ローカルニッポン

伝統と地域サスティナブルとわたし ー久留米絣でまちに新たな価値を紡ぐ

書き手:秋山フトシ
久留米市役所職員。元広報担当で700以上の記事を制作。編集や写真講座の講師も務める。オフではチエツクプロジェクト主催の”地域の編集と書く仕事”編集長を拝命。”ペンとカメラ(取材・執筆、撮影)”をライフワークとしている。

先染めした縦糸と横糸から、美しい模様を織り出す福岡県筑後地方に伝わるファブリック「久留米絣」。“市井(しせい)の芸術”とも呼ばれ、筑後地域の人びとの美意識、筑後川や耳納連山という豊かな風土から生まれた伝統工芸品です。最近ではセレクトショップ「BEAMS」や、“made in KURUME”のスニーカーで名を馳せる「MOONSTAR」が久留米絣を使った商品を出すなど、その確かな品質や素材感に注目が集まっています。

久留米絣の母を追いかけて

久留米を流れる母なる大河、筑後川の河川敷にて

久留米を流れる母なる大河、筑後川の河川敷にて

久留米絣の生みの母、井上伝(でん)を心から慕う久留米絣デザイナーの古賀円さん。久留米絣の洋服をオーダーメイドで制作するだけではなく、織元と作家とのコラボ作品展や市民が主役となるファッションショーを企画。“知って感じてもらう”活動を行っています。それは、地元企業との協同商品開発や、平成筑豊鉄道のレストラン列車”ことこと列車”の制服のコーディネートといった取り組みにも繋がっています。

さらに、“このまちで、みんなで食っていくんです!”をコンセプトに30〜40代の約10名が、互いの知恵と知恵をくっつけ、地域課題突破の糸口をつかみ、さまざまなことを企てる「Chietsuku,PJT(チエツクプロジェクト)」の中心メンバーという顔も。
古賀さんが地元久留米に帰郷し、久留米絣を通した活動をはじめたきっかけは東日本大震災でした。そんな古賀さんにお話しを聞いていきます。

絣に見た現代感

古賀さん:
「昔から祖母や母が久留米絣が好きで、普段の生活の中に絣がありました。起業のきっかけは、東京で働いていた時に起きた東日本大震災。私もそこで被災しました。原発も止まり電力が不足。冷房なども使いづらくなる一方で、熱帯化が進む日本。そういうときだからこそ、通気性が抜群で涼しい絣がきっと重宝されるのではと思ったんです。それまでも“絣で何かやりたい”と思いながらも踏み切れなかったのですが、一念発起して起業。2011年に久留米に帰ってきました」

古賀さんが絣に感じていた魅力の一つは”サスティナビリティ”。 自然の素材で作られた絣は、風を通すので夏は涼しく、冬に嬉しい温もりのある肌触りを持っています。そして、10年以上着続けられる丈夫さ。長年身に着けるうちに体の一部のようになっていく。大量生産・大量消費ではなく、21世紀型の豊かな暮らしが求められるようなこれからの時代にマッチする天然の素材だと直感したといいます。

古賀さんのブランド「コッポラート」。その人に似合う柄を見立て、パターンから作ります

古賀さんのブランド「コッポラート」。その人に似合う柄を見立て、パターンから作ります

久留米で絣の専門店を経営していた先生に弟子入り。採寸から縫製まで、洋服作りの基礎を学びました。ある時、先生から「あなたは作りたいの?それとも売りたいの?」と聞かれ、古賀さんが答えたのは「久留米絣そのものを広めたい」。

そこから舵を切り、チームを組んで制作するようになりました。そして、右手に久留米絣、左手にチエツクなどのローカルプロジェクトという、現在のスタイルに向かい始めます。
その後、古賀さんはチエツクのメンバーと共に、久留米の文化や物を持って全国各地へ”行商”へ出かけ始めます。久留米絣を抱えてミツバチのように、街の空気感を持って行ったり持ち帰ったり。そこからローカル同士の交流が生まれました。

古賀さん:
「人と人とのセッションが好きなんです。東日本大震災で感じたもう一つのことは、人と人とのつながりこそが大きな力となる、ということでした。行商でつながった人たちの地域に、もし災害が起きたら、他人事ではなくなる。困ったときのお互い様は、ゆるやかでありながら確かなセーフティネットになるはずです。

“人間(じんかん)に生きる”という言葉があるけど、人と人との間に生まれる時間や空間、瞬間に興味があって。絣とローカルプロジェクトを通じて、そういったものを生み出したいなと常々思っています。」

古賀さんにとってのローカルプロジェクトの面白さは “I(私)からWE(私たち)になれること”。久留米という単位で動けて、全国にPRしやすくなる。まちの魅力をリフレーミングできるといいます。

戦後最大の非常事態。だからこそ自分のあり方が問われる

久留米絣のマスクをつけるチエツクプロジェクトのメンバー。肌触りの良さを実感中

久留米絣のマスクをつけるチエツクプロジェクトのメンバー。肌触りの良さを実感中

令和になって1年足らず。現在、新型コロナウィルスが世界中で感染拡大しています。国内でも緊急事態宣言が出され、戦後最大の社会不安が広がっています。学校は休校、外出や飲食店の営業は自粛。これまでの価値観や暮らしそのもののあり方を問われる時代がやってきました。
そんな中、古賀さんは入手困難になったマスクを久留米絣で作り、身の回りの人に配り始めました。顔に直接身に着けるマスクは、絣の良さをまさに”体感”するのにぴったり。

古賀さん:
「こんな時だからこそ、自分には何ができるかをより一層考えます。日ごろの感謝を込めてチエツクメンバーに渡すと、”ゴムは染めた方がいいかも”とか”みんなで着けた写真で広めよう”など、いろんな意見を出してくれました。そして、それを知って欲しいと言ってくれる人は日々増えています。でも量産はできないので、口コミで知ってる人から広めています」

古賀さんが制作をお願いしたのは、障害者の皆さんが働く作業所や、裁縫の経験のある知人。その人たちにできるだけ作業に見合う適切な工賃を払えたらと話します。

古賀さん:
「こう言った状況だからと特別なことをやるのではなく、自分のできることから地域の課題を解消したい。作業所が持つ売り手がいないという課題と、私の作り手がいないという部分を補い合っているだけ。それが普段から感じている”不平等の解消”につながると思っていて。地域のサスティナブルな循環を小さなことから生み出したいです」

”マスクはツール”。久留米絣という縦糸に、街中のいろんな人や状況、思いを横糸として編む。久留米絣が広まり、“人と人との間に新しい価値”を紡ぎ出す。普段から一貫している古賀さんのスタンスが、この非常事態にこそ広がりを生むのかもしれません。

若者が伝統文化に触れて生まれるコト

広場全体がステージとなった絣フェスタ。ウエディングドレスやタキシードなども披露されました

広場全体がステージとなった絣フェスタ。ウエディングドレスやタキシードなども披露されました

古賀さんが、久留米絣と人を編み合わせた企画は他にも。その一つが地元の大学生とのコラボレーションによるファッションショーです。

地元、久留米大学の法学部教授の前田俊文さんが、学生が地域に出て、人や地域資源に触れる機会を探していた折、古賀さんが織元や作り手と一緒に開いていたファッションショーに着目しました。教授から“学生とコラボできないか”と持ちかけられ、始まったのが「絣フェスタ」です。同大学生がモデル、PR、事前準備や当日の切り盛りなど、あらゆること手掛けるイベントが動き始めました。

絣フェスタは、2015年から始まり昨年で5回目。現在は、久留米市の大型劇場施設「久留米シティプラザ」の公共広場、六角堂広場で開催しています。
フェスタ当日は、ステージでの絣トークショーや久留米出身アーティストのステージなど、いろんな企画が目白押し。フィナーレは学生が絣のドレスやタキシードなどさまざまな衣装をまとって披露するファッションショー。そのトータルサポートとショーのプロデュースを古賀さんが担います。

このコラボは、新しいファンの創造に繋がると古賀さんは話します。昔からある絣イベントに来るお客さんの多くは絣の良さをすでに知っている人。“外向きの発信をもっとやりたい”と思い、会場にはオープンな公共空間を選びます。

古賀さん:
「久留米絣を創った井上伝さんは、数多くの弟子を受け入れ、惜しげもなく技術を広めた。それで産業化が実現したんです。だから、久留米絣はオープンリソース。“自分たちだけ”は通用しないんです」

絣フェスタを通して、若者に伝統文化や地域資源と触れてもらう。作り手と共に、”みんなで久留米絣を守っていく”という意思を表し、絣をもっと身近に感じてもらいたい。街中でやればたくさんの人の目に触れる。関わった学生の友人や家族にも伝播する。接点が増えることで、絣と触れ合う人が増えます。

織元と見出した「オープンな関係」

今朝染め上げた糸を乾かしている現場で織元の下川さんと話す古賀さん

今朝染め上げた糸を乾かしている現場で織元の下川さんと話す古賀さん

久留米から車で約30分。八女市で久留米絣の織元を営む下川強臓さん。作り手の立場で古賀さんと共に仕事をしています。彼は古賀さんのことをどう見ているのでしょうか。

下川さん:
「織元は職人集団。製造が第一だけど、販売やPRも大事。でも自分たちで全部やるのには限界があります。だから“信頼できるパートナー”を見つけることが大事なんです。

私には海外のアーティストとのコラボで気づいた“織物でなら世界中の人と対話できる”という理念があります。古賀さんは、価格や生産量、作り方などの根底となる“作り手の思い”をしっかりと理解してくれる。ビジネスを超えた人間としての部分での信頼感があります」

下川さんと古賀さんが共通してもつ感覚は、“オープンリソースとオープンネットワーク”といえるのかもしれません。下川さんは続けます。

下川さん:
「昔、作り手の工房は部外者立ち入り禁止。流通業者も作り手の顔が見える商売はあまりやっていなかった。そこに古賀さんたちの世代が、新しい流れや関係づくりを始めたんです。その違いはオープンさ。生産者と販売者の垣根を超え、やろうとしていることを話せる関係を作ろうとしていたんです。“感覚を投げ合える”関係ですね。

昔の関係なら、これから何をやろうとしているかを、違う立場の人やライバル業者に事前に話すことはなかった。古賀さんは“お客さんが一番喜んでくれる形は何か”を最優先するんだと思います。だから自分への依頼であっても、マッチすると思った同業者にもシェアする。リソースをオープンにし、ネットワークを広げていくんです。目の前の利益ばかりを見ていない。久留米絣を遺し伝えていくことが、視野にあるのだろうと思います。

僕の会社もスモールだし、古賀さんもスモールビジネス。でも、スモール同士で手を取り合い”ネットワークビジネス化”する。地域と関係を持ちながら活動している古賀さんが、効果的なネットワークをシェアしてくれています」

不可解。それがみらいの研究

久留米絣みらい研究室の古賀円さん

久留米絣みらい研究室の古賀円さん

絣デザイナー、プロデュース、コーディネート、まちのプレイヤー。彼女のスタンスは掴みどころが無く、時に不可解にも見えます。
古賀さんは“いろんな自分の視点が重なった部分が久留米絣”と話しました。コミュニケーションのきっかけ。この土地がもつ大切なものをあぶり出す切り口。久留米絣を表現方法の一つと捉え、“久留米で新たな価値を創造する”ということに帰着しているのでしょう。

彼女のアトリエの入り口には、「久留米絣みらい研究室」と書かれたボード。久留米絣という媒体の上で、人の感性価値を紐解き、複雑な思いや背景を描き、これまでにない”コト”紡ぎ出す。“人とのセッションの中で想定してなかったアイデアが生まれたりする。絣でいろんな人と繋がって、見たこともない景色を創りたい”と話す古賀さん。「どう絣を魅せ、何を生み出すか」。地域の伝統的な資源から新しい価値を生み出す。彼女の研究は続きます。

文:秋山フトシ 写真:秋山フトシ、おきなまさひと

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