ローカルニッポン

棚田をめぐる次代へのバトンのつなぎ方/福岡県うきは市


「フルーツ王国」と呼ばれるうきは市は、福岡県の東南部に位置し、東西13km、南北11.8kmにわたる地域で、面積は117.5㎢。そのうち、森林・耕地が約76%を占める自然豊かな場所です。数多くの装飾古墳を含む古墳群のあるうきは市には、肥沃な土地ゆえに太古より多くの民が生活し、生業(なりわい)としての農業がありました。

今回ご紹介する日本棚田百選「つづら棚田」がある新川地区には、うきは市の中でも特に伝統的なくらしと自然が調和した美しい日本の原風景が残っています。

美しい景観が多くの観光客を惹きつける一方、地区の担い手不足や高齢化により存続の危機に陥った「つづら棚田」が現在どのようにして維持され、次代へ繋げられようとしているのか、地域での取組についてご紹介します。

日本棚田百選「つづら棚田」を取り巻く状況

うきは市の南東、耳納山麓東側の中山間地域に位置する新川地区では江戸期を中心に開発が盛んに行われ、傾斜地に地元の石を利用した石垣で開いた多くの棚田が現在も残っています。中でも日本棚田百選に選定されている「つづら棚田」では、秋になると三百枚を数える棚田が黄金色の稲穂とそれらを縁どる彼岸花の赤に彩られ、多くの観光客で賑わいます。毎年彼岸花が咲き誇るピーク時には、山間部の細い山道が大渋滞となってしまうほどです。

刈り取り前のつづら棚田。例年9月下旬に彼岸花の開花ピークを迎える。

刈り取り前のつづら棚田。例年9月下旬に彼岸花の開花ピークを迎える。

その一方、「つづら棚田」のある新川地区はうきは市のなかでも特に過疎・高齢化が進んでいる地区といえます。1989年には700人以上だった人口は2017年現在半分以下であり、高齢化率は限界集落の指標とされる50%を超えています。

山間の棚田は神秘的な表情を見せてくれる。

山間の棚田は神秘的な表情を見せてくれる。

棚田の農業は様々な困難が伴うため、多くの人手を必要とします。また、田んぼ同士が複雑な水系で繋がっており、1枚が耕作をやめると周囲の棚田にも影響してしまいます。地域の担い手が減ったことで、つづら棚田は存続の危機に陥りました。

地元がつなぐ「くらし」と「営み」 棚田を守る会

この状況をなんとかしようと周辺の農家有志が集まって結成されたのが「つづら棚田を守る会」(通称「守る会」)でした。高齢化や転出により耕作できなくなった田んぼを借り受け耕作を行う組織として2005年に設立された「守る会」では、当初30枚程度を耕作するところからスタートしましたが、その後依頼される田が増え、現在は54枚の田んぼの耕作を請け負っています(2017年現在)。

また、新川地区にはつづら棚田以外にも多くの棚田があり、どこも人手不足の問題を抱えていました。そこで「守る会」は2009年頃から活動範囲を新川地区全体に広げ、畦塗りや代掻き、田植えなど負担の大きな作業を請け負う取り組みを始めました。それに伴って、会の名称も「棚田を守る会」とすることになりました。

「守る会」のメンバーは現在約40名。通常の活動に参加するのはそのうち15名程度、また多くの人数を必要としない際は中心的に活動を担っている5~6名ほどで作業が行われます。

棚田を守る会による活動の様子。棚田の維持には知識と経験が必要。

棚田を守る会による活動の様子。棚田の維持には知識と経験が必要。

棚田を守る会による活動の様子。棚田の維持には知識と経験が必要。

メンバーは主として新川地区に居住する農業経験者であり、その人となりとしての信用、また、技術としての信頼度も高いことから依頼者は多く、今後おそらくこのような委託は増加していくものと思われます。しかし、設立当初平均年齢が60歳代でスタートした活動も、10年を経て70歳代となっており、「守る会」としても今後の維持が難しくなることが予測されます。

本来であれば、今よりももっと速いスピードで姿を消していっていたと思われる棚田の景観が残っているのは、棚田を守る会の存在がとても大きいと思われます。それは、早い時期から棚田景観の重要性に気づき、組織をつくって活動を開始したことによりますが、この10年間にわたって活動を維持し続けてきたことも大きな評価に値します。何とかこの活動を絶やさない方策が必要です。

内と外、過去と未来を共感でつなぐ  棚田まなび隊

棚田まなび隊オリジナルTシャツ。これを着れば今日からあなたも「棚田まなび隊」!!

棚田まなび隊オリジナルTシャツ。これを着れば今日からあなたも「棚田まなび隊」!!

また、新川地区のくらしや文化を次代に繋げていくための取り組みとして紹介したいのが「棚田まなび隊」による活動です。
「棚田まなび隊」は2003年より新川地区で集落調査を行っていた九州大学菊地研究室のOBが中心となり、一般の人々と共に実際の耕作を体験し、地域のことや稲作について学ぶという目的で、2014年から実施している、棚田の耕作を中心とした長期的な地域再生への取り組みです。

過疎高齢化が進む中、山村におけるくらしや営みの再生・持続に取り組むためには、地域外からの支援を必要とします。その前段階として、まずは地域外の人が農業や地域の営みに共感することが必要であり、その共感が継続的な支援に繋がるものと考えられます。

今年の棚田まなび隊による田植えの様子。縄を使って昔ながらのやり方で手植えをします。

今年の棚田まなび隊による田植えの様子。縄を使って昔ながらのやり方で手植えをします。

「棚田まなび隊」はこのような課題に対し、地域外の人に地域を学ぶ場を提供するものとして企画されました。
1年目は、水害で土砂が入り込み、また橋が流されて重機を入れることができず耕作ができなくなってしまった田について土砂の掻き出しから復田を行い、2年目はうきは市「都市と山村交流」プロジェクト協議会が耕作している棚田の耕作支援を行いました。
3年目の2016年は、外部の人による耕作活動の試行としてつづら棚田での耕作を実施し、メンバーはHP、SNS、口コミ等をきっかけに25名が集まり、平均すると毎回およそ10名の隊員が活動に参加しました。
4年目となる今年は2016年同様つづら棚田を拠点に活動をスタートしています。

棚田まなび隊2017年度隊員募集チラシ

棚田まなび隊2017年度隊員募集チラシ

「守る会」の方からの指導を受け、「草刈り」から始まり「畦塗り」「田植え」「草取り」「稲刈り」「脱穀」「収穫祭」と年間14回の活動の中で、地域のことや稲作について学ぶ場を提供することを予定しています。

今後も活動を通した学びが、営みの持続に対する地域外からの継続的支援へ繋がることが期待されます。

田んぼでの活動の合間に、地域の稲作に関するレクチャーを実施

田んぼでの活動の合間に、地域の稲作に関するレクチャーを実施

棚田を守るということ

今日本の様々な場所で人口減少や高齢化等が原因となり、長い時間をかけて受け継がれてきたものやつながってきたものが失われつつある、よく耳にする話です。
実際うきは市においても、「つづら棚田」の景観同様、様々な営みや祭事の中にも残していくことが困難になっているものがあります。

しかしながら、これまで受け継がれてきた地域ならではの自然と人の営みが織りなす景観やくらし方を残していくということは、日本における多様性を担保するためにとても大切なものです。
また、新川地区「つづら棚田」における景観を維持していくための活動から見えてくるのは、様々な方策を行っても効果が得られるまでには長い時間がかかるということです。

人の手が加わり続けることで維持されてきた原風景が保たれているということは、そこにある人々のくらしが保たれているということ。
過疎化・高齢化が進む中、長く地域で行われてきた「営み」「くらし」を未来に繋げていくことはやはり一筋縄ではいかないのです。

自然のリズムに沿って土地を耕し、種を巻き、自分で育てたものを口にする。
当たり前のことのようで、現代の私たちのくらしから消えつつあること。
繰り返し繋がれてきた唯一無二のバトンを次世代につなぐため、これからも地域の共感の輪が広がっていくことを期待します。

この棚田の風景がこれからも続いていきますように!!

この棚田の風景がこれからも続いていきますように!!

7月23日(日)につづら棚田の草取り体験を行います。
体験を希望される方は下記アドレスよりご応募ください。
https://www.muji.com/jp/events/7895/

文:石井 健太郎


このたびの九州北部豪雨により、被害に遭われた皆様に謹んでお見舞いを申し上げます。
今なお避難されている皆様、復旧作業に従事されている皆様の安全と一日も早い復旧をお祈り申し上げます。

平成29年7月
株式会社良品計画