ローカルニッポン

今井繁三郎の息吹が聞こえてくる|羽黒・芸術の森・小さな森の市

書き手:伊藤秀和
子育てのしづらさを感じたことをきっかけに地域おこし協力隊としてIターンで庄内に家族移住。フリーランスライターとして、庄内の魅力を発信中。

山形県鶴岡市羽黒町。2005年に藤島町、櫛引町、朝日村、温海町とともに、鶴岡市として合併されたこの羽黒地域には、洋画家・今井繁三郎(しげさぶろう)が生活をしていた場所があります。

今井氏はここで常に未来を見据えて、自分の感じるままに感性豊かな作品を描いてきました。現在もこの地では、ギャラリー・工房・食それぞれの空間を大事に運営しながら、この場所を守ろうとしている今井氏のお孫さんたちの姿があります。そして、そこでは今も故・今井繁三郎の息吹が静かに聞こえてくるようです。

「祖父・今井繁三郎は本当の絵かきでした。やりたいことがはっきりしている、ビジョンはしっかりしている。絵を描く、個展を開く、その他のことは目に入らない。そんな人でした。」

今井氏が亡くなったのは、2002年のこと。今井氏の作品とコレクションの美術工芸品が展示された美術館が、今井アートギャラリー(旧・今井繁三郎美術収蔵館)です。それから、17年が経つ今、この場所のすばらしさを改めて伝えようとマーケットを開催している今井氏のお孫さんにお話しを伺いました。

「アートギャラリーというと敷居が高いと思われがちで、絵が好きな方でないと訪れる機会が少ないかもしれません。」

そう話すのは、「小さな森の市(マーケット)」主催であり、今井氏の孫にあたる、「羽黒・芸術の森 今井アートギャラリー」館長補佐の秋野わかなさんです。

今回のイベントの主催者であり、今井アートギャラリー館長補佐である秋野わかなさん

今回のイベントの主催者であり、今井アートギャラリー館長補佐である秋野わかなさん

「「小さな森の市」とは今井アートギャラリーをはじめとした今井の残した場所である「羽黒・芸術の森」により多くの人が足を運んでもらうことが目的ではじめたマーケットです。

20年以上施設を運営していても、まだ地元の人にすら今井アートギャラリーは認知されていない状況でした。マーケットを始めることでもっと幅広い年代の人たちに来て頂き、作品を見て頂ける良い機会になるのではないかということで2017年の春に第1回目を開催しました。

その当時は、同じく今井の孫であるいとこ夫婦が開いたレストラン ovenKato(オーブンカトウ)がオープンする前でした。それもあって、今井アートギャラリーのお客様がおひとりもいらっしゃらない日も珍しくありませんでした。」

―現在では200名近い参加者の方が集まる大きなイベント。秋野さんご自身はイベント開催には慣れていらっしゃったのでしょうか?

「もともとイベント主催の経験はまったくありませんでした。
駐車場や環境整備はもちろん、全てが手探りで、現在オーブンカトウがある建物もまだ空き家だったので、毎回大掃除からはじめなくてはならない状況でした。

当日はボランティアのみなさんが手伝ってくれたり、いとこ家族が東京から駆けつけてくれたりしましたが、企画スタッフといえるスタッフは私1人。

出店して頂ける方を集めて、チラシを作って配り、当日の配布物やブースの区画割り、駐車場計画や掲示物の製作などすべてを行ってきました。

3回目以降は、オーブンカトウもオープンしたので、メイン会場はいつもきれいですし、草刈りや庭と駐車場の整備などは閉店後や店舗が休みのときに二人(加藤博紀さん・あさ野さん)がとてもこまめにやってくれます。またボランティアのみなさんはじめ、兄弟や他のいとこといった孫チームが前日から泊りがけで来てくれるなど協力体制もできてきており、すごく助けられています。」

2年前に東京から移住してきたオーブンカトウの加藤博紀さん・あさ野さん夫婦 あさ野さんは今井氏の孫

2年前に東京から移住してきたオーブンカトウの加藤博紀さん・あさ野さん夫婦
あさ野さんは今井氏の孫

ただ、はじめは出店者を集めるのが大変だったと秋野さんは言います。

「1回目の出店店舗は15店舗ぐらいだったと思います。ごく小規模の開催でした。

初回はお客様が来るかどうかの保障もなく、実績もないのでこのマーケットは来場見込みが何名か等はっきりとしたことは言えません。特に食べもの関係の出店者さんには全て断られてしまいました。マーケットなのに、1軒も食べ物関係のご出店がなかったのです。そのような中でも今回も出店頂いている「おむすび大地」さんは「委託販売であれば大丈夫ですよ」と言って快諾くださり、とてもありがたかったです。このように出店者を募りなんとか第1回目を迎えました。」

オーブンカトウ店内の出店者の方たち(提供:オーブンカトウ)

オーブンカトウ店内の出店者の方たち(提供:オーブンカトウ)

結果的に180名近くの来場者が集まり、大成功で終えた第1回小さな森の市。それでも1回目を終えたとき秋野さんは、企画や運営を考えると「もうやりたくない」と思ってしまったのだとか。

そんなマーケットも今回で5回目。イベントの空間や自然や想いに共感をして頂き、今では出店数がどんどん増えて30店舗近くにまで広がりました。

「一度つながりが生まれると継続的に出店頂ける方がほとんどで、1回目からずっと参加くださっている方も多いです。回を重ねるごとに来場者数も増えていきました。」

ポスターもイメージをあまり変えていないため、今ではこのポスターを見て「またマーケットがある」と思ってもらえるまで認知されるようになってきたそうです。

出店者同士も交流が深く、この場所やここに集まる人が好きな出店者も多い"

出店者同士も交流が深く、この場所やここに集まる人が好きな出店者も多い

大変だけど、この今井アートギャラリーを守りたいという一心からマーケットを続けている、と秋野さんは言います。この場を一人でも多くの人に知ってもらいたい。マーケットに来て、初めてこの場所を知るという人もまだまだ多いのだそうです。

2014年秋の休館を経て、2016年の春・リニューアルオープンにこぎつけるまでをこう振り返ります。

1689年(元禄2年)に建立した鶴岡市内の土蔵を移築して造られたギャラリー

1689年(元禄2年)に建立した鶴岡市内の土蔵を移築して造られたギャラリー

「3,4年前は私の母・齋藤木草(こぐさ)が館長を務めていました。お客様が来ても来なくても、ここにいなければならないことと、1人で守らなければならない重圧がありました。充分守ったのでもう閉館しても良いのではと思っていた時もありました。それでもこの美術館を続けていこうと思ったのは、祖父・今井繁三郎は、孫13人の祖父であると同時に公の人だから。親族である自分たちの意思だけで辞めてもよいのだろうか、という思いが湧いてきたからです。」

2014年の秋に一旦休館したものの、親族だけでなく今井氏とゆかりのある人々とも協議しながら、美術館の再開を決定し、2016年「羽黒・芸術の森」運営会議が発足。プレオープンに向けて環境整備ボランティアを募ると、予想を上回る反応がありました。

秋野さんの母である木草さんは、そのとき初めて人に頼っても良いということが分かり、美術館を継続する希望が見えたと涙を見せたそうです。

林の中にひっそりと佇んでいる歴史的文化遺産、といっても過言ではありません

林の中にひっそりと佇んでいる歴史的文化遺産、といっても過言ではありません

「もともと、ここは月山の見える場所で子育てをしたいと今井繁三郎が開墾した場所です。
私もこの場所が好きで小学5年生の頃から高校卒業するまでここで育ち、また大人になって戻ってきました。また、私の母は4人姉妹で、夏が来るたびに今井の孫である13人のいとこが集まり夏の間ずっと過ごした大切な場所です。私たちにとっても無くせない思い入れ深い場所です。」

住む場所を自ら開墾をしてしまうほどの行動力と情熱をもったダイナミックな画家・今井繁三郎。一体どんな人なのだろうと、インタビュー中に思いを馳せてしまうこともしばしば。大人になった今、改めて絵を見ると、ひ孫を題材にしたものから世界の貧困問題をテーマにしたものまで、ジャンルに偏りのない色々な絵を描いていた人であり、素敵な絵がたくさんあることを秋野さんが教えてくれました。

今井氏の絵は、見るものが感じるままに感じてほしいという意向で作品名がないものも多い

今井氏の絵は、見るものが感じるままに感じてほしいという意向で作品名がないものも多い

―アートギャラリーについて今後はどのようなことを計画されてますか?

「今井の作品が400点ほどあるのですが、絵をきちんと整理していきたいです。
年代別に見たい、人物だけ集めたものを見たいという声もあるので、リストアップして来館者の方が見たい絵を見られる体制を作っていきたいと思ってます。

祖父が生きていた時は、本人が展示したい場所に自由に展示していましたが、今後はご来館される方のご要望に答えられるようにしっかりと整理していきたいと考えております。」

親族のみなさんをはじめ多くの方の想いが詰まった「羽黒・芸術の森」。

ここは自然豊かな景観が良い場所というだけでなく、今井氏がご家族や地域に残してくれたかけがえのない場であることを実感しました。ここにもっと人を呼びたいと始めた「小さな森の市」という新しい取り組みは、新たな縁を運んできてくれる機会となり、このイベントをきっかけにアートギャラリーに来るファンの方も年々増えてきているようです。

地域の共感とつながりを得ながら形作られてきたこの場所では、たくさんの方が作品を見たり、小さな森で自然を感じたり、食を楽しんだりと思い思いに過ごしていました。立地としては少しわかりづらいけれど、一度来た人はそのわかりづらさが逆に心地よく、こっそりと足を運ぶ愉しみのある自然・建築物・食空間が揃う。「羽黒芸術の森」はそんな場所なのかもしれません。

※次回、第6回「小さな森の市」は、2019年11月4日(月・振替休日)を予定

文・写真:ものかきや 伊藤秀和(三川町地域おこし協力隊)

今井繁三郎 プロフィール
1910 年 2 月7 日、山形県東田川郡羽黒町(旧泉村)戸野に生まれる。
山形県鶴岡市で生涯を通して心象画を描き続けた洋画家。
高校卒業後、画家を志し上京する。戦前は海軍省の従軍画家として南方に赴き、敗戦後東京を離れて郷里に帰り、山野を拓いて家族と共に住む。
80歳で羽黒町泉野の自宅庭に今井繁三郎美術収蔵館を設立。2002 年 1 月9 日 死去。享年91。斎藤茂吉文化賞、サントリー地域文化賞など受賞。2001年羽黒町名誉町民となる(合併に伴い 現在は鶴岡市名誉市民)。

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くらしの良品研究所コラム
羽黒・芸術の森-今井アートギャラリー
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