幻のシイタケ黒香 山に生きる人々の千年の情熱/熊本県菊池市
香りが特上のトリュフに例えられる幻の椎茸をご存知でしょうか?
味が濃厚で香りが強すぎるという癖あればこそ、この椎茸でなければ、というファンたちに根強い人気があり、生産されれば間もなく完売になってしまいます。
この椎茸を名付けて「黒香」。
色の黒さを熊本弁で「くろか~」と表現されることが多いことから、しゃれて「黒香」と名付けられたのだそうです。
その「黒香」が生産されるのは日本全国で一か所だけ。
熊本県菊池市の山間部にある龍門地区のみなのです。
「黒香」を生み出した風土
菊池市は熊本県の最北部にあります。
南北朝時代、菊池氏一族は現在の菊池市隈府のあたりを本拠として栄華を誇り、一時は大宰府に西政府を置き九州統一を果たしました。
その菊池の奥の院ともいうべき場所が、その隈府の街から10キロ以上北上した、大分県との県境にほど近い龍門(りゅうもん)地区。千年の昔から、狭い田畑を耕し、炭焼きを生業とする人々が代々生きてきた地です。
「黒香」生産の「原木椎茸こだわり会・黒香」現会長の緒方啓一さんの家は龍門でも最奥部の穴川地区にあります。
「ここはホンに綺麗かとこばい」
目を細め穏やかに語る緒方さんの言うとおり、龍門は素晴らしい風物に恵まれています。
山々に囲まれたこの地での暮らしは厳しいものであったはずですが、近代に入り様々な技術が開発されると、農家の人たちの生活は大きく変化しました。
椎茸栽培の技術変革
森産業の創業者森喜作氏は、それまで博打とも言えるほど計画的な生産が困難であった椎茸の育成を、種駒を使うことにより、生産管理の可能な「産業」に改革したのです。
種駒というのは木片に椎茸菌を繁殖させたもので、この木片をほだ木に植えつけ椎茸を育てる生産方法の登場は画期的でした。
山間部の人々は、時のエネルギー革命により炭焼きの仕事を廃業せざるを得なかったのですが、この方法により椎茸栽培の仕事にうまくシフトしていくことができたのです。
品種改良は進み、やがて誕生したのが「204」と銘打たれた品種で、これは一時代を築きました。
その後時代が変わりさらに改良がなされていくにつれ、肉厚で姿もよく、また管理もしやすい椎茸が次々に生み出されると、204は時代遅れなものとなってしまいました。
204は姿が武骨で不揃い、新しい品種と違い年に一度しか収穫ができず、ほだ木からもぎ取りにくく、生産性と流通の両面からして劣った製品となってしまったのです。平成5年には種駒の供給が途絶え生産は完全にストップします。
しかし、その味と香りは依然として最高と評されており、一部のお客さんからはその生産終了を惜しむ声が途絶えませんでした。そこで立ち上がったのが龍門地区のとある10件の農家でした。
「こだわりの会」のこだわり
「お客さんが望んでくれる限り、本当に美味い椎茸を作ろう」
204にこだわる農家さんを助けようと、採算を度外視してバックアップする熊本県椎茸農業協同組合や、204の種駒を冷凍保存して廃棄しなかった森産業株式会社の種駒への情熱もそれを助けました。
椎茸農協の田邉克洋さんも森産業の森竹千代光熊本出張所所長も、何度も龍門の人々と山に入り、共に重労働を分かち合いつつ椎茸栽培を研究し続けました。
とはいえその道は険しく、何度かの挫折もありましたが、今では5戸の農家が「こだわりの会」として結束し、204を作り続けています。
そして今、204は「黒香」と名付けられました。
長く苦しい売れ行き低調の時期を経て後、そのネーミングがブランド化したため、やがて「黒香」は作ればすぐ売り切れるヒット商品となりました。
生産や流通の合理性だけが求められる時代が過ぎ、本物が求められる時代のお陰もあったでしょう。しかし、それでも「黒香」の生産で黒字化は不可能です。
生産性の悪さから儲かるほどの量は作れないからです。
では、なぜ彼らは「黒香」にこだわり続けるのか。
緒方会長は、「評判となった「黒香」で話題性が作れれば、椎茸だけでなく他の製品も売れるごつなるばい」と笑います。
その明るく前向きな姿勢は菊池人のたくましさなのでしょうか。
同じく、「こだわりの会」の山本博之さんは言います。
「先のことを考えれば、後継者があるかなどの問題はある、しかし「黒香」づくりに迷いはなか、毎日楽しく仕事させてもらってます」
父親の清廣さんの跡を継いだ二代目として、まだ40歳代の博之さんは生産農家の最若手として胸を張ります。
明日へと引き継がれる意志の力
山本さん一家は20年前、故郷班蛇口地区に龍門ダムが建設されたことで住まいが菊池市の中心部に替わりました。
「生活は便利になり、山では椎茸作りの仕事ができる、今が一番幸せ」と、父親の清廣さんは語ります。時代の移ろいとともに山の人々の生活も変化しましたが、「黒香」と呼ばれるようになった204はそれを生き延びてきたのです。
千年の時代の変化を乗り切り、たくましくその存在を主張していく。
「黒香」のありようは、まるで龍門地区の人々の姿そのもののようにも思えます。彼らが追い求めているのは合理性でも利益でもない、別の何かなのでしょう。そして龍門ダムの湖水に映る美しい山々は、きっとそれを知っているのです。
文:菊池市地域おこし協力隊 橋本眞也