ローカルニッポン

田舎暮らしの先達が語る「プレイ」の精神/上野治範さん


長狭街道は、明治天皇の即位式後の「大嘗祭」(だいじょうさい)で使われたお米の栽培地であり「長狭米」生産地として知られる地域を通り、南房総の鴨川市と鋸南町保田をつなぐ長閑な街道。この街道の中ほどまで行くと「農人舎」の看板が見えてきます。主人は24年前に鴨川へ移住した上野治範さん。天然染料で衣類を染める草木染めや、オーガニックハーブを蒸留したハーブウォーター、黒ニンニクなどの単品目農産物を生産販売する農人舎を経営する上野さんは、田舎暮らしの先駆者としてこれまで多くの移住者を案内してきた経験豊富なアドバイザー。今回は上野さんの話から、田舎暮らしについて考えてみたいと思います。

バブル絶頂期に移住

今年で73歳になる上野さんが、鴨川市に移住したのは1991年。日本の高度経済成長期がピークに達していた時になぜ地方への移住を考えたのでしょうか。

“移住する前は、AE(Account Executive)といって、広告代理店のクライアントと制作チームをつなぐ仕事を15年ほどして、40代中頃で仲間とプロダクションを作り、リーガルやボッシュといったメーカーの広告を企画していたのがサラリーマン時代の最後です。営業をしなくても仕事がくるような時代でしたから、鴨川へ移住すると話すと周りから気が狂ったのではないかと心配されましたね。”

上野治範さん

上野治範さん

“また鴨川に越して最初に住んだ場所が無住のお寺だったものですから、ある日地元のお婆さんが訪れて「あんたら、きっといいことあるよ」って両手に抱えた大根を置いていってくれたことは忘れられません(笑)。お寺に住んでいるなんてよっぽど食い詰めた(笑)と思われたのでしょう。自然の中で生活したいと思っていた私にとっては最高の環境だったのですが。”

鴨川市の西地区山頂付近に構える自宅周辺には5反部(1500坪)の農地で米や野菜を育てている

鴨川市の西地区山頂付近に構える自宅周辺には5反部(1500坪)の農地で米や野菜を育てている

まだ田舎暮らしという言葉が定着していない90年代、広告プロダクションを経営しながら埼玉県の小川町にて有機農業を学んでいた上野さんは、自然豊かな鴨川市への移住を決心しました。後に第一次田舎暮らしブームと呼ばれた時期と重なり、様々な考えを持った移住者がいましたが、上野さんを移住へとかき立てた思想は、生活に身近な視点にありました。

レイバーとワーク、そしてプレイ

“人間の仕事を一括りにして、「レイバー」「ワーク」「プレイ」と分ける考え方があります。和訳が難しい単語ですが、「レイバー」は決められた労働を肉体的にこなす仕事、「ワーク」は比較的頭を使う仕事、そして「プレイ」は、自ら好んで創造的に熱中する仕事です。一般的には人の仕事は「レイバー」から産業革命を経て「ワーク」に変化しつつあるといいますが、先進国日本でもまだ多くの人が「レイバー」のように仕事に追われる日々を送っているというのが実情です。”

自宅前の道からは近隣の山々や山間から海を望むことができる

自宅前の道からは近隣の山々や山間から海を望むことができる

“仕事が競争を強いられるようになってから、「金」が社会の共通価値として、所謂「拝金時代」が到来しました。「欲望とは海の水を飲むようなこと、飲めば飲むほど喉が渇く」という言葉の通り、経済成長と共にこの傾向は高まっていったのです。競争が極限に達すると戦争の引き金となりますから、「レイバー」や「ワーク」ではない、新しい価値観がこれから求められるのではないか。そこで、私は田舎で「プレイ」しようと思い至ったのです。”

暮らしをプレイすること

“「プレイ」とは、絵描きや陶芸のように芸術家の仕事を指すことが多いのですが、好きなことをやりながら生計を立てる点で最も贅沢な生き方といえます。ただ私は、これといって才能も技術もありませんから、芸術家にはなれない。しかし、田舎で楽しく生きるための少々のビジネスを作り、暮らしを創造していくことはできるのではないかと思いました。「貧乏」というと人は嫌がりますが、「暮らしをプレイ」しているなんて言えば、格好良く聞こえるでしょ?(笑)”

裏山に湧き出る清水をパイプで引き、自宅の水を全てまかなっている この水で炊く米が格別に美味しいそうだ

裏山に湧き出る清水をパイプで引き、自宅の水を全てまかなっている この水で炊く米が格別に美味しいそうだ

経済成長と共にビジネス競争が激化する中、上野さんは広告プロダクションの仕事を辞し、自然の豊かさを肌で感じる田舎での暮らしを自ら実践することに思考を転換しました。これには20代から学んできた禅の教えも関係しているようですが、先進国が抱える課題に対して具体的なアプローチを身を持って実践するための冒険心だったとも言えるでしょう。

農人舎の設立

農人舎の設立

鴨川のお寺に移住した後は、地元の会社から広告関連業務の嘱託を受けつつ、新しく建てた家の周りに5反部(1500坪)の農地を借りて農業者となり、目標としていた小さな仕事を創り始めました。宇宙飛行士秋山豊寛さんの著書『農人日記』から本人の許可を得て命名し、設立したのが「農人舎」。ここで上野さんが家族で経営する農人舎の商品を2つ紹介しましょう。

-草木染めの衣類-
古代中国では、食べ物や薬で病を治すことを内服、着るもので病を治すことを外服といいました。今でも塗り薬などを外服薬といいますが、衣類と健康の関係については昨今注目が高まっていますね。農人舎で取り組んだのは草木染め。草木の染料を抽出する機械を開発したため、自前の農産物など様々な草木で染料を作り、植物繊維の衣類を染めています。草木染め体験で学習旅行も受け入れています。

草木染めの衣類

-ハーブウォーター-
草木染めの染料を抽出する工程を応用して、ローズヒップやレモングラスなど6種類ほどのオーガニックハーブを蒸して、蒸留した液体をハーブウォーターとして販売しています。生のハーブ以外は何も利用していないので、純粋なハーブエキスですね。薬事法の関係で、効能などを説明することはできませんが、肌につける以外にも、虫よけや痒み止めに利用する方がいたりと用途は様々です。

ハーブウォーター

安房の先人・偉人を地方紙で連載

40代で鴨川へ移住して、田舎ならではの仕事作りもセットで目標としていた田舎暮らしを創り上げてきた上野さんは、田舎での娯楽や学びを提供する機会も数多く手掛けてきましたが、最後に現在取り組んでいる地方新聞社との共同企画について聞いてみましょう。

農人舎内スペースを活用して始まった学習塾

農人舎内スペースを活用して始まった学習塾

“4月から、「安房の先人・偉人」というテーマで地方紙のコラムを数人分担で連載することになりました。地方創生という時代にあって、地域に住まう人が「そこに生きていた人」を知ることで郷土愛を育むことが大事なのではと新聞社に提案したことから始まったものです。頼朝伝説や里見氏も面白いですが、そこまでメジャーでなくとも地域の道や橋などと関連した数々の興味深い物語が残っており、地域へ関心を高めるには良い入口だと思います。これを読んだ人できっと「自分はこんな話も知ってるぞ」なんて人が現れますから(笑)、鴨川だけでなく南房総全体に広がっていくことを期待しています。”

穏やかな生活のイメージ

田舎暮らしの先駆者として、上野さんが大事にしてきたスタンスは「プレイヤー」でいること。田舎暮らしとは、「スローライフ」や「農的生活」という言葉に置き換えられるような穏やかな生活のイメージもありますが、一方で人の生き方や豊かな暮らしとは何かという大きな問題を包含する一つのアクションでもあります。今年4月から始まる「安房の先人・偉人」の連載も南房総に暮らす人々が楽しく、地域の誇りを取り戻すための試み。これからも次世代の生き方としての田舎暮らしに対して具体的なアイディアを実現していってほしいと願います。

文:東 洋平