ローカルニッポン

循環社会は山から始まる!
―海をこよなく愛す僕は、「木こり」になった―


「僕は海が好き。大学の頃からやってる素潜りだと、30m以上潜って20キロ級の高級魚を突いたりもした。ビジネスマンとして全国各地を巡って、色んな海に入った。その中で、今自分が生態系を再生させなきゃいけないと思って、僕は木こりになったんだ。」

田口壽洋さんは、2014年12月に島根県津和野町に移住しました。現在は地域おこし協力隊員として里山での自伐作業を行いながら、自身の会社を作り、林業ビジネスを展開しています。

幼少期に感じた、自然の楽しさ

田口さんは、神奈川県横須賀市出身。幼少期の家族旅行では、山と言えばハイキングではなく山菜採り、海と言えば海水浴ではなく岩場での魚釣りだったそうです。この家庭環境は、田口さんの人生観に大きく影響したそうです。

「自然や生き物との距離が本当に近かった。小学生の時、捨て猫を見つけたので近所の家を手当たり次第回って、捨て猫を拾ってくださいってお願いしたこともあった。そのうち環境問題にも興味を持って、小学校の文集には獣医になるか、お金持ちになってアマゾンの森林を買い占めて自然を守るって書いた覚えがある(笑)」

田口さんは獣医を志して獣医学部に進学するものの、勉強する中で経済について関心を持ち始め、獣医の道からビジネスの道に進むことを決断します。

「大学院も行けたけど、就職を選んだ。専門的な世界に入る前に経済がどのように成り立っているのか感じてみたかったんだ。でもずっと企業で働く気はなかったから、僕にとって就職は”社会科見学”という感じだったかな。」

本気の社会科見学で、自分の生き方を問う

大学卒業後、田口さんは大手広告出版会社に就職します。そこで出会ったのは、”働くために生きるのではなく、生きるために働く”という考えでした。

「会社で働くことは自分に合っていて、とても楽しかったし、いくらでも働けた。ただ、上司の働き方には疑問を持っていた。彼はとても仕事ができる人だったけど、ほぼ毎日残業して、休日もないまま働いていた。家族旅行は彼抜きで行くのが当たり前だとも話していた。それを聞いて、他にも同様の状況の人が沢山いるだろうし、本当にこれでいいのかと思ったんだよね。なんのために働くのか。もっと言うとなんのために生きるのかをすごく考えた。」

ビジネスマン時代の田口さん

ビジネスマン時代の田口さん

その後、田口さんは生命の根幹に関わる『食』に関わる仕事をしたいと考え、『食』を専門とする大手広告代理店に転職。東京と沖縄を行き来して、水産業や畜産業のブランディングを行います。沖縄では趣味の素潜りを楽しみ、仕事もプライベートも充実していました。しかし、少しずつ自然環境に対する違和感を感じるようになります。

「日本は世界で6番目に長い海岸線を持っているけど、海岸によっては全く魚がいないところもある。それはその海が魚の棲みづらい環境になってしまってるから。理由は色々とあるけど、一つに”山から養分が流れ出なくなった”ということがあるんだ。」

「日本は戦後までは木を主な燃料として使っていたため、多くの山は今のように木が茂っていなかった。そこから建築材等の木材を確保しようと『拡大造林政策』が進められたけども、1960年代に木材が自由化する。それ以降、植林された木は放ったらかしになってしまった。間伐されないために、木の成長が遅くなる。成長が止まれば、養分は作られずに海に出て行かない。それが海の生態系にも影響してくる。その循環を考えたとき、それを再生させるには原点となる山をなんとかしないといけないと思った。僕は海が好きだからこそ、山をなんとかしなくてはならない。それこそが自分の役割であり、生き方だと感じたんだよね。」

素潜りでイソマグロを突いたところ!

素潜りでイソマグロを突いたところ!

近所をキレイにするように、里山を管理できるか

田口さんは会社を辞め、中山間地への移住を検討します。その時に出会ったのが、島根県津和野町農林課の村上久富さんでした。

「村上さんは色んなことに挑戦する役場職員で、すぐに意気投合した。そして、これから津和野町が里山とどうやって共生していこうとしているか話し合った。そこで聞いたのは、津和野町が推進しているのは自伐型林業であり、地域の人々で地域の里山を保全しようとしているということ。多くの地域では森林組合などに山の管理を委託しているが、津和野町は辛抱強く自伐林家を育てようとしている。人口減少が進む今、この方針の違いは50年後、100年後の里山との付き合い方に大きな変化を及ぼすと思うんだ。」

「これからの中山間地は、”自分たちの里山は、自分たちが守る”という考え方でしか、残っていけないと思う。分かりやすく言うならば、自治会で集まって近所をキレイにするように、里山に入って手入れをできるかどうか。もちろんそれぞれ色んな仕事をしているので、里山に関われる時間は一律ではない。それでもまず、個人個人が里山に関わろうとする意識を持つことが必要だと思う。また、それ以上の部分は専門的に管理できる人を置いて、その人が山の保全の仕事で食べていけるようにする。村上さんと話をする中で、津和野町でならこの仕組みを作れると思ったんだ。」

津和野型自伐林業チームの仲間と。

津和野型自伐林業チームの仲間と

津和野の林業から、日本の生態系を再生させる

田口さんは、津和野の林業から日本を変えていきたいと話します。

「自分が好きなことや関心のあることで、社会に影響を与えられるというのは本当に素晴らしい仕事だと思う。これからの時代、日本はもう一度里山の価値を見直さなくてはならない。津和野町は『山の宝でもう一杯事業』を手掛けたり、『木質バイオマスガス化発電』の導入を進めたりするなど、里山の活用方法を前向きに検討している。また、里山を再生させることに全力で取り組む仲間もたくさんいる。自分もこれまでのビジネス経験を活かして、林業を稼げる仕事にしていきたいし、里山を保全するモデルも作りたい。山がキレイになれば、結果として川も海も豊かになる。そしてそのモデルができれば、全国どこの中山間地域でも展開できる。」

「僕は次世代の社会に、豊かな山と豊かな海を残していきたい。そこを目指して、僕はここで挑戦していきます。もし関心を持った人がいたら、海好きでも山好きでも大歓迎です!是非津和野町に見に来てくださいね。」

文:株式会社FoundingBase共同代表 林 賢司