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本物の琉球畳「くにさき七島藺表」の再生に向けて

大分・国東半島

伝承技術, 伝統産業活性化, 地域協働, 就農

  九州の北東部に瘤のように突き出た所が、日本秘境百選にも選ばれた国東半島である。
両子山の噴火によって出来た半島であり、急峻で火山性土壌のため保水力も無く、人が暮らすには過酷な地域であった。このような地域のためか奈良から、平安まで「六郷満山」と言われる神仏習合が花開いた。

  秘境と言われるこの地に江戸初期より花開いた産業が、琉球から伝わってきたと言われる七島藺栽培であった。藁やカヤのムシロに比べ肌触りや香りが良く、多くの庶民に愛された敷物だった。農民にとって過酷な農作業ではあったが換金作物としてかけがえのない作物であった。昭和32年には550万枚もの生産高を上げたものの、時代の流れと共に減少し、平成20年には生産者5戸まで減少していった。産地消滅も目前の平成21年、県内畳店の私とUターンで実家の七島藺栽培を継いだ松原、七島藺と椎茸のお陰で東大に進学し助教授まで勤めた後に帰郷した林らで、「くにさき七島藺振興会」を立ち上げた。誰の目から見ても復活は絶望的と思われながら、無手勝流の戦略が功を奏し、平成28年現在、生産者10名、新規参入やUターンなどで平均年齢も大幅に下がり再生へと向かっている。

昭和30年頃の問屋前の活況

昭和30年頃の問屋前の活況

  戦略と言えば聞こえが良いが、事業化するには人、物、金は必須だ。当然何も無い状況で取った手段は補助金の確保。農業とは無縁の厚労省の「ふるさと雇用再生事業」として奇跡的に採択。人を雇って産地の延命療法を取りながら、この期間に後継者が出なければ産地消滅は免れぬ。次に考えたのが「メディア戦略」。七島藺の可能性を多くの人達に知ってもらい新規就農を目論んだ。しかし、金は無い。そんな時知り合ったのは、地元新聞の記者。私達の活動に共感してくれ、記事になるようなイベントや活動、何よりも七島藺に関わる人をテーマとして記事にしてくれた。地元新聞から、テレビ、雑誌と広がっていった。

取材依頼でPR

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  そんな中、一人の女性が訪ねてきた。ヨガの講師でヨガマットに使いたいと言ってきたが彼女が望んだ七島藺のマットはもはや作り手は居なかった。彼女は自分で作る事を決意し、唯一作れる九十才のおばあちゃんに弟子入りし七島藺工芸を復活、現在多くの仲間と一緒に活動している。七島藺工芸の商品の中でも円座は「ふるさと納税」の商品として引っ張りだこである。新聞で「くにさき七島藺振興会」の発足を知った若い夫婦が後継者に手を上げ、高齢者ばかりで消滅寸前の七島藺産地に活気が生まれた。工芸教室に通っていたシングルマザーはみんなに反対されながらも工芸士として独立の道を選択、現在、工芸教室やイベント、作品作りと引っ張りだこの毎日を送っており、前職はメディア関係の仕事をしていた関係で、知人も多く広報宣伝は誰にも負けない。一昨年は50才の男性が親の介護もあるので早期退職をして就農したいと言ってきた。彼には現在、前職の大学職員のスキルを生かして就農の傍ら、振興会補助金の煩雑な事務や行政との連絡調整全般をお願いしている。先にも書いたが、会長は東大の農学部助教授なので講演などの学術関係はパーフェクト。大分県庁とも太いパイプがあるので心強い。「くにさき七島藺振興会」はさしずめ、「梁山泊」のようにスキル高く、志のある者達の集合場所となっている。昨年から準備をしていた、農林水産省の進めている模造品との区別がしやすくなる「地理的表示制度」いわゆる「GIマーク」取得に向けての準備も大詰め、くにさき七島藺表に、富士の上の真っ赤な太陽のマークが表示される時が来るのを願っている。6年前は七島藺と言っても国東地域外では忘れ去られていたが、今では大分の特産品として多くの人達に知られるようになってきた。

工芸士育成事業

工芸士育成事業

  お陰様で、くにさき七島藺表は断るほどの受注がある、と言っても先方の納期に間に合わせる事が出来ないからだ。良くて一月、長いときは半年にもなる、一人で一日一枚から良くて二枚しか出来ないからだ。ここでは昔学校で学んだ家内制手工業がまだ、生きている。

昔ながらの手織り織機

昔ながらの手織り織機

  この仕組みを転換し、設備の共有や仕事の分業化を進めながら、生産者のつながりを図る事でコストアップせずに、生産性を高め、また負担を減らす事が出来る。簡単に言えば機器を共有し、お互い助け合う事で無理の無い仕事をしようという事だ。国東でしか出来ない田舎ビジネスを確立する事で経済的に自立できる地域を作れれば、地元で働きたい若者や、Uターン、Iターン希望者を受け入れる事ができる。疲弊する一方の過疎の村が、忘れ去られた七島藺という埋もれた宝によって、豊かな自然の中で穏やかで豊かな暮らしが出来るようになると信じている。まだまだ道程は遠いが少しずつでも前進していこうと思う。

(文:くにさき七島藺振興会 事務局長 細田 利彦)