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ある鬼才・理論物理学者と地元マイルドヤンキーの山里での試み
~西会津町奥川のクルマ屋『三神峯商会』の道程を追って

福島・会津

再生可能エネルギー, 移住定住促進, 起業

  福島県耶麻郡西会津町奥川地区。
  山形県、そして新潟県に跨がる飯豊山2110㍍の麓、阿賀川(阿賀野川)の支流沿いに広がる中山間地の豪雪地帯であり、山林に農地と曲家で織りなす日本の原風景が今でも残る地区でもある。ここもかつては阿賀川沿いの津川から、奥川、山都、喜多方、塩川を通って若松に向かう通称「越後裏街道」という通商路の途上にあり、越後と会津を繋ぐ商人が往来し、西会津町に合併する前(1950年)は4000人を超える人口を誇った。しかし、戦後阿賀川沿いに国道49号線、高速道路が順次開通、地元産業がジリ貧になるにつれ、高齢化と人口減少により小中学校も統合閉鎖、衰退の危機もじわじわ迫ってきている。
  ただ、ここには西会津国際芸術村はじめ何とか地区を維持存続させようとするチャレンジングな機運があり、地元の方に加え、Uターン、Iターンの方々による活発な活動が見受けられる地区である。[西会津国際芸術村HP / 及び前回ローカルニッポン記事参照]
  ここに東北大学で物理学を専攻、博士課程を経て核融合反応の論文を著し、エネルギー分野で日本大学工学部助教を勤めた武樋孝幸さんがIターン者として移住してきたのは約3年半前。西会津町役場奥川支所の村落支援員(後述)の仲介により、奥川でも標高が高く積雪量も多い大舟沢集落の一軒家に入居し、その後地区の中心地である中町の旧酒蔵所有者保有者の協力を得て、自動車修理工場『三神峯商会』を開業したのがその年の暮れ。以来「どうしてこの山奥に博士が!?」との驚きと、院生の時代、ブラジリアン柔術のアマチュア大会で優勝した経歴もある等々、その理論物理学者に収まらないユニークな人柄から注目され、数々のテレビや新聞の取材陣も訪ねて来た。
  その事業に大きな変化が生まれたのは今年の春、それは地元の青年が事業に加わり、ステージが一つ上がったと言えるであろう。その歩みと現在、そして期待を込めての将来を報告したい。

周辺には日本の原風景,農村の暮らしが残っている

周辺には日本の原風景,農村の暮らしが残っている

労働時間を減らし、いかに自由でイノベーティブな行動と社会活動とに参加できるか

  いわゆる田舎への自然・田園回帰志向は時代の風潮であり、農業や林業、工芸、或いはアート、デザインに興味持ち、地方創生の後押しもあり移住、或いはリターンして仕事・活動することは珍しくはなくなった(IターンとUターンは基本的に異なるが、ここではその論議は割愛する)。しかし、技術専門職の方が自分の特技を生かして職を得ようと単独突破で山里に入り込む例はさほど多くは聞かず、それはそこに仕事を見付けるのが容易でないというイメージがあるからかもしれない。
  農山村の存続が難しくなるのは、人の減少に伴い、集落が機能低下することにも大きな原因がある。そこで地域内循環を目指し、自給自足や地域内通貨の流通、更にはDIYといった、金銭を通して他人(業者)に依頼するのではない、自分の身体を使って製作、修理、装飾する活動が着目されている。ただ、専門分化して少なからず科学技術の恩恵を受ける現代において、全てを家庭・集落内で賄うのは容易でなく、大抵の場合最低限の商工業機能は生活に必要不可欠で、また情報リンクには最低限の金銭が必要だという面も捨象できない。実際人口減少した地区では、食料品店・雑貨店は通信販売や移動販売車に代替されていっており、また電気・ガス・水道というインフラ、或いは自動車等の移動手段の整備・販売・修理は、客数の大小はあるものの間違いなくニーズがあり続けるというのが山奥の山村に住む者としての実感である。要はどの範囲でそれを満たす機能が備わっているかの問題と思われ、その絶えることのないニーズに目を付けたのが武樋さんである。
  武樋さんは来会津前は郡山市にある日本大学工学部ロハス工学研究コミュニティに勤めていた。ロハス(LOHAS)とはLifestyles of Health and Sustainabilityの略称で、地球環境保護と健康な生活を最優先し、人類と地球が共栄共存できる持続可能なライフスタイルのことで、特に東日本大震災後、社会からその要望は一層高くなり、企業経営でも必要不可欠なコンセプトとなってきている。彼とは約4年前、会津の自然エネルギーのシンポジウムで知り合う機会があり、その懇親会の席上でロハス研究の一環として「幸せ度の数字化」に取り組みたいと、大真面目な顔で述べていたのが印象に残っている。
  まずは大学を退いた理由を伺った。
「幸か不幸か大学では仕事を沢山頂き、休日も殆どないほど忙しかったのです。しかし、大震災を経験して、今までの時間に追い回されているだけのライフスタルの在り方自体が問われたのです。そこでまず当時住んでいた郡山の自宅を全て自家発電と蓄電で回すことから始めましたが、大学では再生エネルギー研究が割と自由に可能でありながら、研究室に閉じこもることに限界を感じたのです。よし、それなら週3日か4日の労働で、それ以外は社会の課題に応じた研究開発や活動に多く時間を割けるライフスタイルを目指して外に出ようと思い立ったのです。」
  武樋さんの生真面目さがよく出ているコメントだと思う。先例としては、あの有名な那須の『非電化工房』藤村さんという存在がある。ご自分の開発技術をもとに、「非電化」「ローカル」「分かち合う」をキャッチフレーズに、月3万円ビジネスを複数個持つことにより生活を成り立たせ、地方でのエネルギー含めてのモノの循環を作ろうとする取り組みで、実際に訪問して各種質問をして参考にさせてもらったとのこと。
「まず山里は自然が豊かで資源が豊富にあり、食と住のコストは都会と比べて非常に安くて済みます。ただ、そこで仕事成立のためには人口規模が小さいので、競合相手が存在しないという条件が必要となります。エネルギーは生活に不可欠ですが、私の専門であるその組み合わせ法となると家屋全体の大掛かりな工事となるので、一般家庭から需要を見出すのは難しいと考えました。そこで自分の別の得意分野でもある自動車修理を本業とすることにしたのです。」
  大学ではかつて著名な自動車エンジン開発者を生み出した実績のある自動車サークルに所属し、機械製品を部品単位まで分解して清掃・再組み立てを行い、新品同様の性能状態に戻す作業、所謂エンジンオーバーホールを手掛けた実績もあったとのこと。そのサークルも所在した大学キャンパス名から、店名を『三神峯商会』と名付けた。
「はじめはエンジンのオーバーホールを専門とするつもりでしたが、このニーズは残念ながら滅多にないのです。近くの修理工場に問い合わせたところ、除雪機や農機具の修理ならきっとたくさん要望があるよと教わり、農機具修理兼業にしたのです。」
  その後地域再生中小企業創業助成金の申請も受理され、順風満帆の船出と思いきや、そうは問屋が卸しませんでした。起業者にたとえ立派な肩書があり、しかも街中まで30分近く要する中山間地とは言え、既存のお客様と街中の店との繋がりに割り込むことはそう簡単でなかったのである。しかも、出先業務があった場合、独りで運営だとどうしても店のシャッターを閉めることとなり、「この店本当に営業しているの?」と地区の住民からなかなか信頼感を勝ち取るには至らなかった。

地元の年配のお客様が三神峯商会に注文を依頼、武樋さんが対応する

地元の年配のお客様が三神峯商会に注文を依頼、武樋さんが対応する

  そこで食事と寝所は保障との条件でスタッフを募集すると、東京在住の大学生が一年間休学して応募してきた。しかし、ガソリン代、保険代、外食代等のため最低限の金銭は必要ということで別の仕事にも就く必要が出てきて、しかも自動車修理業素人の学生に指導しつつ店を運営するとなると無理が生じ、なかなか充分な顧客数を得るには至らなかった。そこで別の収入源として、専門学校で放射線学の指導や、自治体からエネルギー資源の分析等の仕事で生計を繋ぐことになり、そうすると一層工場を空ける時間が長くなり、固定客獲得が遠のくという悪循環。なかなか活路は見出せなかった。
  そこに現れたのがクルマ好きの青年、佐藤大地さんである。

心根の優しい地元マイルドヤンキーの存在

  大地さんと初めて出会ったのは確か約2年位前。軽くパーマをかけて目線が少し鋭く、ヤンキー風な青年だったとの表現を許してもらおう。でも、話してみると言葉使いがとても丁寧、若いながら妻と子供二人の家庭持ちで、とてもしっかりした好青年である。奥川からは約20㌔離れた喜多方市街地にご自分の家を持っているが、祖父の実家が奥川の極入(ごくにゅう)という集落にあり、将来的には農地継承も視野に入れて米作りを手伝っているとのことである。
「子どもの頃、父親の土建業の姿に格好良いなあとの憧れもあり、学校出てから建設業界に就職しました。ただ、友人との間でクルマを改造、塗装することが流行っていて、その外装・内装ドレスアップ系を趣味として続けてきたのです。お陰様である程度の技量も手にすることが出来ました。」
「でも、なかなか車関係の仕事に就く機会はなく、半ば諦めていたのです。ところが3年前でしょうか、昔からお馴染みの酒蔵が車を扱う工場に様変わりしていて、中を覗いてみると武樋さんがいたのです。武樋さん、何か今まで会ったクルマ屋さんとは言葉が違うのです。これほど分かりやすく自動車の機能を説明できる方は今まで会ったことなかったですよ。以来時折覗いて話しを交わすうちにその魅力に憑かれてしまい、一昨年の冬にここでやることに決意したのです。」
  まずは知り合いの板金屋さんに紹介してもらった米沢のクルマ屋で修行したものの、峠を越えての通勤は子供の保育園送迎に負担となり続きませんでした。その後、今年の4月から三神峯商会の共同運営者として就任することとなり、店にも多くのメリットをもたらすこととなった。

自動車修理に勤しむ大地さん

自動車修理に勤しむ大地さん

  まず挙げられるのは、自動車の機能と仕組みに詳しい者とドレスアップや改造というカスタム化に詳しい者が揃い、サービス提供の範囲がぐっと広がったことが挙げられる。また、どちらかが店番をできるようになり、店員常駐化がほぼ可能になったことも大きい。加えて大地さんの加入により店内が整理整頓され、お客様に好印象を与えるようになったことが個人的には一番大きな印象であったかもしれない。それまでよく言えば邪念のない、別言すれば研究者頭で整理整頓の苦手な武樋さんが運営する工場であったが、その奥の事務スペースに「整理整頓」や「始業と終業時に必ず掃除を怠らない」と張り紙されて小綺麗になっているのを見た時、思わず一笑してしまった。
  そして、地元出身者との共同運営により客層の拡大も期待できるとの明るい見通しもあるとのこと。現在奥川地区の人口は約750人で、その5分の1を顧客として獲得できれば経営として成立つとの算段を弾いているが、3分の1を超えると従業員を更に追加できる見込みという。こうして試行錯誤しつつ、事業のレールは少しずつ敷かれて行っているのかもしれない。

事業が地域に根を下ろすには

  この修理工場『三神峯商会』のある中町の区長さんでもあり、武樋さん移住の仲介人にもなった岩橋義平さんに店についてお話しを伺ってみた。実は私もかつて奥川地区での農地借用の際、とてもお世話になった方である。

中町区長・岩橋義平さん

中町区長・岩橋義平さん

「まずは地域に馴染んでくれということかな。面白い者がやって来たということで、地元の者は応援して利用しているけど、あそこまで店不在が多い上に電話しても繋がらないとなるとなあ。なんだよ、他にも仕事があるから遊びでやっているのだろうなと勘ぐってしまうよ。こちらとしては早急に直してほしい品があるわけで、それに応えてくれて幾らの店だからな。」
と少々手厳しい言葉が返って来た。でも、それは期待の裏返し、親心であると捉えたい。
「確かに人物としては面白いし、いろいろな友人や知人を紹介してくれる。それで注目され、奥川を知ってもらうのはありがたいと思うよ。だから俺らも武樋君を育てていきたいのだよ。」
  地元のニーズとしてある自動車や農機具の修理要望は何も特別なことではなく、どこでもあることで、かつてはこの地区にもそれに応える機能があった。武樋さんも繰り返し述べるのは、特別な技能を持つわけでない技師が、自然豊かな田舎に移り住んで築くライフスタイルの先例になれればということであり、何も特別な発明家や思想家の事例を考えている訳でないということである。でもそれならあまりに常識的かもしれないが、最低限の技能に加えて営業日が明確で、ある一定した営業時間帯に従業員常駐か、不在時でも通信可能というサービス業として当たり前の機能を備えるのは当然であることを見過ごしてはいけない。田舎は都会と比べて良くも悪くもウェットな社会であることは事実、そして相対的にスローな社会に24時間無休のサービスである必要は全くない。逆に今の時代、慌ただしく循環スピードを上げて折角の生活文化を根絶やしにするのは慎重にならねばならない。
  ただ特殊な技能や実績、試みに目を欺かれ、その大切な要件に気付かないと大抵の場合事業として継続は難しいのではないかと思う。信頼出来る仕事内容や技能もそうであるが、そこの生活サイクルにマッチするサービスを提供することが「地域に馴染む」ということの大切な要件である。それが地元青年である大地さんが加わり、営業形態が刷新したことの重要さが見て取れる。

科学と自然・文化の共生に向けて

  もちろん武樋さんが取り組むのは自動車修理業のみではない。
  豪雪地帯において自宅を『武樋総合研究所』と称して水道・ガス・電気を外から配線なく自前で調達し、効率のよい熱利用や発電・蓄電の仕組みを実験的に施行しており、その科学的な専門家の立場からの新たなライフスタイル作りの取組みに興味を惹かれる方も多いのではないかと思う。更には『雑技団』と呼ばれる様々な特技を持つ方の集まるグループを作り、社会人になって仕事と時間に拘束された日常から開放し、発明に興じる楽しい場を作るというユニークな活動も行っている。
(※武樋総合研究所FBページ

【雑技団】の活動

【雑技団】の活動
(左図)助手とともに空気の弾丸を飛び出させる通称「空気砲」と呼ばれる実験器具を紹介しているところ。周囲にはロケットストーブやミニソーラーシステムが置かれている。
(右図)会場を闊歩する武樋先生
10/8~9 西会津国際芸術村 第2回「縁展」にて

  このようなある意味羨ましく思われる自由奔放な科学者生活を送る武樋さんだが、科学理論について雑談していた時、次のような文句を述べていた。
「科学が解明できるものは、自然の秩序のうちほんの表層の1%位だけに過ぎないですよ。その意味では仮説を立てて証明しようとする試みはまだまだ永遠に続くと思います。」
  そうなのである、理論物理学の領域は、言葉や数式で極めるほどに自然に摂理の存在を信じる宗教の世界と近づくことがかつての偉大な科学者の例を見てみれば確認できる。ただ、それは公式を本当に探求する能力があって初めて説得的に述べることのできる言葉だと思う。
  今後IT(情報技術)、AI(人工知能)の進展により、地方でもモバイル産業のみならず様々な分野で生活は変わっていく可能性があるであろう。定住や持ち家制度という概念そのものも将来的にどうなるかは分からない。でも、その土地にはそれぞれの歴史と文化があり、生活スタイルがある。それを繋いでいるのは特別な人間や能力ではなく、人と人、人と自然との地に足の着いた関係であり、そこで営まれる農耕、或いは狩猟採集生活といった自然とのやり取りが最大の文化的財産であることを忘れてはいけない。
  武樋さんはその大切さには十分気付いており、様々な結の活動参加はもちろんのこと、自ら狩猟免許資格を得るべく受講していることにも見て取れる。器用ではないがそんな素朴で愛すべき人柄であるからこそ一層彼の事業のみならず様々な活動が地元により根付き、新たな可能性を切り開いていくことを応援したいものだ。それこそ自然や文化に対して謙虚な姿勢を失わななければ、科学技術が進歩しても本来的には自然の摂理に離反しないことを自らの試みで証明していってもらえればと思う。
  一時的には波乱は呼び、違和感を催すかもしれないが、すぐに駄目と烙印を押すのでなく、温かく応援して見守る包容力を持つことが社会が持続するための大きな条件であるかもしれない。そう、彼の生活と理論そのものがユーモアであり、アートなのである。

(文:阪下昭二郎)