ローカルニッポン

岳参り ―「ありがとう」を引き継いでいく―

書き手:皆川直信
写真家、カメラマン、屋久島町公認ガイド。1976年生まれ。新潟出身。屋久島町椨川在住。東京時代に社員旅行で来た屋久島に魅せられ2005年より移住。二児の父親。珈琲好き。

岳参り(たけまいり)。
ありがとうございます。山に登って、山頂にある祠の前で手を合わせる。そんな行事が屋久島にはあります。屋久島というと世界自然遺産に登録されていることもあり、悠久の自然、太古の森と言ったイメージをされる方が多いのですが、この自然は誰にも知られずに残っていたわけではなく、島に住む人々が引き継いできた自然でもあります。島の人によって受け継がれ、今なお生き続ける文化がそこに大きく関わっています。

屋久島って観光地だけど、島の人はどんな生活をしてきたの?

島内で唯一、奥岳が見える永田集落の風景。山と里が直結している。

島内で唯一、奥岳が見える永田集落の風景。山と里が直結している。

屋久島は人口約12,000人ほどの小さな町です。その町の中に24集落あります(屋久島町は口永良部島を含め26集落)。標高差約 2,000メートルの島で、標高の低いところは亜熱帯、標高の高いところは亜寒帯。自然は他に類を見ない多様性があります。同様に、人の文化にも多様性があります。島を一周すると車でおおよそ3時間ほど。車で一周できるようになってからまだ50数年しかたっていません(1967年屋久島一周道路開通)。島の9割以上が山林ということもあり、隣の集落へ行くにも山を越え、谷を越えねばならず、集落の中で独自の文化が育まれていきました。それぞれの集落に独自の伝統行事などもたくさんあるのですが、その中でもこの「岳参り」は半数以上の集落で行われています。屋久島では里から見える山を「前岳」、島の中央にある標高の高い山を「奥岳」と言います。「前岳」は生活と直結する山で、「奥岳」はより神聖な領域といった感じです。前岳にも奥岳にも、山頂に祠(ほこら)が祀られています。集落によってお参りに行く山は違います。時代とともに「岳参り」が途絶えた集落もありますが、屋久島を語る上で避けては通れない、象徴的な行事の一つです。

屋久島を象徴する大切な行事

山林がほとんどを占める島で、人にとって「山」は切っても切れない関係にあります。島全体が険しい山々からできていることもあり、平地が少ない。畑の面積も限られ、農作物も多いとは言えません。江戸時代などは島外へ屋久杉を出荷してお米と交換したり、年貢として納めていたようです。現代でも世界自然遺産に登録されている地域は山岳部が中心で、観光で来島する人たちも圧倒的な自然を目当てにしてくる人がほとんどです。そこでまた経済も回っています。今も昔も、山の恩恵を受けて人々が生活している島です。

そんな土地ということもあり、「山に感謝する」という考え方が昔からあったのかもしれません。正確な年代はわかっていないものの、古くは500年以上も前から岳参りを行っていたという伝承もあります。「山岳信仰」ではあるものの、島民が山伏(やまぶし)のように修行をするわけではなく、また死者を供養するための行事でもありません。以前は宗教的な意味合いもあったと想像されるのですが、現在残っているスタイルはいたってシンプル。そこに住む人たちが集落の繁栄、五穀豊穣、家内安全を願って山に登ります。

どんなことをする行事?

屋久島で最も人口が多い宮之浦集落の岳参りを簡単に紹介してみます。まず「所願(トコロガン)」と呼ばれる二人の代表が選ばれます。「願解き(がんほどき)」と「願掛け(がんかけ)」。「願」を解く人は、いわゆる「お礼参り」のように今まで生活できたことへの感謝をし、「願」をかける人はこれからの五穀豊穣や安全祈願などをお願いします。

岳参りの時に「手土産」として持ち帰るヤクシマシャクナゲ(屋久島固有種)。

岳参りの時に「手土産」として持ち帰るヤクシマシャクナゲ(屋久島固有種)。

岳参り当日は、浜から砂を持って行き、宮之浦岳に登ります。「所願」が山頂の祠で祝詞をあげ、手土産としてシャクナゲを持ち帰ります(高山にだけ育つ屋久島固有の植物。採取は岳参りの時だけ許可されています)。このお参りに行った人たちが下山する時、里で待っていた人たちが「サカムカエ」をして、山へ行った人たちの労をねぎらいます。これを年に二回、春と秋に行なっています。他の集落でも簡略化したり、年に一度だけ行ったりと、昔とは形が変わってきているところもありますが、岳参りそのものは脈々と続けられています。

「山」が感覚としてある

しかし、岳参りは多くの集落で一度途絶えています。それはちょうど高度経済成長期で島の若者がたくさん島の外に出ていたった時代。どの集落でも若者がいなくなってしまいました。集落内で歩くことのできる若い人が岳参りに行く風習だったので、気持ちはあっても登る人がいなかった。言葉を選べば「途絶えた」というよりも、「できなくなってお休みした」という感じ。それでも小さな集落では途絶えることなく、細々とできる範囲で続けていたようです。江戸時代から途絶えることなく、岳参りを続けている集落もいくつかあります。

宮之浦集落は50年近く岳参りが途絶えていました。これを現代に復活させたのが中川正二郎さんでした。20年近く前のことです。

宮之浦集落の岳参りを復活させた中川さん。

宮之浦集落の岳参りを復活させた中川さん。

中川さん:
「ボクらの世代はちょうど穴のあいた時期だったから、そういう文化に触れないで育っちゃったんだよね。だから、岳参りは情報として知っていても、生活の中に入り込んで感覚としてはわからなかった。山とつながっているという認識がなかったんだよね。それをなんとか取り戻そうとしたんだ」

最初は何から手をつけていいのかわからなかったという中川さんですが、集落の古老に岳参りのことを聞きに行ったり、他の集落が行なっている岳参りに参加したり、そのスタイルと考え方を学んでいきました。

中川さん:
「20年ほど前、山岳部の遭難救助活動などをしていた時に、登山道を知る必要があり、永田の岳参りに同行する機会があったんだけど、屋久島の人にとって、山は単に遊びに行く場所ではなく、凄く特別な場所であると感じたんだ。他の集落でもやっていることを知り、自分の育った集落の岳参りが行われていないと思いハッとしたんだ。自分が育った集落が岳参りをやっていないじゃないか!と。」

宮之浦集落で岳参りが途絶えていた時代は、島内で屋久杉伐採が全盛期の時代でもありました。縄文杉が発見されたのは1966年。実はこの年、屋久杉の伐採量が最多になった年でもあったようです。江戸時代から昭和の時代まで、島の7割ほどが伐採されたとも言われています。経済的な豊かさを求めることが最優先されていたのかもしれません。

屋久杉が育つ原生林が残ったのは成り行きで残ったのではなく、「岳参り」という考え方を持った山を愛する先人たちの情熱的な頑張りがあって、ギリギリのところで残されたことも忘れてはいけません。

屋久島のシンボル的存在の縄文杉。屋久島町の観光ポスター。

屋久島のシンボル的存在の縄文杉。屋久島町の観光ポスター。

中川さん:
「今の80代より上の方は、仏壇の前で仏様に拝む時に、山に向かっても拝むんだよね。昔っから生活の中に常に山が入り込んでいたんだろうね。山をないがしろにしたら、何も始まらない感じ。ボクらの戦後世代にはその感覚がない。ないわけじゃないけど薄い…。儲かるか儲からないかという価値基準になってしまいがちだと思うんだ」

大変だけど、やることに意義がある

日本百名山の100番目で、九州最高峰でもある宮之浦岳(1936メートル)。この山に登るのは屋久島にある山の中でも最も大変な登山です。それでも続けるには何か意味があるのでしょうか?

中川さん:
「しんどいことをやるからいいんだよね。そのしんどさに意味があると思うし、山の神様も里から山に向かってお参りするのもイイと思うかもしれないけど、山のてっぺんまで登って自分の前に来て感謝されるのとだったら、やっぱり自分の前に来てくれた方が嬉しいに決まってるしね。人もそうでしょ。メールでササッとありがとうと言われるよりも、直接面と向かってありがとうって言われたら、熱いものがわいてくるでしょ。なんでもそうなんだけど、手を抜けば手を抜いた分だけ軽くなっちゃう気がするんだよね。山の神様も一つに『手を抜くなよ〜』ってことを教えてくれているのかもしれないしね。

よく自然保護という言葉を聞くけれど、ボクの考え方としては『山に入るな!』じゃなくて、実際に体でその場所へ行くことがとても大事。自然の素晴らしさは行ってみなきゃわからないものでしょ。その素晴らしさを知れば、人も豊かになるし、何よりその素晴らしさを大切にしようとするんじゃないかな。人は「共生」という自然と対等な関係ではなく、自然に生かされている立場。岳参りでは「自然=山の神様」だから、自然をコントロールしようとするといつも変なことになります。岳参りが教えてくれるのは、自然に対してもっと謙虚であるべきだという事だと思うんだ」

感謝の気持ちを持ち続ける

九州最高峰の宮之浦岳山頂からの風景。

九州最高峰の宮之浦岳山頂からの風景。

「岳参り」は自然との関わり方を教えてくれる行事なのではないかと思います。山の空気を体で感じ、山の美しさに感動し、五感で体感する。時には危険を伴うこともあります。通常の登山とも共通しますが、その上で、山に「ありがとうございます」と感謝し、「これからもよろしくお願いします」とお願いをする。自分たちを生かしてくれる自然を大切にするという心の現れ。それが「岳参り」の感覚なのではないかと思います。この考え方は、屋久島に限ったことではなく、人が自然と関わる時の根本的な姿勢とも言えそうです。経済だけが優先されていたら、屋久島の自然は無くなっていた可能性もあります。「岳参り」という考え方があったからこそ、その「感覚」を持つ人がいたからこそ、山は丸裸にされることなく、世界に誇る美しい自然が残ったのだと思います。

AIや5Gなど科学技術の発展は止まることをしりません。こんな時代だからこそ岳参りのように自然への感謝の気持ちを引き継いでいく。自然に対して謙虚でいる。今までも、そして、これからも島で生きる原動力になるような気がします。屋久島は観光登山も盛んな島ですが、それは島民たちが受け継いできた自然でもあります。最近は「岳参りブーム」とは言わないまでも、各集落で岳参りを見直したり、話題になることが多くなってきました。美しい自然と共に岳参りのような自然に対する謙虚な姿勢を世界へ発信していくべきものなのかもしれません。

文・写真:皆川直信

リンク:
屋久島観光協会
屋久島町公認ガイド
屋久島町観光ポスター
美屋久 写真

【参考文献】上屋久町郷土史、「屋久島、もっと知りたい」(下野敏見著)

九州最高峰の宮之浦岳山頂からの風景。