ローカルニッポン

街のキーマンに聞く岐阜・柳ヶ瀬の“ローカル”とは?

書き手:杉田映理子
1994年東京生まれ。編集者・ライター。大学時代を過ごした長野で地方の魅力に気がつき、2017年春に就職を機に岐阜市に移住。岐阜のローカルメディア「さかだちブックス」で、365日岐阜の魅力的な人・もの・ことを中心に情報発信している。

JR岐阜駅から北へ1kmほどの一帯に広がる「柳ヶ瀬商店街」。県内屈指の繁華街として栄え、ピークの昭和30年代には“すれ違う人と肩を触れずには歩けない”ほどの賑わいを見せました。現在はその面影はないものの、残ったものを守りつつ、新たなまちづくりが始まっています。そんな柳ヶ瀬の変化を肌で感じ、自らもプレーヤーとして活動されている2人のキーマンと、ここ15年の柳ヶ瀬の変遷を振り返りながら、この街における“ローカル”を探ります。

遡ること15年、手探りで始まった「やながせ倉庫」の取り組み

やながせ倉庫内での取材風景。お話を伺った白橋さん<写真左>と上田さん<写真右>。

やながせ倉庫内での取材風景。お話を伺った白橋さん<写真左>と上田さん<写真右>。

「柳ヶ瀬に関わり始めたのは親父が亡くなって、所有していたビルを引き継いだのがきっかけ。当時はただビルの大家として、中身についてはまるっきり人任せのつもりだったよ。」

笑いながらそう話すのは、柳ヶ瀬を語るのには欠かせない存在である上田哲司さんです。飲食店やアトリエ、雑貨店など約20店舗が入居するシェアビル「やながせ倉庫」を、2004年にスタートしました。

「今だから上田さんのすごさはわかるのですが、正直、当時は何をやっているのかピンとこなかった。空いているのかどうかがよくわからない店があっても、果たして商店街のためになっているのかなと……。」

もう1人のキーマン、白橋利明さんは(一財)にぎわいまち公社に所属し、行政と民間の間の立場でまちづくりに取り組んでいます。

当初はほとんどお客さんが来なかったというやながせ倉庫も、今では人気スポットに。

当初はほとんどお客さんが来なかったというやながせ倉庫も、今では人気スポットに。

今でこそ“シェア”の感覚や、空き店舗の活用がまちづくりの主流となっていますが、15年前にはまだその概念が浸透していなかった時代。やながせ倉庫の存在は商店街にとって掴みどころのないものでした。大家としてスペースを貸すだけのつもりだった上田さんも、たまたま運営せざるを得ない状況になり、手探りで入居者を集め始めます。上田さんの気持ちを動かしたのは、やながせ倉庫の最初の入居者であるカバン屋を営む女性。彼女が積極的に商店街に働きかけ、イベントを開催したり、そこにたくさんの人が集まっている様子を見て、「何かできることがありそうだ」と可能性を感じたといいます。

最初はお客さんの気配もしなかったやながせ倉庫に、県外からの人々が訪れるようになったころ、上田さんの耳に「柳ヶ瀬おもしろい!」「このレトロな看板かっこいい!」そんな声が入るようになりました。「柳ヶ瀬なんて汚くて寂れていて何がいいのかがわからない」そう感じていた上田さんは「柳ヶ瀬をおしゃれできれいにするよりも、既存の状態をおもしろがってくれる人を呼び込むべき」そう強く感じました。

減り続ける客、増え続けるシャッター。民間有志の力が転機に。

現在、再開発の工事が始まり立ち退きの店舗が目立つ、柳ヶ瀬商店街・高島屋南エリア。

現在、再開発の工事が始まり立ち退きの店舗が目立つ、柳ヶ瀬商店街・高島屋南エリア。

当時の柳ヶ瀬はというと、訪れる人は減少の一途を辿り、それに反するように閉ざされたシャッターは増える一方。商店街全体も上田さん同様、じっとしているわけにはいかないけれど、有効な手立てがわからないという時期に直面していました。県内屈指の繁華街であった時代の経済力のもとで拡大した政治力と商店街としてのプライドが、大型資本の参入を拒み、それによってかろうじて今の柳ヶ瀬のまちなみが結果として守られたのです。その事実は個人商店が多く残る現在の商店街の顔ぶれにも見ることができます。しかし、それも長くは続かず柳ヶ瀬は徐々に弱体化。そんな時、転機が訪れます。それまで官政の力によって動かされてきたまちづくりに、この頃(2008年)から民間有志の動きが目立つようになってきました。その代表格がゆるキャラ「やなな」の誕生。再開発の工事の影響で荒廃した空気が漂っていた柳ヶ瀬に、やななの存在は非常に明るく映りました。同時期、白橋さんが所属する(一財)にぎわいまち公社も、やななをきっかけに子ども向けのイベントに力を入れ始めます。そして、それまで「組織(公社)対組織(商店街連合組合など)」だったところを「個人(公社職員)対個店」の関係にすることで、商店主が直接街の動きに関わることができる体制に意識的に落とし込んでいきました。

デザイナーや建築家などのクリエイターが入居するシェアオフィス「まちでつくるビル」

デザイナーや建築家などのクリエイターが入居するシェアオフィス「まちでつくるビル」

上田さんや白橋さんをはじめとする、意志ある民間の力が芽を出し始め、柳ヶ瀬を訪れる人も徐々に増加。2011年頃からは息を吹き返すように、柳ヶ瀬の集客につながるイベントが連続して開催されました。その一つが柳ヶ瀬商店街の東側にある美殿街商店街で始まった「つくる市」。これは、同じく美殿町商店街に開設したシェアオフィス「まちでつくるビル」への入居者を集めることを目的としたマーケットでした。

「「まちでつくるビル」と「つくる市」の関係って、「やながせ倉庫」と「小さなクラフト展(※1)」の関係と一緒だということにハッとしたんですよね。あの時はピンとこなかったけど、この時になってやっと理論上正しいことだったということに気がつきました。」

※1 やながせ倉庫オープンの1年後から市内の神社で開催されている上田さん主催のマーケット。

この頃から、専門的な知識を持つ人々が登場し、柳ヶ瀬とその周辺のまちづくりが戦略的に打たれるようになったと白橋さんは振り返ります。2014年から毎月第3日曜日に開催されている「SUNDAY BUILDING MARKET(以下、サンビル)」も、空き店舗や若い世代における過疎化などの問題を解決しよう、解決しようと試行錯誤した結果なのです。

街のキーマンが語る、柳ヶ瀬のこれから

県内外から4000人以上が集まるSUNDAY BUILDING MARKET

県内外から4000人以上が集まるSUNDAY BUILDING MARKET

サンビルが昨年で丸3年目を迎え、これから新たなフェーズを迎えようとしている柳ヶ瀬商店街。上田さんは「岐阜のことを知らずにサンビルに来た人が、翌週に来た時にも、サンビルがなくても楽しい! という風にならなくてはならない。そこはまだ足りていないので、次の週にもまた来たいなと思ってもらえるようにしたいね。」と現在の柳ヶ瀬の課題を捉え、白橋さんもそれに深く頷きます。

白橋さんは一人一人が「まちのひと」になった先、つまり当事者意識を持った先に、柳ヶ瀬がさらに楽しい街になる未来を見ています。ご自身も上田さんも、それ以外の柳ヶ瀬のキーマンも、最初から柳ヶ瀬に深い愛着があるかというと、意外にもそうではない人が多いようです。例えば白橋さんが仕事で柳ヶ瀬のイベントに関わったように、上田さんがビルを引き継いだように、なんらかの偶然が柳ヶ瀬と人を結びつけています。そして、柳ヶ瀬には偶然関わった人を惹きつける何かがあるのです。それは、昔柳ヶ瀬で映画を観て、買い物をした記憶だったり、自分の故郷に似ている懐かしさだったり、放っておけない寂れ具合だったり……そういった柳ヶ瀬の厚い蓄積が、誰にでも潜在的に響く要素を秘めているからなのではないかと、白橋さんは考察します。そして、未来の柳ヶ瀬には今の子どもたちや若い世代にも柳ヶ瀬での何らかの記憶を蓄積する機会をつくることが必要です。イベントに参加した小学生が、10年後に同じイベントにボランティアとして関わり、さらにその先には自分の子どもを連れてくる。柳ヶ瀬がそんなストーリーの舞台になるために、街の人々の地道な努力は続きます。

文・杉田映理子/さかだちブックス

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