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信仰と伝説の里山「高鶴山」の保全活動とその未来/鴨川市江見町(旧曽呂村)畑地区

千葉・南房総

地域協働, 地域文化, 就農, 里山里海保全

太平洋に面した鴨川市沿岸に発する嶺岡山系は、千葉県最高峰の愛宕山を頂点として南房総を西へ延びる里山地帯。この連峰以南に広がる緩やかな丘陵地に、かつて「曽呂村」という村がありました。山々に神社仏閣の多い鴨川で、その昔僧侶が修行していたと言われる曽呂は、天然の「曽呂温泉」や美しい棚田が広がる場所です。しかし、棚田も景観も人の手によって維持されてきた賜物。鴨川の中でも特に高齢化が進む曽呂では、どのようにして里山が守られてきたのでしょうか?曽呂で里山保全に長年取り組んできた畑地区の取り組みについてご紹介します。

生活の拠り所だった高鶴山

“このあたりの山は、私達が小さな頃までは生活の山だったんですよ。大体1軒に2、3頭は牛を飼っていましたから、その牛の餌となる葉っぱを取りに行ったり、薪を切ったり炭を焼いたり、家の屋根に使う茅を取ったりと、山がないと生きていけませんでした。そして、子どもの遊び場でもありました。”

  話をお聞きしたのは「高鶴山登山道を整備する地元有志の会」3代目会長の鈴木康雄さん(65)と、鈴木茂昭さん(62)。お二人とも曽呂で生まれ育ち、米や水仙、果樹を栽培している農家で、ここ数十年の間に曽呂に起きてきた生活の変化、そして景色の変遷をよく知っています。

鈴木茂昭さん(左)と鈴木康雄さん(右)

鈴木茂昭さん(左)と鈴木康雄さん(右)

“外国から安い木材が入ってきてからは杉が売れなくなって、電気やガスを使うようになったので薪も必要なくなると山に入る用事がなくなってしまったのです。そうこうしているうちに台風が来ては大木が倒れ、山は荒れて人が入れない状態に。畑住民は高鶴山の無残な姿を見ては、なんとかしなければと誰もが思っていましたね。”

  曽呂地域の中心に位置する単独峰、高鶴山(たかつるやま)。住民のシンボルでもあるこの山は、先祖代々暮らしを支え、幼少期の懐かしい記憶を共有してきた大切な山。その高鶴山が年々荒廃していく様子は住民にとって心を痛ませる問題でした。そこで長らく相談した結果、1997年に有志10人が立ち上がって、山の整備を行うことになったのです。

頂上の石尊を拝み 高鶴山を守ろうとする心が1つに

“始まりは途方も無い作業の連続でした。一度足を踏み入れれば、乱雑に倒れた大木や竹だらけでして、これをチェンソーや鋸で切り倒し、橋を架けて、道を切り開いていったのです。ようやく頂上に着くと、江戸時代からこの地域が守ってきた石尊権現は無事でした。この時ほっと安堵したことを思い出します。改めて高鶴山を守っていこうとその場で皆の心が固まり「高鶴山を守る会」が発足しました。”

大木が倒れ行く手を遮る山道

大木が倒れ行く手を遮る山道

  高鶴山は、古くから伝わる信仰や伝説の多い里山です。「たかつる」という名も「湿った土地・美しい流水」を意味する古代語であり、高鶴山の神と星とが結ばれて干ばつの時に天の川から水が注がれたという言い伝えもあります。中でも寛政5年に安置された石尊権現は、畑地区の住民が幾多の再建と修復を重ねてきた歴史もあり、鈴木さん達にとって気がかりなお宮でした。頂上にて、この無事を確認できた時に、やはり山を守っていくべきなのだという決意が芽生えたのです。

頂上の石尊を拝み 高鶴山を守ろうとする心が1つに

原動力は「孫が登ること」

  こうして1997年に始まり、2002年「高鶴山登山道を整備する地元有志の会」として名称を変更して、コツコツと山の整備に取り組んでいた会のところへ嬉しいニュースが入りました。2004年から地元曽呂小学校の総合学習の一環として小学3年生が「高鶴山を守る人々・生まれ変わった高鶴山」というテーマで高鶴山登山を行い、山を学習することになったのです。

“受け継がれてきた山を守る有意義な目的とはいえ、平均年齢60歳以上のボランティアで続けていけるのか不安なところもありました。そこへ小学生が高鶴山へ登ることが決まり、孫が登ることがわかったので、これには力が入りましたねぇ(笑)。このことから会の有志も増えて、一層山の整備に取り組んだところ、「早春ちばめぐり」のモデルコースに選ばれるなど山に注目が集まったことは喜ばしい出来事でした。”

高鶴山登山コース

高鶴山登山コース

  小学生の高鶴山登山には鈴木さんらも同行し、石尊権現はじめ山の中腹にある神社や広場など数々のスポットや民話を聞かせます。また2007年になると低名山のブームから高鶴山がメディアで紹介され、多くの人が山に登るようになりました。

2012年に開催された高鶴山ハイキングの様子

2012年に開催された高鶴山ハイキングの様子

  高鶴山は、太平洋や晴れた日には富士山を一望できる頂上までおよそ1km、案内板が整備されており、ゆっくり登って50分ほどのコースで、森林浴を味わえる他、近くに房州でも指折りの「金杖の滝」や水仙の名所もあるためハイキングには最適の環境です。

曽呂小学校の廃校 里山を守るコミュニティは今後

  会が発足してから18年、長い月日と共に曽呂地区の児童も減少し、実は今年2015年に曽呂小学校含め3校が統合しました。高鶴山保全の力となってきた小学生の登山学習も一旦休止となり、鈴木さんは今後の活動について改めて考える時期が来たと語ります。

曽呂小学校の廃校 里山を守るコミュニティは今後

“世代交代を続けてきたこの活動も、これまで140年続いた曽呂小学校が廃校となって一段落かなと思っております。今や頂上まで登れない会員も増えて、高鶴山に限らず棚田の景観を守ることが年々難しくなりつつあります。また40~50代の若手が参加してくれるといいですが、そもそも人口が減ってますからねぇ。徐々に縮小していくしかないかもしれません。”

  ボランティアで山を管理する取り組みが18年も続いてきたことは容易なことではありません。年に2回の一斉整備、嵐が来ては山を見に行き、2008年には台風で倒壊した石尊権現を新築する大きな事業も取り組みました。しかし、高齢化が進み集落では営農する家も減る一方で、明るい未来を描けない現実も迫ってきています。高鶴山をはじめとして、人々が大切にしてきた曽呂の景色と文化は今後どうなっていくのでしょうか?

南房総有数の米どころ 曽呂

  人口や農家戸数の減少から山の管理や景観の維持が困難になりつつある曽呂ですが、この地区にて就農し新たな目標を打ち立てている若者もいます。鴨川市在住の稲田智紀さん(36)は7年前から曽呂の田を借りて就農し、現在1haほどの田で営農しています。

南房総有数の米どころ 曽呂

“曽呂米との出会いは、実はこの地区で新聞配達をしていたことなんですよ(笑)。米の自給をしたかったので、地元の人に紹介してもらって、田んぼができることになりました。やってみて知ったのは、実はこの曽呂米が南房総、ひいては千葉県でも有数の美味しい米であること。土がすごいんですよね、重粘土で。水も嶺岡に降った天水(雨水)が地下に染みこんだ山水です。”

  曽呂地区の上流域にある嶺岡山系は蛇紋岩が多く、この蛇紋岩には稲の生育に必要なミネラル分が豊富に含まれています。この蛇紋岩が風化して出来た重粘土質の土壌と、蛇紋岩層を通った山水が食味の良い米を作ると言われています。

南房総有数の米どころ 曽呂

“しかし重粘土で山水を使う分、耕作するのが大変で辞めていく人が増えているんですね。これを引き受けていたら1haになりました。この流れを止め、曽呂地域を盛り上げるためにも、曽呂米をブランド米として認識してもらうことが大事だと思ってます。”

  千葉県では多古米、そして同じ鴨川の長狭米がブランド米として有名です。曽呂地区は地域が狭いため収量の問題はありますが、味は国内トップの食味米に匹敵するのではとの声も上がるほどの評判があります。美味しい「曽呂米」が徐々に認知され消費者のもとに届くようになれば、稲田さんのように曽呂で就農する若者が増えることも夢ではありません。

  全国的に人口が減少していく中、すべての里山を守り続けていくことは難しいのかもしれません。それでも中山間部の未来を考えるのであれば、鍵となるのはやはり農業。その土地の特質を活かした農業経営が成り立てば、里山の維持も地域文化の継承も可能となるでしょう。高鶴山の保全に新たな担い手が現れることを期待したいと思います。

(文:東 洋平)