ローカルニッポン

~虫供養~


立冬が過ぎた頃から、奥会津では集落全体で覚悟を決めたかのように風景が変わってくる。積雪から家を守る雪囲いが施された家屋は、角材や波板などで鎧をまとい、木々も藁やムシロで包まれた。堅牢な要塞のように、迫り来る雪に立ち向かう構えは、冬空の下で一層陰鬱な佇まいを見せる。

外界から遮断される重苦しさと寂しさは、太陽の光がにわかに少なくなる雪国の宿命だが、この閉塞感は自身の内部へと収束されて行くようだ。

できれば一日でも長く太陽を存分に迎え入れたい。雪囲いは一日でも先に伸ばしたい作業だが、雪はいつ根雪になるか分からない。

この時期は足元の地面がいつになくいとおしく感じられる。深い雪に覆われると、来春まで触れることのできない土の表情が、ことさら豊かに、懐かしく思えてくる。

そんな晩秋の11月10日(かつては旧10月10日に行われていたが、現在は月遅れのこの日に定められた)、ハエや虻、モグラやネズミなど、小さきものたちの命を供養する「虫供養」というつつましい行事が行われる。この行事は、三島町各地で夏に行われる「虫送り」と対を成す行事だが、同町では早戸集落にだけ残っている。

三島町早戸集落はわずか十数戸の家が狭い沢沿いに並んでいる耕地のない坂の村だ。集落を囲む山の中には、「神々の道」と呼ばれる杣道が何本も伸びていて、深い草の中や岩の間に、如意輪観音、地蔵尊、不動尊や様々な祠が点在している。「虫供養」は、そんなひなびた場所にひっそりと残っている。

この日の昼下がり、集落を貫く坂の下から響いてくる鉦の音を合図に、儀式は日常の延長のように静かに始まる。

鉦の音を合図に一軒、二軒と玄関の戸が開けられ、手に手に花を携えた人々が三々五々集まって来る。なだらかな坂をいつの間にか列を成した一団は、村外れの一本の桜の木を目指す。

坂の上には収穫を終えたわずかの畠が広がっていて、崖の際に古い桜の木と手作りの供養塔が建てられている。ここは虫たちの墓場だ。

お寺から頂いてきた供養の紙塔婆が、晩秋の風を受けて棒の先でかすかに翻る。桜の木の根元は手向けられたたくさんの路地菊と供物の菓子で荘厳(しょうごん)された。

線香を手向け、頭を垂れて敬虔な祈りを捧げる相手は、蝿や蚊や虻やミミズ…。空を飛び、地を這っていた虫たちだ。人間の日々の営みの中で疎まれ、潰されてきた虫たちの魂が、この時はっきりとその存在が確かめられ、神々しく昇華する。

古い桜の木と手作りの供養塔
早戸集落の人々

わたしたちは何気なく虫を殺している。蚊やハエはもちろん、知らず知らずのうちに踏みつけてしまった小さな虫たちのいたことも忘れている。しかし、虫たちが姿を消した晩秋の野辺で、早戸集落の人々は、殺さなければならなかった虫たちのことが気になるのだという。

「ホッとしたなぁ。今年もオレたちはいろんな虫いっぺぇ殺してきたから・・。これやんねぇと落ち着かねぇのよ。」

坂を下りながらつぶやくように語ってくれた一人のおばぁさんは、消え残った憂いを隠すように、意味もなく割烹着の裾を整えながら目を伏せた。

派手やかなものは何もない美しい習俗は、険しい山の中腹にまで「神々の道」を作った早戸集落だからこそ残せたのかもしれないと思う。

奥会津という地域に底流する精神の核がここにある。

文:奥会津書房 遠藤由美子