鴨川の海から世界で活躍するサーファーを育てたい/川井幹雄さん
三方を海に囲まれる房総半島は早くからサーフィンが盛んで、季節を問わず波を求めてサーファーが訪れています。特に千葉県鴨川市はサーフィン発祥の地とされており、記念すべき1966年第一回全日本サーフィン大会は鴨川市で開催されました。今回はこの大会の優勝を皮切りに、数々のタイトルを受賞し続け、日本のサーフィン技術や文化の発展に寄与してきた「レジェンドサーファー」川井幹雄さんに、ご自身の経験や鴨川とサーフィンについてお聞きしました。
東京オリンピックの年に
鴨川市横渚にある「KAWAI SURF GALLERY」にてサーフィンの指導やオリジナルサーフボードの製作にあたり、日本プロサーフィン連盟(JPSA)では顧問として、サーフィン大会の統括やプロ試験の審査を行う川井幹雄さんは御年67歳。川井さんとサーフィンとの出会いは51年前に遡ります。
“もともと海から2、3分の距離に家があったものですから、小学校4、5年くらいから洗濯板のような板や身体を使い波に乗って遊んではいましたね。ただ直接のきっかけは鴨川を訪れていた外国人からボードを借りたことでして、オリンピック開会式の日にも友人から「外人がサーフボードを貸してくれる」って電話があって「オリンピックなんて見てる場合じゃない」(笑)ってことで一目散に海へ飛び出していったことを覚えています。”
1964年東京オリンピックの年、川井さんは16歳。多くの海外旅行客が日本を訪れる中、川井さんは友人と共に、鴨川の海でサーフィンをする外国人と偶然出会いました。それ以前から海でサーフィンと似た遊びを実践していた川井さんは、サーフボードを借りてすぐに波に乗ったことから外国人を驚かせたそうですが、川井さんにとっても波に乗る専用のボードが存在することは大きな衝撃となりました。
負けたくない一心で
“当時サーフボードを売っている場所もないので、最初は海水浴に使うエアマットで練習していました。初めてサーフボードを手にしてからは、友人らと一本の板を使いまわして「あーでもないこーでもない」と毎日波と向き合う日々を送っていましたよ。そのうちに鴨川で全日本サーフィン大会が開催されることになって、たまたま優勝しちゃったものですから(笑)、もう負けられませんよねぇ。”
16歳でサーフィンに没頭するようになった川井さんが、当初エアマットで波に乗っていたことはサーフィンを愛する人々の間で語り継がれる逸話となりましたが、その後、サーフボードを購入すると、いよいよサーフィンの探究と挑戦の人生に幕が切って落とされました。1966年全日本サーフィン大会が始まると、3回連続優勝という偉業を早々に成し遂げ、70年代までに6度の王座を獲得、日本人で初めてプロサーファーとなります。
ボードシェイプに込められた研究の成果
“僕らがサーフィンを始めた頃は、今と違ってサーフボードも単なる分厚い長い板で、リーシュ(サーフボードと足を繋ぐ紐)もないので、一度失敗して板と離れれば、岸辺まで泳いで取りにいかねばなりません。この悔しさが、今思えば向上心に結びついたのかのかもしれませんね。どうしたらうまく乗れるのだろうか、なぜ?なぜだ?の連続で、気がついた時には、自分でサーフボードをシェイプするようになりました。”
20歳になると、川井さんはサーフボードを作る「シェイパー」の修業を始め、自らの経験をもとにサーフボードに改良を加えていきました。例えば当時のロングボードは、裏側に付けられたフィンが1枚でしたが、波の上での横滑りを回避するために川井さんは両脇にフィンを2枚追加。今で言う「トライフィン」と呼ばれる構造を考案しました。川井さん自らの経験とデータを基に進化を遂げた技術やボードが、人々がサーフィンを行う際に今も活きています。
サーフィンのまち、鴨川のこれから
こうして類まれな運動能力と探究心によって、数々の大会で感動的なライディングを披露し、多方面での技術を遍く伝えてきた川井さんは名実ともに「レジェンドサーファー」として人々に親しまれ、鴨川そして日本のサーフィン文化を牽引してきました。そんな川井さんは今後の鴨川について、どのような未来を描いているのでしょうか?
“2020年の東京オリンピックでサーフィンが公式競技となるかどうか、今まさに協議が重ねられているところですが、成田と羽田の両国際空港から近い千葉県の外房地域は大会の誘致に動き始めています。そこで、先日鴨川での誘致活動の代表を私が務めることになりましてね。まだなんともいえませんが、地域の医療セクターのサポートもあって、鴨川が選ばれる可能性も大いにあるかと思います。こうした流れで大事にしていきたいことは、海外に引けを取らない次世代を育成する環境ですね。”
鴨川から世界タイトル獲得者を輩出したい
“例えば日本では「海は危ない」という印象が先行してしまっているように思いますが、オーストラリアなどの国へ行くと、子ども達の海に関する知識レベルが高いことに気づきます。海はどういった状況で危険なのか、または安全なのか、ライフガードも含めて基本的なことを知った上で「海」のイメージがあるので、必然的にサーファーの数も多く技術も高いのです。古くからサーフィンの文化がある鴨川で、こうした海に関する教育を積極的に行い、いずれ鴨川の海から世界大会で優勝する日本人が育つことを期待したいと思います。”
オリンピックの追加種目としてサーフィンが選ばれるかについては今後の展開を見守りたいと思いますが、誘致活動が始まり注目が集まる中で、川井さんが未来に掲げている目標は長年の夢でもある、鴨川の海から世界タイトルを獲得するサーファーを育てること。そのためには、スクール生の指導だけでなく、海を楽しむアクティビティ全般に対する日本人の理解を深めていくことも重要だと語ります。多くのサーファーを惹きつけてきた南房総から、世界の頂点を極めるサーファーが生まれることを期待します。
文:東 洋平
リンク:
KAWAI SURF GALLERY
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