次世代につなぐ農業を目指して / 田倉ファーム 田倉剛さん
農家になりたいと思ったこと、ありますか?
自給率や高齢化を抱える日本の農業ですが、農家の子弟以外が占める就農希望者の割合は増えており、その9割が有機農業を志向しているという調査もあります。南房総でも異業種から新規就農する例が少なくありません。そんな中で今回は、南房総市和田町にてイタリア野菜を無農薬で育てている若手新規就農者の活動をご紹介します。
作付品目70種類 栽培から販売までこなす田倉ファーム 田倉剛さん
新規就農して4年目という田倉剛さんは、都内のスーパーで食品販売を行っていた元サラリーマン。現在は南房総市和田町に住みながら、約2400坪の農地を耕し、都内への営業、宅配サービスと休む暇のない毎日を送っています。
年間で栽培している品目は、なんと70種類以上。しかも「チポロット」「アーティチョーク」「プンタレッラ」「タルディーボ」と聞きなれない野菜ばかり。これらすべてイタリア野菜なんですね。しかも完全無農薬無化学肥料栽培、というのだから驚きです。興味深い点ばかりですが、まずは、田倉さんが就農した理由から聞いてみましょう。
スーパーの青果部で働いていた時に農家を訪れて
「始まりは都内スーパーで働いていた時の経験です。ちょうど産地偽装や残留農薬のことが事件になって、自分が扱っている産品について知りたくなり、個人的に農家を訪れるようになりました。そこで様々な農家と会話するうちに農業の事情を初めて知りました。」
田倉さんは、新卒で都内スーパーに就職し、青果部での販売を担当していましたが、当時食品の安全性が問われるようになったこともあって、向学心から農家を訪れ、産品のPRポイントなどを直接聞き取りしていました。そこで図らずも話題に挙がったのが、「農家は商品の価格をほとんど交渉できないこと」でした。
「他の仕事であれば、コストを計算して、それに見合う価格を自分から提示できると思うんです。でも僕が会った農家達に、その権限はありませんでした。後で伝票をみて価格を知るのです。これでは折角良いものを作っていても、消費者のリアクションもない中、モチベーションが上がりません。」
田倉さんが訪問したのは、大手の流通業者と取引する一般の農家。流通と販売の手間が省ける分、野菜の価格は市場価格に左右され、消費者と直接会うこともありません。こうした業務分担は農家側にもメリットがあるものの、田倉さんにとっては「やりがいを感じる職業にみえなかった」とのこと。
人生を賭けて何かに取り組みたかった
“その後、農業に対してあれこれ考える日々が続きましたが、このこともあって青果の販売に力が入らなくなり転職することにしました。向かった先は宮城県。宮城県を選んだ理由は、「スノーボードを究めたかった」ということですが、実はこの地での経験が農業へ足を踏み入れる転機となります。
「仕事は医療機器の営業をやっていたのですが、近所の農家と仲良くなるうちに、後継者不足やその方々の農業にかける思いを聞くことになりました。この時初めて青果部で働いていた頃の経験も重なって、自分でも何かできることはないかと思うようになったんです。」
田倉さんは自他ともに認める「凝り性」で、昔から「何かを究めたい」という思いが人一倍強かったといいます。そこで将来をどうしていくか真剣に考えていた時期でもあり、農家との対話、またスーパーの青果部で感じた疑問を振り返り、農業に人生を賭けようと思い立ったのです。
イタリア野菜との出会い
ともかく修業を重ねるため宮城県の農業法人に入りました。そこで出会ったのがイタリア野菜。宮城県はローマ県と姉妹県にあり、この農業法人でも西洋野菜の研修を行っていました。
田倉さんは、これまで見たこともないイタリア野菜を前にして青果部時代の売り手の直感が働いたといいます。そこでこの担当部門に願い出て、研修を重ねつつ栽培すること3年、売り上げが着実に伸びてきました。急に飛び込んだ農業の世界でしたが、こうして成果が見えてくることによって農業の面白さを実感するとともに、その後の独立への自信につながったということです。
南房総にて新規就農
もともと農家との対話から、自分に続く次世代へつなぐことの出来る農業を目指していた田倉さんは、3年の研修を経て独立しようと考えていました。それではなぜ宮城県から南房総を選んだのでしょうか。
「東京から近いことを条件にネットで移住先を調べていました。そこで南房総を調べてみると農業支援を行っている移住促進団体が出てきたのです。電話してみると親身になって話を聞いてくれて、何度か訪れるうちに移住を決めました。」
南房総市には、農を軸とした移住促進を行う「NPO法人えふぶんのいち計画」という団体があります。新規就農者の支援に力を入れており、新しい農業の形を考える団体でもあり、電話連絡の時点から意気投合したとのこと。また海が近いところも魅力的だったそうです。
自分の目指す農業を探求して3年
移住先が決まった田倉さんは、数年間考えてきた「自分流」の農業を早速実践します。田倉さんが目指す農業は次の通り。
・付加価値の高い野菜・美味しい野菜を作る→イタリア野菜
・消費者が求める安心・安全な野菜を作る →完全無農薬無化学肥料栽培
・消費者と顔の見える関係を築く →野菜の直接販売
そして
・後継者のできる農業にする →3K(かっこ良い、稼げる、希望がある)農業
どれも、青果部で働いていた時代から、「消費者に喜んでもらえる農業」「やりがいのある農業」とは何かを探求してきた田倉さんならではの解決策がつめこまれています。
「独立して3年、数々の失敗を重ねましたが、ようやく消費者との関係や栽培方法にも成果が見え始めています。今は休む暇もないですが、これがいずれ定着するようになったら、余すことなく次世代にノウハウを伝え、農業のイメージを変えていくことが目標です。」
朝から晩まで畑に出て、帰ってから梱包作業、寝るのが深夜という生活を繰り返す田倉さんですが、その顔からは苦労がみじんも感じられません。きっと次世代の農業に対する期待と責任をもって取り組んでいるからでしょう。これからも、そんな田倉さんを応援しながら未来の農業に期待を寄せていきたいと思います。
文:東 洋平