料理界のパイオニアが語る地産地消と故郷への思い/川上文代さん
千葉県館山市在住のライター。2011年都内の大学卒業後に未就職で移住する。イベントの企画や無農薬の米作りなど地域活動を実践しつつ、ライターとして独立。Think Global, Act Localがモットー。
世界三大料理学校の1つと言われる辻調理師専門学校の西洋料理で女性初の講師として教壇に立ち、独立後は渋谷区にて料理教室「デリス・ド・キュイエール」を主宰し、100冊以上の著作活動や多数のテレビ番組出演をこなす料理研究家・シェフでもある川上文代さん。本格フレンチだけでなく、家庭料理でも楽しめる幅の広い料理方法の提案は世代を超えて支持されています。そんな川上さんの出身は千葉県館山市。「館山クッキング大使」として、故郷を積極的に応援する川上さんに地産地消や食文化への取り組みについてお聞きしました。
海の幸、山の幸に恵まれて育った幼少期
川上さんが生まれたのは、房総半島南端の館山市長須賀という海に近い旧城下町。幼少期の経験を聞くと、その頃に戻ったように当時にタイムスリップ。
“夏は毎日浮き輪をつけたまま歩いて海に通ってましたね~(笑)!今では贅沢ですが、父が仲の良かった海女さんのところに行き、海に潜っている間、トウモロコシなどをもいで炭焼きして待ち、獲れたてのアワビやサザエの踊り焼きや、伊勢海老をぶつ切りにした具足煮を海女小屋で食べたり。実家では家庭菜園のネギや、いんげんや、菜花など摘み立てをザク切りにした具だくさんの「どんぶり味噌汁」や、母親が事務をしていた市場のセリで余った新鮮な海の幸、山の幸に囲まれた生活をしていました。”
“その頃は当たり前の風景だったけれど、今では故郷の潮風が懐かしく、澄んだ青空に輝く太陽に元気をもらい、砂浜から眺める海越しの富士山の雄大さ、満天の星空やお月様を見上げて癒され、自然の恩恵にあやかれるかと思うと、帰省に心が踊ります。”
“2月に『くすりになる味噌汁』という本を出版しましたが、世界のスーパーフードの一つに数えられる「味噌汁」を、現代の人がより身近に食べやすいように工夫して紹介しています。食は車で言えばガソリンであり、身体のエネルギー源、内面から人をキレイにする力があります。新鮮な旬の野菜を美味しく食べて、心も体も健康でいること、私がこうした視点から食や料理を探求してきたのも、館山で生まれ育ったことが関係しています。”
地元産品で新感覚の健康的なスイーツ「いちじく寒天」をプロデュース
そんな川上さんが館山市から「館山クッキング大使」の委嘱を受けたのは2010年。毎年開催する「親子クッキング教室」をはじめ、地元の生産物を使った90作品を超える家庭料理のレシピ考案など、市内の地産地消を積極的に推進しています。
“2014年にご当地スイーツ「いちじく寒天」のレシピをプロデュースしました。「いちじく」というとそこまで見慣れた果物ではありませんが、実はここ館山は昔から庭で自然に実るほどに土地や気候に適した作物です。市場には出せない規格外品をピューレにすることで、長期間保存し提供できるだけでなく、地元生産者の応援や事業者との連携にも繋がっています。”
“また、いちじくは紫色の皮にポリフェノールが多く、抗がん作用が注目のベストアルデヒドやタンパク質を分解するプロテアーゼなどが含まれ、健康や美容にも効果が期待できる胃腸にやさしい果物なんですね。そして寒天の原材料となる天草(てんぐさ)は、嵐の翌朝に私もよく浜辺に取りに行ったものでした。より館山らしさを前に出した商品を考えた時に、このコラボレーションがピンときたんです。天草は海藻なのでミネラル成分もたっぷりです。スイーツでありながら、身体によい新感覚のデザートを意識しました。私のレシピを基にホテルや旅館、飲食店などで工夫をこらしたオリジナルメニューが沢山生まれています。「いちじく寒天フェア!」は9月から11月に開催されますので、ぜひ館山で「いちじく寒天」を食べてみてください。”
旬を楽しむ「じのもん野菜料理コンテスト」
2017年3月で3回目となる「じのもん野菜料理コンテスト」は、市内10箇所ある直売所の協議会「アグリッシュたてやま」が主催する地元野菜を使ったレシピや食べ方のアイディア大会。川上さんは特別審査員を務めています。
“今年も77作品もの応募があり、皆さんの関心の高さに驚きました。特に今年からは「アイディア料理レシピ部門」のほかに「アイディア簡単食べ方部門」が新設され、いかに手軽に美味しく、地元食材を食べるかという観点でもユニークな作品が沢山集まりました。グランプリを目指すことは大事なことですが、自ら地元食材でレシピを考えて料理をすることには、コンテストに参加するだけでも多くの意義があると思います。”
“今や年中どんな食材も手に入りますが、野菜は旬の時期が最も栄養価が高く、かつ地元産であれば新鮮です。地域でどんな野菜が作られているか知ることは、「旬」を知ることになり、また土地について理解を深めることは、地域や生産者を思う心も育まれ、郷土料理の伝承にもつながります。そして料理は、買い出しから片付けまで考えると、想像以上に頭と身体を使います。これが料理が呆け防止に最適と言われる所以ですね(笑)。コンテストをきっかけに、地域の食材に興味を持って料理を楽しむ人が増えてほしいと願っています。”
友達につくった料理
このようにご自身の経験を余すことなく故郷館山に還元する川上さんですが、料理人としてのキャリアを積みはじめたのは、学生時代のある出来事がきっかけとなっています。
“小さな頃から食いしん坊で自分で美味しい料理を作りたいと思い、中学校3年生から4年間、実家近くの「池田幸恵料理教室」に通ってたんです。高校では弓道部に所属していたのですが、習った料理やケーキを作って持って行ったら、「こんな美味しい料理が作れるなんて、すごいよ!」と、部活仲間から絶賛されました。こんなに褒められたり、喜んでもらえることがなかっただけに、益々料理作りが楽しくなり、料理の世界に魅了されていったのです。”
周囲の反対を押し切って女性料理人の道を切り開く
大阪あべの辻調理師専門学校へ入学して、その後ストレートに講師を任されることになった川上さんですが、その道のりは決して平易なものではありませんでした。
“高校卒業後には栄養大学に行って、その後に料理の道にと言う話をしていましたが、料理が楽しすぎて「合格した大学より、調理師学校に行って早く一流の料理人になりたい」という意志を貫いて親を説得した経緯があります。30数年前、「シェフは男性」が当たり前だった時代ですから、女学生は1割にも満たず、就職先も不安定でした。学校が終わってから飲食店でアルバイトをして厨房に入り、毎日ヘトヘトでしたが、絶対負けられないという一心でした。言い切って大阪まで行った以上、途中でメソメソ帰ることなんてできません(笑)。”
“また、辻調理師専門学校にはフランス校があるのですが、どうしても本場フランスで料理を勉強したいという夢がありました。しかし高額な学費を親に出してもらうことはできません。残された道は、講師になってフランス行きの扉を開けるしかなかったんです。学校の就職も無事クリアし、無我夢中で働いた6年後には料理部門では学校創立以来初の女性講師として登壇させてもらうまでになりました。そして間もなく「来月からフランス校で勤務をしてもらいます。」と告げられた時は、「女性の勤務はあり得ない」と言われていただけに、何を言われたか把握できず、今までの人生でもこの瞬間ほど歓喜したことはありません!現在は女性講師も後に続き、学生の4割ほどが女性で、素晴らしい女性料理人が増えたことは、とても喜ばしいことです。”
世界中の美味しい料理を家庭で楽しんでもらうために
国立市に辻調理師専門学校の東京校が設立されると同時に帰国し、その後も5年間の講師生活を送っていた川上さんは、30歳の節目にある大きな決断をすることになります。
“女性の30歳ともなれば、自然と結婚や出産というテーマが浮上してくる時期です。そうした人生を避けていたわけではないですが、「私の女性としての幸せを願う親」のことを思うと、家庭生活に入るべきかと真剣に悩みましたね。そして、その結果自分がどこまでやれるのか試そうと決心しました。ちょうど30歳の誕生日に、1年後に退職するとの辞表を学校に提出しました。そして1年かけて準備を進め「デリス・ド・キュイエール」を立ち上げたんです。”
“それまで一流の料理を作ること、教えることに専念してきましたが、一般家庭で再現するには限界があります。教室では渋谷と言う場所柄、世界三大珍味も含め業者さんから何でも手に入るので、生徒さんには実際に本物の味を知ってもらい、並行してスーパーで売っているものでも工夫して指導しています。美味しく作るポイントはそのままに、食材や調理器具を家庭レベルに落とし込み、丁寧に説明できるのも、本場を知っているからこその強みです。今も海外での料理研修に出かけたり、完全予約制のレストランを時々開いたり、料理の勉強に余念はありません。世界中にある美味しい料理を、より多くの人に身近に楽しんでほしい。30代で新しく始めた料理教室や著作活動は、そんな思いからスタートし、その夢の実現に向けて動き出しました。”
料理がつなぐ、地産地消と地域活性化
川上さんは、世界中の料理を家庭で作る料理法の研究を進め、数多くの著作の発表やメディアでの発信により、その道の第一人者となりました。中でも17冊に及ぶ『教科書シリーズ』は「日本図書館協会選定図書」に指定され、海外でも翻訳されています。
“日本と同じように南北に長く海に囲まれた地形のイタリアは海の幸が豊富で、温暖な南部は太陽が燦々と当たったトマト料理が多かったり。例えば館山の海とニースの海では、塩分濃度が全く違うので、そこで獲れる魚の味も味付けの方法も変わります。世界中それぞれの場所で、地域の食材に特色があってこそ料理は幅広く発達してきました。またその逆に、どこかへ行く時はその土地ならではの食を楽しむことが大きな目的になりますよね。観光にとっても一次産業にとっても、地域独自の食文化は活性化の要だと思います。”
“ここ数年、料理教室を全て一人で運営することになり、生徒さんとの距離も縮まったことで、楽しくおしゃべりしながら作ったり、誰かのために愛情を込めて作る料理は何倍も美味しく、人を幸せにさせるなぁと実感しています。地産地消や地域活性化というと難しいことに聞こえるかもしれませんが、美味しい料理を作ろう!と考えればずっと身近なところで地域に貢献できると思います。ぜひ、料理を通じて地域のことを知り、地域の食文化を守り伝えていってください。”
女性が活躍しづらかった料理の世界に飛び込み、幾多の試練を超えて夢を実現させ、後進をサポートしてきた川上さん。2016年には料理教室「デリス・ド・キュイエール」も20周年を迎えた今、故郷館山への思いと、料理研究家ならではの視点による地産地消や地域活性化についてお聞きしました。地域の活性化には困難がともなうものですが、川上さんのようにエネルギー溢れる食を摂り、誰かを喜ばせたいという気持ちを大事にすれば、乗り越えることができるのかもしれません。これからも万人に身近な「食」を切り口に、彩豊かな地域の未来を提案し続けてほしいと思います。
文:東 洋平
リンク:
デリス・ド・キュイエール
館山クッキング大使 川上文代の地産地消レシピ
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デリス・ド・キュイエール川上文代料理教室
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