球界の地域振興マネージャーが小さな漁村の活性化を目指す/高瀬智弘さん
昨今都会で活躍する現役ワーカーが地方へ移住することも珍しくない時代に入りました。ビジネスの中心地で磨かれた経営力やアイディアセンスをもとに客観的に地域の「良さ」を見極め、これを活性化に生かそうとする人々に注目が集まります。今回は、長年千葉ロッテマリーンズの企画広報を担当してきた高瀬智弘さんに、千葉県鴨川市の太海地区に移住した経緯や太海で始めた事業とその展望についてお話を伺いました。
後輩から届いた新聞の切り抜き
高瀬智弘さんの生まれは三重県。幼少期から野球一筋で過ごし、静岡県にある日本大学国際関係学部在学中にはオール東海選抜のキャプテンとしてチームを日本一に導きました。しかし、目指していたプロ野球の壁は高く、その後就職した先はノースウエスト航空。ここで3年半ほど勤めた頃に一通の便りが届きました。
“1996年のある日、大学の後輩から送られてきた封筒の中に「千葉マリンスタジアムを満員にできる人募集」と書いてある小さな新聞広告の切り抜きが入っていたんです。その後輩は、僕が就活中に球界で働きたいと12球団すべてに電話をかけていたことを知っていたので、この募集にピンときたのでしょう。というのも当時球団が外部採用を行うことはほとんどなかったんですね。”
“僕はといえば、就職しても会社で草野球チームを作ったり、休憩中壁当てをしたり(笑)と、野球に対する思いは変わりませんでしたので、これはチャンスと即応募することにしました。有り難いことに航空会社での勤務で旅費がかからなかったので、メジャーリーグを何度も観戦しては日本でもこんなことできないかなぁと漠然と考えていたことが、応募する企画書作りに役立ちました。”
「もう1人、もう一回、もう一秒」
念願かなって千葉ロッテマリーンズで企画広報を担当することになった高瀬さんは、1995年に就任したバレンタイン監督の「ファンサービス」という新しい概念を具体化するように、それまでの球界にはなかったアイディアを次々と実現させていきます。
“興業における原則として「もう1人、もう一回、もう一秒」という考え方があります。未だ野球の楽しさを知らない人にいかに来てもらって、リピーターとなって、長く球場にいてもらえるかどうかがテーマです。そこで僕は、すでに来てくださっているお客さんへのファンサービスは当然のこととして、球団の広報は球場の外へ積極的に出るべきだと提案しました。”
地域との接点を第一としたファンサービス
“その一つとしてM☆Splash!!というチアリーダー達の活動が挙げられると思います。地域のイベントや小中学校などで彼女たちのパフォーマンスをさせてもらい、その後「ダンス・アカデミー」を立ち上げて地域の子どもたちにダンスを教える取り組みに広げていきました。当時は、まずもって小学生の女の子は野球観戦には来ませんでしたが、こうして違った角度からマリーンズと接点を持ってもらうことで、子どもとその親御さん含め、目に見えて家族の入場者が増えていきました。”
地域との接点を第一とした高瀬さんら企画担当の数々のアイディアと努力が受け入れられるとともに、千葉ロッテマリーンズは「ファンサービス」の高い球団として、着実に来場者数が伸びていきました。その後高瀬さんの地域振興への思いは、野球だけでなく、サッカーやバスケットボール、バレーボールなど県内のプロスポーツが初めて一同に集まった「ちば夢チャレンジ プロスポーツフェスタ」に実を結ぶことになります。
鴨川市太海を選んだ2つの理由
それでは18年間「寝食を忘れて」千葉ロッテマリーンズのファンを増やすことに力を注いできた高瀬さんが、どうして鴨川市の太海に移住することになったのでしょうか?
“大きく分けて二つありまして、一つはいつか海辺で暮らしたいという夢があったことです。僕は三重県の自然の多い田舎で生まれ育ったんですが、その実家でも静岡でも幕張でも海の近くに住んでいたものの、海が見えなくて…。そこで仕事で各地を訪れては、いずれ住むための候補地を探していました。そんな中マリーンズの秋季キャンプが鴨川で行われることになって、太海を案内された時に一目惚れしてしまったんです。完全にノーチェックでしたね(笑)。”
“太海を最初に訪れたのは2010年でしたが、その次の年に東北大震災が起きました。こんな時にこそ、球界は人々を元気づけなくては、そんな気持ちで後先構わずに現地へ向かいました。するとそこには多くの遺体を運ぶ人々がおり、仮設住宅を回って話は聞けても何もすることができず、全くの無力でした。しかし、被災地支援活動を通じて、人生は一回きりで、いつ終わるのかわからないと実感しました。この経験が、夢を夢とせず、すぐに実行に移そうと太海に家を借りる決心に繋がりました。”
海辺の古民家を自らリノベーション
震災の経験から、高瀬さんは早速2011年夏に太海に家を借りて海浜幕張との2地域居住をスタートさせました。しかし、この太海で住み始めた家こそが、新しい人生、次なる地域振興計画の始まりだったともいえます。
“家はここだと決めていたんです。柱が腐って全体が傾き、30年以上放置されていた古い民家でしたが(笑)、物件を探している頃から空間デザインの勉強もしていたので、自分でリノベーションしたいなぁという思いがあって。そこで管理している東京の不動産屋に連絡すると、昔から社長が所有している物件で、売りたくはないけど、貸すならタダ同然でよい、というんですね。これには驚きでした。”
“太海は小さな漁村ですが、ピーク時には120件もの民宿が営業していたといいます。コンパクトにまとまったプライベートビーチのような美しい海、新鮮な魚、明治期から続く鰹節屋とたくさんの魅力が凝縮されていますが、高齢化や観光ニーズの変化で、空き家や空き物件が増えています。リノベーションをするうちに地域の人と関わって、こうした地域の背景を知ることになりました。”
小さな漁村で新たな夢が芽生える
これまで何万という多くの人を相手に企画を進めてきた高瀬さんでしたが、地域の人々と触れ合ううちに、太海地区で目の前にいる人の「笑顔を増やしたい」という新しい人生の目標が出来たといいます。
“僕自身の興業に対する強いモチベーションはいつも「関わった人々みんなが笑顔でいること」です。2011年から太海に住み始めて、当初田舎の漁村というと閉鎖的で排他的なイメージがありましたが、リノベーションを手伝いにきてくれたり、日々の何気ない挨拶、温かい人の心に、この地域への愛着がどんどん湧いてきました。そして、3年が経ち、いつしかこの地域全体を、そして直接目の前の人を笑顔にしたいという新しい夢が心に芽生えたんです。”
「浜茶屋太海」で特産品をプロデュース
2015年の冬、高瀬さんは千葉ロッテマリーンズでの仕事を退き、太海地区の海岸線に「浜茶屋太海」というカフェと「サンキューハウス」というシェアハウスをオープンしました。最後に、高瀬さんが太海で始めた事業と展望についてお聞きしてみましょう。
“まず何をやろうかなと思った時に、人が集まれる場所を作ろうと思い、一昔前に居酒屋だった物件をリノベーションしてカフェを始めました。といっても飲食業なんて未経験なので最初はどこから手を付けてよいやら(笑)。ただ、素材は太海、そして鴨川にこだわろうということは決めていました。この地域で最も旨いとされる曽呂米と太海の鰹節を使った丼や鴨川の甘夏を利用して幕張ベイタウンの友人シェフにスイーツを作ってもらうなど、徐々にメニューが増えていきました。”
“一押しは、「おさしみ唐あげ」です。その日に獲れた魚を近所の魚屋から仕入れ、日本唐揚協会の会長に指導してもらった揚げ方で唐揚げにしました。刺身を唐揚げに?って想像できないかもしれませんが、鴨川では季節ごとに最高に脂がのった魚が獲れるので、パリッとした食感とジューシーな魚の味わいがコラボして、とても美味しいです。魚離れが久しいと言われる現代ですが、この食べ方自体を普及できればと「唐揚げグランプリ」に来年1月にエントリーします!”
太海を愛する人々が集う「サンキューハウス」
高瀬さんが移住したことを知ると、前職を通じた多くの知り合いが太海を訪れるようになりました。中には、高瀬さんと同じように太海の魅力に心打たれ、住みたいという人も。そこでできたのが、元干物屋と民宿だった施設を利用したシェアハウスでした。
“観光も球団の興業と同じく「もう1人、もう一回、もう一秒」という原則は変わらないと思います。今は仲間たちが第一団アンバサダーとして太海を広めてくれていますが(笑)、今後1人でも多くの太海を知らない人に来てもらって、リピーターとなり、空き家、空き物件を活用できたらと考えています。また、聞いてみると食事や風呂の準備はできないけど、泊めるだけならOKという民宿も沢山あるので、地域内で役割を分担することで、民宿が復活する可能性だってあるはず。いずれ、お風呂を作ります(笑)。”
高瀬さんが構想している地域の活性化策は「太海まるごと宿泊地」計画。一軒で提供する宿泊サービスと異なり、食事や風呂、遊び場、リラクゼーションなど地域全体で分担して提供しようというもの。高齢化や担い手不足への対策でもありますが、観光客により一層太海の良さを知ってもらうための具体的な手法ともいえます。すでに「サンキューハウス」は満室ですが、これも高瀬さんの地域への純粋な思いが利用者へ伝わってのこと。これからも地域住民や店舗と協力して、計画を実現させてほしいと思います。
文:東 洋平
Facebookページ:
浜茶屋太海
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