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全国の大槌ファンに届けたい。岩手県より大槌食べる通信創刊、編集長吉野和也の想い

岩手・大槌

産消提携, 農林水産業マーケティング, 震災復興推進

編集長、吉野和也さん。かつての避難所で一時期過ごした大槌町中央公民館の前で

編集長、吉野和也さん。かつての避難所で一時期過ごした大槌町中央公民館の前で

10月21日に創刊される岩手県「大槌食べる通信」(http://taberu.me/otsuchi/)

地元の食材と情報誌がセットで届けられる「食べる通信」のシステムは、東北から始まって今では全国の34の地域で発行されている。

「大槌食べる通信」編集長の吉野和也さんは、震災を機にボランティアとして大槌にやってきて、この地に根付き様々な活動をしてきた。吉野さんに創刊にかける想いやその先の未来への話を伺った。

東日本大震災後の2011年4月、東京在住のサラリーマンだった吉野さんは陸前高田にボランティアに行った際、津波で家族が亡くなった人達が必死で助け合っている姿に心打たれた。被災した、と言っても一人一人状況は違う。それぞれの悲しみに出会う中、その人の悲しみはきっと解らないけど、ただそばにいることならできる。一緒に笑ったり、何か手伝ったり。それがしたいと思いすぐに東京の会社を退社、協力者の支援のもと赴いたのが大槌町だった。大槌町のことを全く知らないまま移住し支援活動を続け、現在は町から復興推進隊として任命され日々活動している。

活動当初、避難所で寝泊まりする中で、皆のためになるかもしれない、と思った事を震災後に出会った仲間たちとともに様々な人に協力を願い実現していった。地震と津波の後、あまりにも被害が大きく、がれき撤去などの復旧の力仕事に参加出来ないご婦人の手持ち無沙汰な姿を見て、何か彼女達にできることを、と仲間たちで考えた、「刺し子」。吉野さん自身刺し子のことは全く知らなかったそうだが、必死に事業を構築、今では雇用を生み、日本中のみならず海外からも発注の来る「大槌復興刺し子プロジェクト」に成長した。

NPO法人テラ・ルネッサンスが運営する大槌復興刺し子プロジェクトのメンバー。職員2名、スタッフ3名、他にも40名の刺し子さんを抱える。多くは被災し、ご家族や家を失った女性たちだ

NPO法人テラ・ルネッサンスが運営する大槌復興刺し子プロジェクトのメンバー。職員2名、スタッフ3名、他にも40名の刺し子さんを抱える。多くは被災し、ご家族や家を失った女性たちだ

そんな彼が今新たに取り組んでいるのが「大槌食べる通信」の創刊だ。これは今までの復興推進隊の活動とは違い個人的に行っている。理由は明白。今までの暮らしの中で触れてきた豊かな食材と、雄大で美しい自然や特有の文化、何より土地に根付く人々の温かさ。それらを発信する情報誌を通じて大槌をもっとたくさんの人に知ってもらいたい、大槌のファンを増やしたいとの想いが吉野さんの活動に新たな広がりを持たせた。

町民の80%は何らかの被災をしていると言われるこの大槌町。5年の月日が経ち町の皆さんはそれぞれの悲しみを胸に今日も前を向く。これまで延べ人数7万人と言われるボランティア達が大槌にやってきたそう。ボランティアのリピーター、というのは言葉が荒いだろうか、大槌町はその率がとても高いそうだ。どうしてだろう?

  吉野さん自身移住して知った大槌の豊かな食、それに関わる魅力的な生産者たち。自分のように移住できる人間はほんの少しだ。多くのボランティアの方達は今はもう来る必要が無くなった。でもこのせっかくのご縁、一時支え合った「大槌ファン」との架け橋を作りたい。ボランティアで訪れた人から大槌を知らない人まで、大槌と離れていても繫げるものを作りたいと思っていた。

そんな時出会ったのが「食べる通信」だった。大槌の豊かで質の高い食を日本に広めたい。いつの間にか「よそ者のボランティア」から「大槌人」となっていた吉野さん。この5年でたくさんの仲間に出会った。両者の立場がよくわかる彼の周りには、被災し家族を亡くしてしまった人、様々な食の生産者、役場の人達、地元のおばちゃん、東京でバックアップしてくれるクリエーターや企業。放物線を描くように様々な協力者に囲まれていた。

赤字になったら???様々な不安はぬぐえないが創刊すれば地域の人が喜んでくれるという確信がある。そして今は疎遠になってしまった大槌町を第二の故郷と思ってくれる人を増やしたい。その決意は揺るがない。

吉野さんを見つけると浜のお母さんから「早く運んでー」と声がかかる

吉野さんを見つけると浜のお母さんから「早く運んでー」と声がかかる

現在創刊までに必要な資金を集めるため取材と並行してクラウドファウンディングに挑戦している(”食べ物付き情報誌『大槌食べる通信』を創刊して、大槌町の魅力を発信したい!”:https://camp-fire.jp/projects/view/8565)

第一号では漁協の推薦で出会った漁師、堀合俊治さんの獲るホタテを特集する。築地でいちばんの値段をつけたこともある堀合さんのホタテなら、きっと読者の皆さんも喜んでくれるに違いない。堀合さんも多くの皆さんと同じく津波でご自宅を流され、多くの親戚や友人を亡くした。船も道具も流され、廃業する漁師もたくさんいる中、それでも再起した一人である。

明るくなる前に漁に出る、漁師、堀合俊治さん

明るくなる前に漁に出る、漁師、堀合俊治さん


海からホタテを引き上げる。想像以上の力仕事

海からホタテを引き上げる。想像以上の力仕事


引き上げたホタテにはたくさん異物が付いているので丁寧に剥ぎ取る

引き上げたホタテにはたくさん異物が付いているので丁寧に剥ぎ取る


浜に上がってから出荷時間まで一刻を争う

浜に上がってから出荷時間まで一刻を争う


地道で丁寧な作業が続く

地道で丁寧な作業が続く

朝5時前、俊治さんは海に出る。夏は暑くなる前に漁を終わらせるため、重いホタテを海から力の限りで引き上げ、選定し、ホタテ貝に纏わり付いた海綿やシウリ貝を取り、浜に戻ったらさらに異物を包丁で削り落とし、やっとお客様にお届けできる状態になる。その作業を9時くらいまでに終える。なんともすごい仕事量だ。

浜での仕事を手伝う奥さんとお嬢さんは「あの時は本当に寒かったよねー、頭に雪が積もってさ」。震災後、真冬、雪の降る中まだ屋根のない作業場を振り返って「今だから、ね!」と笑う。大槌の女性は明るく強い。男性は照れ屋さんが多いが皆優しい。この逞ましい人達、この皆さんの力になりたい、そして少しでも縁のある皆さんと大槌を繋ぎたい。吉野さんの想いは止まらない。想いが強すぎるのでは?私は少し心配になった。

「僕は一生分のありがとうを皆さんに言ってもらった気がするんです」

ありがとうと言われて、とても嬉しかった。もちろん、東京から大槌に来たことによって失ったものもたくさんあった。仕事、収入、恋人とも別れた。でも手放したことで掴めたことがあまりにも大きかった。吉野さん自身も、ありがとうという言葉にぬくもりや慈しみ、お金では得られない大きな力を貰っていた。実際、取材で一緒に行動する中で食堂のおばさんにはご飯を食べさせてもらい、漁師さんには磯建網で魚を逃がして怒られ、誰もが吉野さんを親戚のお兄ちゃんのように接している。「ちゃんと食べてるの?ひょろっとしてさー」けなすような、心配するような。その一言がなんとも温かい。

そんな日々の中でたくさんのありがとうをもらううち、人の役に立つことで生きていこう、と決めたという。揺るぎないその想いを前に、私の心配など取り越し苦労だったと思い知った。

かつてはたくさんの住宅があった場所、5年経ち更地になった。仮設住宅にもいまだたくさんの人が暮らしていて、復興への道のりはまだまだ遠い

かつてはたくさんの住宅があった場所、5年経ち更地になった。仮設住宅にもいまだたくさんの人が暮らしていて、復興への道のりはまだまだ遠い


高台に設置されたかつての街の写真と現状を比較する。いつか必ず戻る、その思いを胸に皆さんの日々は続く。

高台に設置されたかつての街の写真と現状を比較する。いつか必ず戻る、その思いを胸に皆さんの日々は続く。

大槌町は自然が豊かで食の質も高い。とは言えずば抜けた特徴のある町ではない。だからこそ持続性のあることができれば、と吉野さんはその先のことも考えている。

大槌の大きな魅力の一つ、それは「人」。

今回取材する中でたくさんの地元の人から「感謝」という言葉を聞いた。

「あの時は本当にたくさんの人が来てくれて、助けてくれてね、ほんと皆さんに感謝してるの」

大槌の人はボランティアに感謝して、これから大槌を訪れる人全てを暖かく迎え入れる。吉野さんが伝えたいことはそれかもしれない。「また来てね」「美味しいご飯、食べてって」「綺麗な海を見ていって」

今後は食べる通信のお客さんに大槌の漁を体験してもらったり、東京でトークショーをしたり、と体験型のイベントも考えている。

震災という悲しい出来事があった、でも出会えた人との繋がりはかけがえのない宝物。この新しい縁を絶やさぬよう、繋いでいけるよう、今日も吉野さんは大槌中を駆け回る、地元の人たちに叱咤激励されながら。

今までも、これからも。時を刻み続ける時計は青空に凛とたたずむ

今までも、これからも。時を刻み続ける時計は青空に凛とたたずむ


(文/写真:藤村のぞみ/フォトグラファー)