークレー女史と出会い、意気投合し『ハーブの薬箱』という本の企画、撮影、出版を実現しました。この撮影期間にメディカルハーブの奥深さに触れ、真剣に勉強しようと決心し、日本メディカルハーブ協会のハーバルセラピストの資格をとりました。”

『ハーブの薬箱』の出版記念に来日したリエコ・大島・バークレーさん(写真前)とともに

『ハーブの薬箱』の出版記念に来日したリエコ
・大島・バークレーさん(写真前)とともに

“現在はGarden Studio JPという名前で、ハーブの普及活動を行っています。房総のハーブ(薬草)といえば、枇杷の葉があることに気づき、今回商品化した「枇杷葉湯」もメディカルハーブという視点から複数のハーブとともに調合しています。昨年からは両親の遠距離介護にもハーブを導入し、その体験をもとに「介護にハーブを!」という記事のWEB連載も始まりました。”

Garden Studio JPとしてオリジナルのメディカルハーブティの他にもバームやチンキも調合する飯田さん

Garden Studio JPとしてオリジナルのメディカルハーブティの他にもバームやチンキも調合する飯田さん

細胞に沁み込んだ恩師の言葉と海との始まり

  こうして現在、南房総をベースに写真と文章による表現や、ハーブや枇杷葉の商品開発まで幅広く活動する飯田さんですが、この人生を根底で支えてきたのは恩師の三木淳氏の存在でした。三木淳氏(1919~1992)は、アメリカの雑誌『LIFE』の表紙を飾った葉巻をくわえた吉田茂元首相の写真作者として知られ、日本写真家協会会長、日本写真作家協会会長を務めた国際的なフォトジャーナリスト。

2017年に開催した写真展「AWA SCAPE 安房ノ國 情景 アワノクニ ジョウケイ」で展示した作品の一つ

2017年に開催した写真展「AWA SCAPE 安房ノ國 情景 アワノクニ ジョウケイ」で展示した作品の一つ

“先生の授業では、ロバート・キャパなどと同時代に『LIFE』で仕事をした現場の命がけの体験談やプロとしての心構え、生きる上での哲学など、学生の私には目からウロコのお話ばかりでした。ゼミでは房総で撮影した海の写真を褒めてもらったことを今でも思い出します。卒業直後に個展「海からの便り」を新宿のニコンサロンで開催、日本写真家協会展で銅賞を受賞、カメラマンへの道が開けました。そして、30年の時を経て、今年の4月には「海からの便りII」がニコンプラザ銀座のショールーム内で展示されます。被写体はもちろん、地元南房総の海です。”

心の故郷を求め「ローカル」を渡り歩く

  20代半ばにシルクロードの撮影の仕事をしたことがきっかけで飯田さんは、恩師の教えを胸に南太平洋のフィジーやタヒチなどの島々やアメリカのインディアン、中国の未開放地区の少数民族など、多種多様な文化が残る辺境地域へ積極的に訪れるようになりました。

“東京で生まれで新興住宅地育ちだった私には、土着的な体験をしたことがありませんでした。遠い世界各地の村で、自然と共生する人々から無償の親切を受けて、何とも表現しがたい幸福感が湧き起こったことを覚えています。そしてこれはどこかDNAレベルでの「郷愁」なのではないかと考えるようになったのです。その答えを求めて、20代から30代は、仕事でもプライベートでも世界各地の「ローカル」を旅していました。”

子羊と遊ぶモンゴルの子ども達 写真:飯田裕子

子羊と遊ぶモンゴルの子ども達
写真:飯田裕子

“「ローカル」というと広い意味がありますが、私にとっては自分が何に帰属しているかという意識に関わっていました。今でこそローカルが注目されている背景の一つには、グローバル化が進んで故郷を失った都市住民たちが魂で故郷を求めているのではないかとも思います。振り返ってみると、幼少期に南房総に遊びに来ていたり、学生時代もサーフィンや撮影で南房総の海へ通っていました。成長期に刻まれた故郷の感覚があるからこそ、落ち着くのかもしれませんね。岩井は私の桃源郷なんです。”

ポリネシアの人々 写真:飯田裕子

ポリネシアの人々 写真:飯田裕子

マンションは多拠点暮らしにオススメ

  南房総市旧岩井町の他にも、ロケ先の国内外の地域と、数々の拠点を行き来しながら生活する飯田さんに、多拠点生活について最後にお話を伺いました。

“地方と都市との2地域居住や、多拠点生活を考えた場合、マンションはお薦めです。物件コストも都内に比べれば割安ですし、家を空ける場合も管理人さんもいるので安心です。多拠点暮らしは、各地に「おかえりなさい」と待っていてくれる人がいることはとても嬉しいですし、また、私の仕事柄、都市では知り得ないローカルスタンダードを知ることができ、取材の仕事にも反映することができたと思います。”

群馬県利根郡川場村にある田園の風景 飯田さんは20年以上川場村の写真を撮り続けている

群馬県利根郡川場村にある田園の風景 飯田さんは20年以上川場村の写真を撮り続けている

  世界中の村を旅して本質的な意味での「故郷」をテーマに写真を撮り続け、病の克服とともに自分の「故郷」と出会い、写真とハーブで人々に癒しを提供し続ける飯田さん。住まいを1つに限定しないことで、常にフレッシュに、場を客観的に見つめられる利点も多拠点生活にはあるそうです。これからも南房総の「癒しの場」としての役割を高め、心の拠り所となる「ローカル」を撮り続けてほしいと思います。

(文:東 洋平)

ニコンプラザ銀座 フォトプロムナード
飯田裕子写真展「海からの便りII」
展示期間:4月1日(土)~4月28日(金)※最終日は15:00まで