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“うしのしっぽ”の魅力
~自然とのふれあいから、子どもたちの「土台」をつくる子ども園~

島根・津和野

地域協働, 子育て支援, 森の幼稚園, 移住定住促進

うしのしっぽって?

地域おこし協力隊として、大学を休学しやって来た島根県津和野町。私はここで、とても魅力的な教育現場に出会った。「山の子ども園 うしのしっぽ」である。まだ小学校に上がっていない子どもに計算問題をどんどん解かせたり、英単語を覚えさせたりと、学力的な「教育」を始める年齢が未就学児にまで下がったが、「教育」=学力をつけることだけではない、学力をつけることと同様に大切な、人間的な「教育」からつく力があることを再認識させてくれる、そんな教育現場だ。

雪を鍋に入れたら…わあ~!お湯になった!

雪を鍋に入れたら…わあ~!お湯になった!

  うしのしっぽでは、津和野町左鐙(さぶみ)地区の豊かな自然とともに、子どもたちがすくすくと育っている。現在定員いっぱいの12名の未就学児が通っており、もうじき3名の年長さんが卒園を迎える。保護者からの希望により、2016年度から預かり年齢を満1歳からとし、状況を見ながら定員も19名までの増員を検討中だという。地元出身の子どもだけでなく、県外からのIターン者の子どもも多い。うしのしっぽの教育的魅力は、確実に広がりを見せている。
  では、人間的な「教育」からつく力とはどういったものなのか。うしのしっぽの教育的魅力とは何か。2015年夏頃から約半年間、うしのしっぽにてお手伝いをさせてもらった私の経験を振り返り、まとめてみようと思う。

子どもたちがつくる日常

  園の中や園庭で決められたお遊戯をしたり、絵を描いたりするのではなく、うしのしっぽの子どもたちは山の上で自分の思うままに遊ぶ。年齢によって行うことを分けず、小さい子から年長さんまで一緒に遊んでいる。朝、登園すると皆で山に上がり、おはようのあいさつをしたら、年上の子たちが話し合い、今日はどのエリアで遊ぶかを決める。もちろん意見が合わずにケンカしたり、すぐには決まらずぐだぐだしたり、大人から見れば「要らない」「もったいない」と感じる時間もあるだろう。そこを必要のない時間だ、大人で決めてしまった方が効率が良い、と考えず、自分たちのことは自分たちで考え解決してもらい、大人は出来るだけ介入しないというのがこの園のスタイルである。
  ある日、いつものように遊んでいる子どもたちの輪の中から、突然うわーん、と泣き声が。「○○がぶったあ~!」「そっちが先にやってきたんよ」と、言い合いが始まった。こんな時も大人たちはまず、子どもたちのけんかに介入せず見守る。すると、けんかに気付き寄ってきた子が「どうしたん?」と2人の事情を探り始めた。ただただ泣く子には「泣いてたら分からんよ。ちゃんと言わにゃ」と言い、事情が分かってくると「○○のほうがわるい。謝りんさい」と、まるで大人がするかのように仲裁をして、2人を仲直りさせていた。

自分で収穫した山の恵みと一緒にニッコリ。

自分で収穫した山の恵みと一緒にニッコリ。

  大人は、「これはやってあげなくちゃ」「きっとできないし、時間がかかるだろうからやってしまおう」と、時には子どもの可能性を奪ってしまうことがある。私自身、子どもと接する中で「きっとできないよね」と思い、ついつい手を差し伸べてしまうこともある。しかし、子どもたちは、大人が考えるよりも自分たちで出来ることが多い。山の急斜面を、垂れているロープを使って自力で登る。何回転んでも、泣かずにしっかり立ち上がる。山の中で何が食べられるもので、何がだめなのかを選り分ける。年下の子たちは、年上の子と一緒に山で遊び、日々学ぶ中で、自然と人間関係や山のことを知る。大人は本当に助けが必要な時に助けてくれて、子どもたちが安心して自由に遊べるよう、近くで見守ってくれるだけで十分。うしのしっぽの子どもたちは、自分たちで自分たちの日常をつくっていく力があるのだ。

子どもの力を引き出すという魅力

  うしのしっぽの魅力、それは、子どものありのままを発揮できる教育を行っているということではないだろうか。自分のしたいことだけを好きなだけするということではなく、自分の持つポテンシャルやその時持てる力を存分に発揮できる環境があり、周りの大人がそれをしっかりと見守り、サポートしてくれるということだ。何でもかんでも大人が管理し用意したものの中で、大人の考えたスキーム通り、思惑通りに事をこなすのでは、子どもたちのありのままは引き出せない。うしのしっぽには、大人の考えを押し付けられることなく、子どもたちがしっかりと自分を発揮できる環境があるのだ。

大きな刃物を使って木を切る。自分で出来ることの幅は広い。

大きな刃物を使って木を切る。自分で出来ることの幅は広い。

  辞書では、「教育とは、人の心身両面にわたって、またある技能について、その才能を伸ばすために教えること」とある。また、「教えるとは、知識や技能を身に付けるように導く。また自分の知っていることを告げ示す」とある。子どもの能力として、目に見えて数字としてとらえやすい学力などの「技能」について、大人の知っていることを告げ示し教えるという教育方法もある。その反面、子どもたちの「心身」に訴えかけるような体験を通し、ひとりの人間としての意思を発揮する「技能」について、大人が介入し告げ示すのではなく、子どもたちの貴重な体験の数々を見守ることで導くという教育もあるのだ。どちらが良い悪いではなく、様々な体験を重ね意思を発揮することが学力的な技能の土台となりうるということを、後者の教育について長けているうしのしっぽでの経験から学んだ。

(文 : 三田 エリカ)