ローカルニッポン

津野山郷 炭焼き文化 ~追体験が教えてくれること~


紅葉のピークはまだであろう10月のある日、近所の山を歩いていました。ときおり吹く北風は冷たく、火照った体には心地いい。しばらく行くと、脇道を見つけました。正規のルートではないその道が、どうにも気になってしかたがありませんでした。

四万十川の源流域である自然豊かな梼原町・津野町一帯の山村部を津野山郷と呼びます。913年、京より津野経高が入国して以来、四季に合わせた慎ましくも美しい人の営みが1100年以上続いてきた土地です。そのような長い歴史の中で生まれたものは津野山文化と呼ばれ、今に受け継がれています。そのうちの一つに「炭焼き」の文化があります。それはいったいどのようなもので、どのような形で現在まで残っているのでしょうか。調べてみました。

この地における炭焼きの起こり、その栄枯盛衰

製炭技術を日本各地に広めた功労者の一人が四国と縁の深い弘法大使空海(774~835)です。空海が唐(中国)から当時の最先端だった製炭技術を持ちかえり、日本に普及させたといわれています。高野山のある和歌山県には紀州備長炭(白炭)があり、梼原町川井地区では白炭を製炭していた炭窯の跡も見つかっています。津野経高が梼原へ入国したと同時にこの地に製炭技術が伝わっていても不思議ではありません。

そのような経緯もあり、かつて津野山一帯は木炭生産が盛んな地域でした。それは木炭がどの家庭でも生活に必要なエネルギーとして利用されていたからです。ですが、1960年ごろを境に国内で燃料革命がおき、ガス、電気の発達によりエネルギーとしての木炭の使用量は徐々に減少し始めました。ほんの数世代前までは、各家庭で炭焼きは当たり前のように行われていました。この地域は積雪もあることから貴重な現金収入として冬は特段に炭焼きが行われていました。

しかし、現代になると炭焼きを定期的に行っている人は、私が調べた限り極小数です。そしてどの方も60歳を超えています。

すみ処 大蔵屋

現在の炭焼きと3人の親方

津野町高野地区(旧東津野村)に在住の上地二栄さん。上地さんは幼いころからご両親が炭焼きをしている姿に触れ、自身も炭焼きをすることが当たり前のようになっていたそうです。「昔の人は窯を作っては炭焼きし、一通り目途がたつと山道を切り開いて次の場所でまた窯を作った。山から山へね。今みたいに立派な靴なんてないから、山道は石ころ一つないくらいきれいにしたもんだ。裸足でも歩けるくらいにさ」

「炭窯作りを手伝うために梼原まで何度も通った。小学生の時は、初瀬(梼原町初瀬地区)の学校で運動会が開かれればウチの学校の皆で応援に行った。1時間以上も歩いてね(笑)」

上地二栄さん

中越正夫さんは梼原町川井地区に在住の、菊炭を主に焼かれている方です。菊炭とは茶道で使われる茶の湯炭の一種で、切り口が菊の文様に似ていることからこの名がつけられました。

口コミだけで、全国の茶道関係のお客さんとつながっている中越さん。「炭焼きで一番楽しいのはいつですか」と私が聞くと、「窯を開ける瞬間。毎回違うし、まだ温い内部の空気に触れたときは、何とも言えない気持ちになる」と目を輝かせて話してくれました。

中越正夫さん

最後に、前田栄一さんをご紹介します。前田さんは作ったものを主に高知市内の日曜市で販売しています。前田さんの特徴は「炭オブジェ」でしょう。季節ごとの旬の食べ物やインスタントラーメンといった変わり種までなんでも炭にしては販売し、全国各地にファンを持つ方です。海外からの観光客にも好評を得ています。

おもむき”を大切にし、一つ一つ丁寧に作品と向き合っているその姿勢は、炭焼き職人であり炭焼きアーティストでもあります。

炭オブジェ

これからの炭焼き 新しい担い手

津野山における炭焼き人口の減少や高齢化の背景には、炭焼きは必ずしも労働に対して儲かる仕事ではない、という一面があるからです。

しかし、そのような現状でも、炭焼きに魅力を感じ、自分の生き方に取り入れようとする人もいます。何を隠そう、私がその一人だからです。私は季節に合わせた生活を学ぼうと県外から移住してきました。炭焼きのベストシーズンは冬なので、例えば春から秋にかけては畑にたずさわるという生活も考えられます。炭の利用はまだ確立してないものもあり、新しい利用価値を発見できる要素はあります。次世代を担う者にとっては良い研究材料といえます。

東日本大震災をきっかけに自分の生き方を見つめなおす動きが高まってきたように思います。そのなかで、自分で何かを作る生活に惹かれ、「仕事」ではなく「生業(なりわい)」を軸にする生き方が都会に住んでいた方を中心に広まっているのではないか、そのように思います。ほんの数世代前まで当たり前だったライフスタイルにいま、立ち返っているのでしょう。しかし、ただ昔に戻っているだけではありません。インターネットの普及で人と人のつながりが広がりました。商売の観点からいえば、市場が広がったといえます。自分の生業をお金に変えることが高まり、儲からないといわれ廃れていったものでも工夫をすればお金に変えられる時代になりました。それでもまだ、多くの人に適合する生き方ではないかもしれませんが、生業を軸にしたいと思っている人にとっては、炭焼きも一つの手段になるのではないでしょうか。

細心の注意を払いながら、山道から少しずれた道を歩いてみる。足の裏に伝わる土の感触に、微妙な変化があることに気づく。上地さんの言葉を思い出しました。すると、目の前に円形の炭窯の跡が現れ、いつか誰かが通った道を時代を超えて、自分が歩いたことに気づきます。

津野山で生きた先人たちの追体験の旅は、これからを担う自分たちにとって一つのヒントになる。そんな気がしてならないのです。

文:ゆすはら応援隊 戸来 圭太