緑の山を宝の山にする —「みんなですすめる木づかいプロジェクト」—
埼玉県出身、ライター、編集者、エッセイスト。1995年よりフリーランスのライターとして活動。自然、環境などをメインのテーマに雑誌、新聞、書籍、Webなどの記事を執筆する一方、編集者として各種メディアの制作・編集に携わる。2008年からは函館に拠点を構え、執筆だけではなく、自然ガイドを務めるなど多方面に渡って活動中。
トドマツ、カラマツ、エゾマツなど、北海道の木といえばマツの仲間を思い浮かべる人も多いことでしょう。実際のところ、北海道の人工林ではこの三つのマツが占める割合が90%を超え、皆さんが良く知るスギは僅か2%に過ぎません。この2%を活用した「みんなですすめる木づかいプロジェクト」が動き出して今年で5年。今回はそんな北の大地の知る人ぞ知るスギにまつわるお話しです。
北海道にもあったスギの木
日本の国土のおよそ7割は森林に覆われています。約4割が人の手によって植林や伐採が繰り返される人工林で、その70%近くを、建築材として広く使われているスギとヒノキが占めています。ただし、この数字は全国平均の数字。寒さにそれほど強くないスギは、北海道では温暖な気候をもつ函館市近郊、一般に道南(どうなん)と呼ばれるエリアを中心に、江戸の昔から植林されてきました。
北の大地で逞しく育ってきたスギ「道南スギ」ですが、全国の例に違わず、昭和30年代をピークに需要は右肩下がりを続け、現在は原木の生産量もピーク時のおよそ1/5程度。林業の現場にかつての勢いはなく、林業に従事する人の数も減り、製材所や木工所など、木に関わる産業全体が元気のない時代が続くことになりました。現在は、生産された道南スギの7割が道外に移出されています。
原木の生産量が減ったと聞いて「緑が残されることは良いことでは?」と、思う方がいるかもしれません。しかし、人の手によって作られた人工林には間伐や主伐、枝打ちなど適切な管理が不可欠で、作業を怠ると不健康で倒木や土砂崩れなどの災害を起こしやすい森になってしまいます。台風による風倒木、大規模な山崩れ、近年、全国で数多く報告されているこれらの事例は、林業従事者が減り、森が適切に管理されなくなったことが大きな理由の一つだとも言われています。こうした状況から、国は災害に強い山づくりを目指す国策として林業の活性化に乗り出してきました。
そして、北海道の出先機関の一つである渡島(おしま)総合振興局では、道南圏の林業振興を目的とした五カ年計画「みんなですすめる木づかいプロジェクト」を始動。函館近郊で活躍する建築家やデザイナー、工務店や製材会社など7名による検討委員会が発足したのです。
目指すは林業振興のための産業作り
「最初はかなり手探りでした」と話すのは、プロジェクトが動き始めた当初から副委員長として参画している高田傑(すぐる)さん(高田傑建築都市研究室代表)。委員会では道南エリアの林業振興を目指し、「まちづくりのための産業づくり」というビジョンこそ持っていましたが、実際にどのような手段で取り組んでいけば良いのか、委員長である石王紀仁(いしおうのりひと)さんを中心に各委員それぞれが手探り状態のまま動き出していたといいます。
そうした中、始めに取り掛かったのがプロジェクトに関わってもらおうと北海道内の学生に広く声をかけることでした。学生ならではの柔軟なアイデアを募り、それをベースにプロジェクトを進めるという青写真を委員会内部ではおぼろげながらも持っていたようですが、思惑は外れて早々に路線変更を迫られたそうです。
高田さん:
「当たり前と言ってしまえばそれまでですが、それなりの基礎知識がなければユニークなアイデアも何もありません。今回集まった学生の多くが林業のことなどほとんど知らない状態で、アイデア云々の話ではなかったわけです。」と、当時を振り返ります。
知らないことは教えてしまえ。そこで急遽、学生たちを対象に林業そのものを学ぶプログラムを組むことになりました。山に入って伐採現場を見学するところから始まり、丸太が木材になる製材過程や木材を使ってどのようなものが作られるのか、紙とプラスチックの違い等、林業のイロハを学ぶ合宿を実施。この成果は目覚ましく、この時を境に学生たちは劇的に変わっていくことになります。
ようやくスタートラインに着いたプロジェクトは、学生のアイデアを募集しながら講師陣が具体的なアプローチを指導するかたちでおよそ2年間進められ、地域材を活用して函館駅前の空間に賑わいを作り出す「地域材を活用した笑木(駅)前空間のデザインチャレンジ」(2016) や、函館の旧市街地に点在する空き家を利用した「空き家から賑わい道南スギ空間を創出する」(2017)等を経て、次のステップへと進むことになります。
常識破りのリクエスト
「みんなですすめる木づかいプロジェクト」がスタートして4年目を迎える頃、事務局側から委員会の元にひとつの提案が舞い込みました。「5年計画のプロジェクトも半分を過ぎたので、そろそろプロの方を交えて商品化に取り組みたい。つきましては全国から作品を募りましょう…」と、家具のデザインコンペ開催の相談を受けたそうです。
この申し出に対して高田さんは、「やりましょう」と即答できなかったといいます。そもそも道南圏の林業を活性化したいという思いから始まった今回のプロジェクト。道南はスギの生育する北限であり、樹量も多くあります。その道南スギを使った家具のデザインコンペの開催をためらう理由とは、一体何だったのでしょう?
高田さん:
「実は道南スギに限らず、スギという木はタモやナラなど、一般的に家具に用いられる木に比べて柔らかいのです。爪でちょっと押しただけでも傷がつくので、大量生産ということではクレームの対象となりやすい木になります。強度的にもタモ・ナラに比べて弱く、細い脚なども作りにくいので、これまでは家具には向かない材とされていました。」
実際に家具を作って応募する人がいるのか、どのような作品が出てくるのか、不安とも期待ともつかない思いがあったという高田さん。最終的には開催されることになりましたが、「自分たちとしてもチャレンジする気持ちでした」と、開催を決めた当時の胸の内を明かしてくれました。
コンペで生まれた目からウロコの作品
案ずるより産むが易しとは、よく言ったもの。2018年9月15日〜10月15日の期間で募集された “地域ブランド「新箱館家具」デザインコンペ” (2018)には、全国から29作品の応募があり、見どころの多いデザインコンペとなりました。中でも旭川の家具職人鳥倉真史さんの作品『Φ40(フォーティファイ)』は、満場一致での最優秀賞受賞となり、高田さんをはじめ関係者に道南スギの新たな可能性を予感させる結果となりました。
高田さん:
「関係者の不安をよそに、多くの魅力的な作品が集まりました。そのなかでも鳥倉氏の作品は「やわらかい材」という我々がデメリットだと思っていたスギの特徴をネガティブには捉えず、やわらかい素材だからこそできる、という立ち位置でデザインの領域にまで辿り着いた点が評価の対象となりました。」
スギの柔らかさをどうやって克服するのか、目立たせないようどう処理するのかと、道南スギの活性化を考える自分たちでさえネガティブに予想していたのに、「やわらかいままでいいんです」と出された作品は、まさに目からウロコだったそうです。
では、実際に鳥倉氏の作品は、材の柔らかさをどのように利用したのでしょうか。『Φ40(フォーティファイ)』という作品名を持つこの椅子は、その名の通り直径40mmの太い脚を持つ一人掛けの椅子。強度が低いという弱点は材を太くすることで補い、太くしたことで暖かみのある印象と柔らかさが強調された作品に仕上がりました。興味深いことに、椅子に触れてみると手触り自体がとても柔らかく、硬い木で作られた家具と触り比べてみると、スギの方が断然暖かく感じるのです。さらに、見た目のボリューム感とはうらはらに、持ち上げてみると拍子抜けするほど軽く、意外性と驚きの連続の椅子でした。
そして、鳥倉さんはこの作品を〝高齢者のための椅子〟というコンセプトで製作しており、使う人のライフスタイルまでイメージしてデザインしている点も評価の対象になったとか。
高田さん:
「高齢の方が座りやすい座面の高さ、手の握りの加工、強度など、オーダーメイドに近い作り方ですね。鳥倉氏はこの椅子を完成させるにあたり、97歳になる自分のお祖母様にモデルになってもらいながら改良を重ね、制作を続けたそうです。お祖母様の身体を思いやりながら進める家具づくりのアプローチもまた、道南スギのもつ柔らかさや優しさに通じるものがありますね。」
最終目標は「箱館家具」というブランドの創出
鳥倉さんの作品のように、デメリットと思っていたものがメリットに見えてくるような使い方がもっと発見できれば、道南スギの需要にもつながり、道南の林業振興という目標に向かってプロジェクトも大きく前進することでしょう。ただし、それだけではこのプロジェクトが目指すゴールの半分しか進んだことにならないと高田さんは言います。
高田さん:
「先にもお話ししましたが、このプロジェクトの最終目標は、まちづくりのための産業づくりです。北海道でいち早く拓けたかつての函館には、『箱館洋家具(はこだてようかぐ)』と呼ばれる体系化された工芸がありました。それまでは和風の家具を作っていた家具職人が、開港とともに上陸した西洋の文化を感じ取り、装飾を施した家具『箱館洋家具』を作り始めました。住宅だけでなく家具においても和洋折衷(※函館の歴史的な建物に見られる建築様式)が起こっていたのです。」
10軒以上の家具屋が軒を連ねた時代もかつてはあり、現在でも僅かではあるものの当時の名残が見られるそうです。かつて一時代を築いた幻の『箱館洋家具』。これが新しいブランドの礎となり、再び新たな産業として芽生えてくれたら、プロジェクトも完成に向けて進むことができるのではないか。そんな思惑が高田さんの胸の内にはあるようです。
意外なかたちで現れたプロジェクト4年目の成果
『箱館家具』を新たな産業にしたい。そんな思惑を知ってか知らずか、2018年の秋に一人の家具職人が旭川から函館の街に移り住みました。職人の名前は鳥倉真史。そうです、先の道南スギを使ったデザインコンペで最優秀賞を受賞した鳥倉さんが函館に移住し、家具工房「くらcra(クラクラ)」を開業したのです。現在改修中の重要文化財「旧函館区公会堂」(元町)内の家具の修復を請け負ったり、「無印良品シエスタハコダテ」(本町)で家具の展示販売会を行うなど、すでに精力的な活動をしている鳥倉さん。そんなまさかの展開に高田さんは、「ほとんど火の消えかけていたロウソクに、再び火が灯ったようなミラクルですね。プロジェクトが動き出して4年目に降って湧いたように現れた〝家具職人の移住という〟成果。頑張れば何かしらの成果が出るものだなと、感慨深かったですね」と、手応えを感じている様子でした。
プロジェクトの最終年度を迎えた今、更にあと5年続けようという声が上がっているそうです。プロジェクト第二章について、まだ妄想レベルの話ですが、と前置きをした上で高田さんはこんなことを話してくれました。
高田さん:
「今後は首都圏の大学と提携して、函館にサテライトを構えたいなという〝大風呂敷〟を広げています。この4年を振り返ると、その風呂敷もまた実現できそうな気がしてくるのです。手探り状態でスタートし、当初想定していた到達できるであろうゴールもあっという間にクリアしてしまい、新しいブランドの創出という夢物語の確率もゼロではなくなり、ゼロから1へ、さらに1から2へと動いている実感があります。この確率を、一つひとつ上げていきたいですね。」
無理だと思っていたことができてしまったこの4年間、その体験がクセになっている自分がいるという高田さんの目は、きっと次の5年のさらにその先の世界を見ているのでしょう。夢物語の続きを紹介できる日も、そう遠い先のことではなさそうです。
文:藤島斉
写真:藤島斉/北海道渡島総合振興局産業振興部林務課
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北海道渡島総合振興局産業振興部林務課