ローカルニッポン

農業の未来をパッションで切り拓く/梁寛樹さん

書き手:東洋平
千葉県館山市在住のライター。2011年都内の大学卒業後に未就職で移住する。イベントの企画や無農薬の米作りなど地域活動を実践しつつ、ライターとして独立。Think Global, Act Localがモットー。

日本の農業は高齢化率が6割を超え、後継者不足にともなって耕作放棄地の増加、国内自給率の低下など数々の課題に長らく直面していますが、その一方でこれまでにはない手法で農業に挑む若者もいます。千葉県館山市にて品質にこだわったパッションフルーツを栽培するのは梁寛樹さん。農家出身でもなく、農業を学んだこともなかった梁さんは、なぜ東京から館山市に移住し農家の道を歩み始めたのでしょうか。梁さんが営む新しい農業とその思いについてお話を聞いてみたいと思います。

大手メーカー勤務からの思い切った決断

館山市の薗(その)という地域で、高齢農家が使わなくなった大型のハウスを引き継ぎ南房総最大規模のパッションフルーツ農園を運営するのが満31歳の梁寛樹さん。梁さんは東京都杉並区に生まれ育ち、中高一貫の早稲田実業高校、早稲田大学国際教養学部に進学の後、4年前までは都内大手メーカーに勤めていました。

梁寛樹さん RYO’S FARM6棟のハウスの前で

梁寛樹さん RYO’S FARM6棟のハウスの前で

“日本の良い製品を世界に届けたいという思いから、国内外に自社製品を販売するメーカーに就職し、マーケティングや広報を担当していました。貴重な経験を積ませてもらっていたのですが、入社して間もなく思い描いていた仕事とのギャップを感じるようになりました。大きな会社で、仕事の分業が進んでおり、より広範囲に製品をプロデュースしたかった自分には、なかなかやり甲斐を感じることができなかったのです。”

“そんな中、毎朝新聞をチェックしていると「日本の農業が危ない」といった記事に目が留まるようになりました。なぜ長らく低迷しているのだろうか?もっと違う方法があるのではないか?個人的な関心が高まり、生産物をゼロから創る農業という職種に魅力を感じるようになりました。そしてもし、縁もゆかりもない僕のような人間が農業で身を立てることができれば、農業の未来を明るく変えられるのではないか、と考えるようになったのです。”

地域おこし協力隊として館山へ

仕事の傍ら区民農園で作物を栽培し、WWOOF(無償労働により農場で暮らす仕組み)を利用して父島で農業研修を受けるなど、農業への関わり方を模索していた梁さんは、館山市での「地域おこし協力隊」の募集を知ることになります。

パッションフルーツの生育が進むRYO’S FARMのハウスの中

パッションフルーツの生育が進むRYO’S FARMのハウスの中

“入社して4年目に入った頃、農業振興を目的とした地域おこし協力隊の募集が館山市で始まったことを知って、退社を決めこれに応募しました。もともとサーフィンが好きでよく通っていたので、館山には親近感もありましたね。その時はまだ、マーケティングや広報の経験を活かして農産物の販売に従事するのか、はたまた農産物の生産者になるのか決めかねていたので、現場で農業を学びながら自分にあったスタイルを吟味できる地域おこし協力隊の制度にも共感できました。”

師匠森宅さんとの出会い

2012年6月に地域おこし協力隊として本格的に始まった梁さんによる農業の挑戦。早速1年目から多様な品目を栽培する農家、様々な農業経営に携わることになります。

“地域農業の中に入ってみて不思議だなと感じることが多々ありました。まず、隣近所で同じ生産物を栽培していても競合他社とみなされないことです。それぞれの農家によって生産物の味が違うのに、形などの規格さえ揃えば、それ以上の品質は求められません。そして何より、市場に卸すと生産物の価格を農家自身が決められないのです。僕個人はあくまで異業種から新規参入した者として、自分だからこそ感じる違和感を大切にして、新しい農業にアプローチしていきたいと心に決めました。”

地域おこし協力隊として森宅農園で研修中の梁さんと森宅俊男さん(中央)

地域おこし協力隊として森宅農園で研修中の梁さんと森宅俊男さん(中央)

“そんな時に市職員の紹介で出会ったのが、マンゴー農家の森宅さんです。近年、農業分野では盛んに「地域ブランド」を作ろうという動きがありますが、森宅さんは「森宅農園のブランド化」に力を入れていました。共同出荷で形を揃えても、味は生産者によって変わるもので、地域ブランドの創出は容易なことではありません。ならばとことん己の作る産品を追求して、味で勝負しよう。これが森宅さんの考えでした。この森宅さんの厳しくも温かい3年間の研修指導のお陰で、今の自分があると思っています。”

パッションフルーツ農家として独立

森宅農園で研修期間中から、自身が取り組む産品の検証や実験栽培を続けてきた梁さんは、温暖な南房総ならではの果樹栽培に的を絞り、パッションフルーツに辿りつきました。

一本の樹から数個しか収穫できない大玉(100g以上)を「森のルビー」と名づける

一本の樹から数個しか収穫できない大玉(100g以上)を「森のルビー」と名づける

“マンゴーは、どうしても冬の暖房費がかかることと、苗を育ててから実が成熟するまで4~5年はかかるので新規で取り組むのは難しいと断念しました。他にアボカドにも目を付けたのですが、日本で販売されている9割以上を占めるメキシコ産と差別化を図るために珍しい品種なども栽培してみて、そこまで食味に差異がなかったのですね。また近年野菜が「フルーツ」と扱われれば単価が上がりますが、その逆にアボカドは果樹でありながら、日本では「野菜」の印象が強く、価値を高めにくいと判断しました。”

“その点パッションフルーツは耐寒気温が5℃と果樹の中では比較的寒さに強く、南房総では夏と冬の二期収穫することができます。また栄養や美容効果など少しずつ知名度は上がっているものの、一般的には珍しい果物です。自分が手塩をかけることによって、まだまだ伸び代もあると感じました。何より新しい農業を切り拓くんだという自分の中にある「情熱」と「パッション」というネーミングが響き合いましたね(笑)。”

パッションフルーツの花

パッションフルーツの花

400坪のハウスで丁寧に育てた果実を直接販売

こうして品目を定めた梁さんは、引き継ぎ手が見つからず困っていた高齢のカーネーション農家から400坪のハウスを借り受け、約200本のパッションフルーツとともにRYO’S FARMをスタートしました。

実が赤くなる頃に全ての玉をピンチで留める

実が赤くなる頃に全ての玉をピンチで留める

“パッションフルーツは甘いよりも酸っぱいという印象をお持ちの方も多いかもしれませんが、これは完熟して落果した時に内被が剥がれてしまうことも関わっているんですね。そのため一玉一玉ピンチで留めて、樹の上で完熟するように育てています。また、成らせる実の数を制限して大玉の実をつけさせたり、こまめに芽をかくことで風通しをよくして病気や虫を寄せつけないように心がけています。手間はかかりますが、こうして一玉ずつ丁寧に育てることで高品質なパッションフルーツができ、ほとんど農薬も使わずに栽培できるようになりました。”

RYO’S FARMで育ったパッションフルーツは、市場出荷することなく全てマルシェやネット通販などで個人消費者へ直接販売しています。特に3年前から出店を続けている青山の国連大学前で開催している「ファーマーズマーケット」では、回数を重ねるごとにリピートするお客さんも増え、今夏パッションフルーツは見事完売したとのこと。

「ファーマーズマーケット」に出店する梁さん (写真提供:小林俊仁)

「ファーマーズマーケット」に出店する梁さん (写真提供:小林俊仁)

加工品リリコイバターを自ら開発

そして、マルシェから発展して2015年に生まれた商品が「リリコイバター」。梁さん自らパッションフルーツ(ハワイ語で「リリコイ」)をペーストにして、厳選した国産バター、卵、砂糖と混ぜて煮込み、「バタージャム」という新感覚の商品に仕上げました。

“農家自ら生産物を販売することは、むしろ積極的に行っていましたが、もともと農家が加工品を手掛けて販売する「6次産業化」は無謀だと思っていました。加工品となると、競合は主に食品会社となり、こうした企業の食味に関する分析やコスト削減、発信力に、一生産者が太刀打ちできるはずがないと考えていたからです。しかし、マルシェのお客様からハワイで人気のリリコイバターを作ってみてはとの声を受けて、試しに挑戦してみると有難い誤算がありました。”

ハワイのリリコイバターと異なり種が入っているため、食感も定評のあるRYO’S FARMのリリコイバター

ハワイのリリコイバターと異なり種が入っているため、食感も定評のあるRYO’S FARMのリリコイバター

“自分ひとりで瓶詰めまで行っているため、あまり多くの量は作れないのですが、リリコイバターを生のパッションフルーツと一緒にマルシェに持っていくと、相乗効果が生まれたのです。農家の前に原材料となる生産物と加工品が並ぶことでストーリーが生まれ、そのことがお客様に喜んでもらえたようです。これは食品会社では成せない販売方法だと感じました。ぜひ多くの人に一度味わって頂きたい一品です。”

「農業の再生なくして地方の再生ならず」をモットーに自ら過疎地域に飛び込み、現場で試行錯誤を続けた後パッションフルーツ農家として独立した梁さん。ジャム感覚のバターというカテゴリー作りやデザイン、プレスリリースの発信など、メーカー時代に培った商品開発の経験も生かし、今年の成果をもとに来年からは繁忙期にお手伝いを頼むなどして生産量も伸ばしたいと意気込みも充分です。梁さんのような異業種からの若い担い手による挑戦が実を結び、日本農業の後継者不足が少しでも解消されていくことを期待したいと思います。

文:東 洋平