ローカルニッポン

奥四万十~ゆすはら~の宝物


儒者緒方宗哲の著作と目される土佐州郡志を開くと、江戸時代における梼原町の産物を事細かに見ることができます。茶や楮(こうぞ)、漆や桑、蕨(わらび)などの植物に由来するものや蜂蜜や蝋、阿免魚(あめご)や伊多魚(いだ)、鮠(はや)など実に多彩な産物が記されています。まさに梼原の大地の力を感じずにはいられません。

あめごは今でも梼原を代表する水産物の一つですし、お茶づくりや蕨の生産も盛んに行われています。一方で今ではまったく耳にすることがなくなった産物もあれば、しいたけのように江戸時代には産物ではなかったものも見られます。今回は梼原人に守り育まれている産物ご紹介します。

奥四万十・ゆすはらの鮎

四万十川の源流域でもある梼原町を流れる河川では、シーズンになると川沿いに多くの太公望たちが長いおとり竿をかまえています。梼原町には大きく分けて梼原川、四万川川、北川川の3本の河川が流れていますが、それぞれの川にコダワリを持った釣り人がいます。ゆすはらの鮎は下流のダムの影響から放流鮎で、この4月にも町内の河川に3000キログラムを超える県内産の稚鮎が放流されました。きれいなコケが育つ上流域では宝石のように美しいアユがすくすくと育ち、6月15日には解禁日を迎えます。この間にも、梼原に暮らす住民は四万十川流域河川清掃や町内一斉清掃を通じて川をきれいに保とうと努力しています。さらには上流域に住む者の役割を果たそうと森林の手入れに熱心な山主さんも多くみられます。もちろん、これらは鮎のためだけに行っているわけではありませんが、こういった活動が、素晴らしい川、素晴らしい鮎を育む背景の一場面になっているのではないかと感じます。

ゆすはらアユ

しいたけ

梼原のしいたけは全て原木(げんぼく)栽培で育てられています。昭和30年代後半からは地域住民による町有地への原木造林が盛んに行われ、今でも山を見回すと、しいたけ生産が町民にとっていかに重要な収入源として期待されていたかを垣間見ることができます。しかしながら食生活の変化や外国産しいたけの輸入を背景としてしいたけ生産は低迷の一途をたどります。現在、生産農家では先人から受け継いできた大切な資源を活用することで、なんとかこの状況を脱し1億円産業復活を目指そうとしいたけ生産に取り組んでいます。特に注目を集めている「大上厚しいたけ」とよばれるしいたけは、一つひとつ丁寧に袋掛けされた状態で栽培され、その中でもわずか0.4%程度しか収穫できないという幻のしいたけです。新たに東京の高級料理店との直接取引を行ったりヨーロッパへの進出も目指したりと、しいたけ生産の現状を見ていると、課題の先にこそ可能性があるということを感じさせられずにはいられません。

大上厚しいたけ

鷹取キムチ

遡ること16年前、梼原に新たな名産が生まれました。その名も「鷹取キムチ」。初瀬区が誇る原生林、鷹取山から名づけられました。そもそも、なぜキムチを作るようになったのかというと、初瀬区が取り組んできた韓国との交流が背景にあります。1996年、日本の地方の現状を直接現地で学ぼうと韓国の大学生が来町。町も協力して「雲の上のゆすはら国際スクール」を開校し、宿泊所として初瀬区の鷹取の家を利用するようになりました。このことが、初瀬区住民との人の交流、さらには文化交流のきっかけとなり、住民が本場のキムチづくりを学ぶようになったのです。2002年、町は地域活力支援事業を実施します。この事業は住民自身が地域のために自ら考え、そして実施する事業に対して町が支援する事業でした。役場から各集落に担当職員が配置され、何度も会合を持ちながら地域の住民のみなさんとともに考える日々が続きました。ちょうど地域分権一括法が施行され、国が地方自治体に自立を求めるのと同じように、町も各集落に自立を求めるようになった時期でもあります。このことは今現在も取り組まれている集落活動センター事業の考え方に通じるものがあります。そこで、初瀬区の住民は、キムチづくりに本格的に乗り出すことになりました。そして、2015年3月には韓国風レストラン・サウナの「チムジルバン・レストラン鷹取」をオープンします。

今日、梼原のような山村では、人口の減少等に伴うさまざまな課題が表面化しています。求められているのは、地域にある課題を把握し解決していくこと、そして新たな課題にしなやかに対応できるようになること、そしてさらには地域の魅力を高めていくことにあります。初瀬区の特長は地域の魅力を高め続けていることにあり、この1年間で住民の26倍にあたる3,500人以上の方が訪れるなど、地域のお母さんたちが楽しみながら活動を続けています。

レストラン鷹取

そして梼原には食べ物以外にも土佐和紙や土佐打刃物など梼原の地で人の暮らしとともに引き継がれてきた宝物もたくさんあります。今後はこれらの宝物に加え、今一度地域を見つめなおしながら、多くの魅力あふれる宝物をみなさまに届けることを通じて、みなさまとともに幸せになれたらいいなと考えています。

文:まち・ひと・しごと創生総合戦略推進室長 山本 和正