ローカルニッポン

生き物の専門家が観た、多様性が導く地域の未来/本間秀和さん


都会から東京湾を越えて車で90分の距離に海と里山の景観溢れる南房総には、毎朝バスで都市部に通勤する移住者や、都会と田舎の両方に住まいをもって別荘とは異なる新たな暮らしを実践する2地域居住者も少なくありません。今回は南房総の出身で植物生態学を修めた後、地元に戻り農家の後を継いだ本間秀和さんに、2地域居住を推進するNPOや地域内での里山体験の活動や、その先に見えてくる地域の活性化について話を伺いました。

南房総の自然が生んだ植物研究者

“幼い頃から野山を駆け回ったり、釣りにいっては植物や昆虫、川や海の生き物を観察するのが好きで、実家も酪農と畑作と田んぼを組みあわせた農業をやっていたので生き物に囲まれて育ちました。そんな環境もあってか、高校では生物部に入ったんです。マクロベントスという海辺の砂の中に生きている虫をずっと調べていたんですが(笑)、顧問がフィールドワークを中心とした指導をする方で、海だけでなく山や湿原などにも連れてって下さり、こうした経験がきっかけとなって生物学を研究しようと進学しました。”

本間秀和さん

本間秀和さん

このように語る本間秀和さんは、千葉県南房総市本織出身で地元安房高校を卒業した後、東京農工大学に入学し植物生態学を専攻。その後大学院を単位取得退学するまで約10年間全国各地のフィールドワークを通して森林の植生を研究していました。知識と経験を生かして環境コンサルや研究所へ就職する道もある中、なぜ実家で農業を継ぐことにしたのでしょうか。

研究室で調査していた群馬県玉原高原のブナ林の外観(本間秀和さん撮影)

研究室で調査していた群馬県玉原高原のブナ林の外観(本間秀和さん撮影)

“満期を前に、この先どうしようかを考えていた頃に母が亡くなり、父が1人で農業を続けることになりました。それまで農家になることは全く頭になかったのですが、ちょうどその頃生産者が消費者に直接農産物を届ける農業が注目を受け始めていた時期だったのですね。機械的な作業を繰り返すだけでなく、消費者から直接反応を頂きながら作物を生産出来るのであれば、これはやり甲斐になるのではないかと。そこでWEBサイトを立ち上げて、家族と一緒に家業を再スタートしたのが、ほんまる農園です。”

南房総ほんまる農園

“約1.8ha(5400坪)の田んぼで無農薬・低農薬栽培のお米を生産し、60a(1800坪)ほどの畑でそら豆などの品目を、農薬を使用せずに栽培しています。こだわりといえば、田んぼや畑には近海で採れた海藻をもとにした有機質肥料をいれていることですね。まだ解明されていない部分もありますが、施肥をした当初から作物が良く育ち、食味計も継続して比較的高い数値が出ているので重宝しています。”

ほんまる農園お米収穫時の風景

ほんまる農園お米収穫時の風景

“ただ、米の食味の観点だけで言えば、たんぱく質の含有量をいかに減らすか、そしてアミロースやアミロペクチンなどのデンプン質の種類と比率が決め手となるので、本来有機肥料だけで美味しいお米を作ることは難しいんですね。有機肥料に含まれる窒素成分は土の中に留まりやすく、たんぱく質を抜きたい実りの時期にも効いてしまうことがあります。その点、水田の稲株の状況を見極めながら、ポイントで化学肥料を使うという方法が安定して高い食味を維持できる農法ではないでしょうか。”

有機培土で育てるほんまる農園の苗作り 土中水分量の調整が難しくハウス内の気温が上がり過ぎないよう管理を怠らない

有機培土で育てるほんまる農園の苗作り 土中水分量の調整が難しくハウス内の気温が上がり過ぎないよう管理を怠らない

ほんまる農園では、水田・畑に生息する生き物に配慮した環境保全型農業で作物を生産していますが、本間さんの考え方は、有機農法や慣行農法といった垣根なく、あくまで安全性や美味しさなど様々な観点で、それぞれにプロが存在するということ。

“生き物豊かな田んぼや畑でこの場所、この地域にある資源を利用して循環する農業を心掛けていますが、一方で適切な量で農薬や化学肥料を用い、納期を守って大量の農産物を生産するプロの農家さんがあってこそ一般野菜が流通しており、一概に有機野菜だけが安全で美味しいとは思っていません。農業にも生産や販売に様々な形態があることを生産者も認め合い、消費者に寄り添いつつ、それぞれの立場でなるべく環境負荷の少ない農業が求められると思います。”

種まきをした苗床の上に、敷きワラと不織布を2重にかけて防寒対策をして育ったそら豆の苗

種まきをした苗床の上に、敷きワラと不織布
を2重にかけて防寒対策をして育ったそら豆
の苗

NPO法人南房総リパブリックとの出会い

植物生態学の研究者として、農業にも科学的視点で取り組む本間さんは、本業に加えて、2地域居住を推進するNPO法人南房総リパブリックで里山学校の講師も務め、南房総の生態系をレクチャーしています。

NPO法人南房総リパブリックの里山学校「ビワ山ハイキング」でレクチャーする本間さん

NPO法人南房総リパブリックの里山学校「ビワ山ハイキング」でレクチャーする本間さん

“まだ酪農もやっていた頃に、我が家で生まれた一匹の子牛がご縁を紡いでくれて、現NPO理事長の馬場未織さんと出会いました。馬場さんは、東京で生まれ育った建築ライターさんですが、私が南房総で就農したのとほぼ同じ時期に、家族で南房総に家をもち、週末を南房総で暮らす2地域居住を始めた方です。その後2地域居住の推進に取り組むNPO法人南房総リパブリックが立ち上がると、里山学校を担当させて頂くことになりました。”

大人と子どもを無邪気にさせる里山学校

“里山学校では、山や川、田んぼや畑、といった里山の中に入って、そこに暮らしている生き物を観察しながら探検します。子ども向けの体験かと思われるのですが、意識的に比較的難易度の高い生き物の観察や説明をしているため、実は保護者の方が無邪気に盛り上がる場面も多いんですよ(笑)。また、都会では見られなくなった希少な生き物もいて、解説している自分も改めて南房総に残る自然の豊かさに気づかされます。”

南房総市平久里川にて川の生き物観察を行う里山学校の様子

南房総市平久里川にて川の生き物観察を行う里山学校の様子

NPO法人南房総リパブリックは、枇杷山のハイキングや夏の川の生き物観察、正月用のしめ縄作りから、初春の食べられる野草の採集まで、年間を通じて幅の広い里山体験を企画しています。里山学校は、募集が始まるとすぐに満員となり、また3割ほどをリピーターの家族が占めるなど人気のプログラムです。

“南房総は黒潮の影響で冬が比較的暖かいということもあって、ハマオモト、ヤマモモやフウトウカズラといった、この地を北限とする南方系植物も多く、全国各地の植物が観察できる地域なんです。タカラガイのような身近な貝殻でも多くの種類が北限をなしています。そして何より、丘陵地や川、海や山といった里山、里海の風景と生態系がコンパクトにまとまっているところが魅力ですね。”

『里山のつる性植物』

本間さんはプロのカメラマンとしても活動しており、2015年に出版となった『里山のつる性植物-観察の楽しみ』(谷川栄子著、NHK出版)でもすべての植物の写真を担当しています。その中に登場する約7割の植物は、南房総で撮影した写真とのこと。本間さんの植物への造詣と日頃の観察眼を窺がわせますが、南房総の植生の豊かさを示す証拠ともいえるでしょう。

地域を活気づける2地域居住と多様性

こうして、生物の研究者、里山学校の講師、カメラマンとしても活動する農家である本間秀和さんですが、南房総に帰ってきてから、地域の未来についてはどのようにお考えなのでしょうか。

“NPOの活動に参画させてもらって、南房総をフィールドにした都市と農村の交流が、都市住民の自然体験の場だけでなく、地域住民の活力に繋がっていることを感じます。長年同じ地域に暮らすと、土地にどんな魅力があるのか、気付かなくなってしまうこともあると思うんです。高齢化で人口も減る一方ですが、この地域を客観的に評価してくれる人々と直接触れ合うことは、地元住民の良い刺激となっています。”

館山市那古海岸で海浜植物ハマヒルガオを撮影する本間さん

館山市那古海岸で海浜植物ハマヒルガオを
撮影する本間さん

“また、地域活性化にも様々な観点がありますが、全国的にみても自然豊かな南房総では、都市との距離を生かしたサスティナブルな自然の活用が望まれると考えています。そこで、別荘のように家を建てるだけではなく、家の周辺環境の維持管理や地域活動も含めて、里山を存分に楽しもうという2地域居住のあり方は貴重なものです。都会にも仕事や住居があるからこそ南房総の良さをよく理解して、地域の未来を共に考えることができます。そんな人々との多様な交流が南房総を活気づけるのではないかと、今後もそのサポートをしていきたいと思っています。”

NPOが開催する里山学校にて約20倍のルーペで植物や虫を観察する大人と子ども達

NPOが開催する里山学校にて約20倍のルーペで植物や虫を観察する大人と子ども達

人口が減少する地域では、先ずは移住者を増やそうという発想になりがちですが、昨今都会にはない地方の面白さに目を転じた人々による新しい暮らし方も増えつつあります。かつての別荘、セカンドハウスとの大きな違いは、特定の地域との関わりが深まり第二の故郷のように地域生活を実践すること。こうした人々は、地域課題を現場で理解しつつ、都会の視点をもってその解決に向けて協働することができる点で、活性化に重要な役割を果たしていると本間さんは語ります。これからも南房総の自然と都市住民とのパイプ役として、里山の奥深さを伝えていってほしいと思います。

文:東 洋平