ローカルニッポン

人と街の未来が重なる場所 「柳川ゲストハウスほりわり」から見える”ボーダー”

書き手:秋山フトシ
久留米市役所職員。元広報担当で700以上の記事を制作。編集や写真講座の講師も務める。オフではチエツクプロジェクト主催の”地域の編集と書く仕事”編集長を拝命。”ペンとカメラ(取材・執筆、撮影)”をライフワークとしている。

”掘割”と呼ばれる水路が巡る街を、川下りの舟に乗ってゆったりと風景を楽しむ。岸に着くと、うなぎの甘く香ばしい香りでお腹の虫が騒ぐ。福岡県柳川市は、県南の観光地として知られています。「柳川ゲストハウス ほりわり」のオーナー、島田侑季さんは、掘割がすぐそばを流れ、柳川を全身で感じることができる場所にある大好きなおばあちゃんの家を受け継ぎ、改装してゲストハウスを造りました。

「街の風景、地元の祭り、地域の資源や生活習慣を継承する。そういうことのお手伝いがしたかったんです」。ゲストハウスを通して”様々なボーダー”と向き合い、柳川の街に様々な体験と変化を生んでいる島田さんに話を聞きます。

女性現場監督からゲストハウスオーナーへ

島田さんは、中学までを柳川で過ごし、大学から横浜へ。そのまま横浜で大手住宅メーカーに就職します。CADオペレーターや設計担当を務め、最後の約4年は、女性現場監督として、多くの建設現場で仕事をしました。

会社員時代、生の英語を勉強したいと、海外の旅行者と出会える場所を探していていて、ゲストハウスの存在を知りました。そこでいろんな人と出会い、さまざまな国や地域の衣食住、宗教、文化などに触れたそうです。その中で気づいた”日本の特殊性”が、帰郷してゲストハウスを始めるきっかけでした。

島田さん:
「日本って小さい地域や、文化の集まり。国内でもいろんな色や個性があって、それがアイデンティティにつながっている。日本にも知らないことがたくさんあるということを、私自身いろんなゲストハウスで知ったんです。地元の人の話を聞き、ならではの風景、食べ物、時間の過ごし方を感じる。時には地域に関わらせていただく。これはガイドブックでは得られない体験です。そして、それができるのは、その土地の伝統が残っていればこそ。その意味で、私が一番力を発揮できるのは、やっぱり地元かなと思ったんです。でも、戻るのも勇気が必要でした」

それから仕事の休みを利用しては横浜から柳川へ通い、柳川や周辺の人と触れ合うようになったそうです。そして福岡への転勤を機に、さらに活動を本格化。2016年に退社し、ゲストハウスづくりを本格的にスタートします。たくさんの仲間と共に約4カ月の工事を経て、2017年5月、“柳川ゲストハウスほりわり”は完成しました。

ゲストハウス工事中の様子。たくさんの仲間が力を貸してくれたそうです。(写真:ほりわり提供)

ゲストハウス工事中の様子。たくさんの仲間が力を貸してくれたそうです。(写真:ほりわり提供)

島田さん:
「会社を辞めたのを『勇気あるね』ってよく言われます。でも、やめるではなく”異動する”という感覚だったんです。会社の方針も”世の中のために”とか”人間愛”だったので。軸にしていることは、そんなに変わっていないかも」

ゲストハウスの可能性

島田さんが思うゲストハウスの役割は、街の外の人も中の人も、知らないヒトやコトと出会えるハブであること。地域のゲストハウスがうまく機能すれば、その土地のリアルな魅力を残すための拠点になると考えています。

ゲストハウス「ほりわり」のコンセプトは、”街のリビング”。柳川の街を、大きな宿と捉えている島田さん。ゲストは重い荷物をここに置いて、街に出かける。街の食堂や居酒屋さんはダイニング。街の温泉がお風呂。そこに向かう道で、柳川の風景や人に出会う。スーパーや商店街は地域色が滲み出る食品庫。そこで買った材料を使い、ゲストハウスのキッチンで料理し、より柳川をディープに感じる。
島田さんは、ゲストハウスに”おばあちゃんの家”を重ねています。

島田さん:
「親戚が多くて、毎年のように子供が生まれていました。この家には、赤ちゃんから祖父母まで、常に老若男女がいて、近い親類には障害を持った人もいました。ふだん私たちの生活の中には、いろんなボーダー(目に見えない壁)があり、様々な立場で向かい合う場面があります。日本と海外というボーダー。まちづくりに関わると見えてくる、役所の人と街の人という社会的ボーダー。学生と大人という年齢からできるボーダー。地元の人と外の人というボーダー。それはそれで必要なもの。でも、ボーダーを超えた関係がつくりだすものは大きいのではないか。様々な人に触れる中で、そう感じるようになりました。ゲストハウスのリビングは、立場や年齢を超え、そのままの”人”として関われる可能性を持つ場所だと考えています」

応接間をリノベーションしたリビング。街と宿泊者のハブに、という思いがこめられた場所です。

応接間をリノベーションしたリビング。街と宿泊者のハブに、という思いがこめられた場所です。

ゲストハウスから生まれた街の信頼関係

令和2年5月、ゲストハウスのオープンから3年が経ちました。
ゲストハウスの宿泊客の中心はバックパッカー。でも、ここは和室ということもあり家族で訪れる人も多く、生まれて間もない赤ちゃんや70〜80歳くらいの人も泊まるそうです。
相部屋を含めた4部屋に、年間約400組が宿泊。毎年1000人ほどが柳川の町と触れ合う中で、島田さんは、街の変化を感じています。

島田さん:
「以前は、私が一緒に行って街を案内していました。今は私が一緒じゃなくても『あんたゲストハウスから来たとやろ』と、街のいろんな人がよくしてくれるようになりました。柳川の人たちが私やゲストハウスのことを認識してくれています。

ゲストさんに『あそこの店の人からこうしてもらった』と聞くと、お店の人にお礼ができたり。1人で居酒屋に行って、そこで奢ってもらって帰ってくるゲストさんも結構多くて。街でお金を使ってもらうのも大切なんですけど、それはそれで嬉しい(笑)。良い相乗効果が生まれていると思います。ゲストさんから街の人にお土産や手紙が届くことも多いです」

以前は、人に頼ることが苦手だったという島田さん。ゲストハウスの運営で「街のみんなに甘えても良いんだと感じた」と話します。壁にぶつかった時に、浮かぶ顔が増えてきた。ゲストを通じて島田さん自身と街の人との信頼関係も生まれています。

島田さん:
「でも、この相乗効果はあくまで自然発生的なもの。これからもう少し“仕掛けるコミュニケーション”を目指したいです。ゲストさんが街に溶け込む流れはずいぶん定着してきたと思うんです。でも、はたから見て”宿”であるゲストハウスのリビングに、街の人が来られるようにするには、まだまだ工夫が必要だということも見えてきました。これからのゲストハウスほりわりの課題です」

家族で泊まりやすい和室タイプの部屋。気持ちの良い縁側も売りです。

家族で泊まりやすい和室タイプの部屋。気持ちの良い縁側も売りです。

和室に込めた思いや工事の様子が感じられる写真が、和室の壁に貼ってあります。

和室に込めた思いや工事の様子が感じられる写真が、和室の壁に貼ってあります。

コロナ禍の最中。島田さんが見ていたもの

新型コロナウイルスが流行拡大中だった今年4月。ゲストハウスほりわりはゲストを、柳川へ仕事や転勤、進学で訪れる人たちに限定して“ゆっくりと眠ることのできる寝床”を提供していました。外出自粛で観光客は減り、飲食店も営業を自粛。街はとても苦しい時間となっていましたが、最近では、街を支える色々な団体の会合にも出席することも増えてきたという島田さん。新しくはじまった生活様式の中で、今何を思っているのでしょうか。

島田さん:
「この街が“住みやすい街”になるには、さらにもう一歩進めた”信頼感”を得る必要があると感じています。同世代の”なんでもOK” 的な関係ばかりではない。商工会や商店会など、いろんな人が街を動かしていますから。街では、私はもちろんまだまだ若輩者です。

活動者の若年化もしてきたい。でも、”何か”を実現するためには、いろんな場で信頼感を持ってもらえる努力もしないといけないと思っています。例えばきちんとした企画書を作るとか、誰もが難しいと思う課題に取り組むとか。私の良いところも悪いところも知ってもらうことは大事」

そんな島田さんは、あるプロジェクトに力を注ぎました。

枠組みを取っ払い、みんなが活きる方法を

市役所の担当者と「TAKE OUT やながわ」の打ち合わせ

市役所の担当者と「TAKE OUT やながわ」の打ち合わせ

街が新型コロナで疲弊している中、島田さんは街で頼りにしている人々に企画を出しました。それは「TAKE OUT やながわ」。飲食店のテイクアウト応援の柳川バージョンを立ち上げました。
過去の大災害でもあらわになった問題。それは ”情報弱者の存在”。

街の古い飲食店はもちろん、商店街の酒屋さんや魚屋さん、肉屋さんも、普段納品している飲食店が営業できないと大打撃です。SNSなどを駆使して対応しているお店もありますが、地元で昔ながらの商売をやっているお店は、オンラインのネットワークやノウハウを持っていないことが多い。「TAKE OUT やながわ」では、そういったお店も応援したいと考えました。ジャンルに「地方発送」を作ることで、今柳川には居ないけど、故郷を応援したいという人にも届けられます。

島田さん:
「災害時は ”枠組みを外しやすい” 時期だと思います。普段は枠組みや組織ならではのいろんな都合があって、時に分断されている。新型コロナはみんながしがらみや都合を取っ払う良い機会にもなります。

柳川は観光地。普段は外からのお客さんがいる。外からの収入も考えないと成り立ちません。柳川を一つの会社と考えて枠組みを取っ払う。みんなが持っている能力をシェアしていくことが重要かなと思いました。このサイトには、本当に多くの人が関わってくださっています。だから、営業時間の変更など、細やかな情報を届けられるようになってきています。あくまでもサイトは受け皿。街のお店の良さがもっと伝わるための、今あるものをもっと活かすための、お手伝いだと思っています」

この動きは、コロナ収束後にも生きてきます。SNSの力、枠組みを超えた動き。こうした危機を乗り越えた中での経験は、新たな街の活力となるはずです。

ローカルの伝播で日本が動く

ボーダーを超えて人がつながるゲストハウスほりわりのリビング。仲間の1人が描いてくれたイラストです。

ボーダーを超えて人がつながるゲストハウスほりわりのリビング。仲間の1人が描いてくれたイラストです。

人のボーダー、地域のボーダー、社会のボーダー。ゲストハウスほりわりを起点に、人と人の融合で街に変化を生み、地域同士が助け合う。そうしたことが、日本全体が良い方向に向かう動きにつながるのかもしれない。島田さんはこう続けます。

島田さん:
「”テイクアウト”の取り組みは、私の知人が鯖江で仕掛けて、私にサイトのテンプレートを使っていいよと快く共有してくださいました。それが今では全国35地域くらいに広がっています。この広がりが大事。日本のいろんな街がお互いに協力しあって、お互いの地域を助け合っている。どっちが先とか一番とかではないし、かと言って国からのトップダウンではない。ローカル同士で伝播していくことは今だからできることかも。すでに地域がつながって、日本が変わってきている。”あっち側とこっち側がつながっている”ことを意識している人が増えていると思います。私たちの世代は、同業者でも見せ合って教え合う。今は”共有”することで”気持ちの良い競争”をしていける時代なのかな」

ボーダーを跨ぎ、色々な人や状況にグッと寄ったり俯瞰したり。島田さんの話を聞いているとそういった感覚を覚えました。
柳川の街にも、ゲストハウスのリビングにも、存在するボーダー。これがあるから、ほんの少し客観的に、街の魅力や強みを感じるきっかけになる。島田さんはボーダーを俯瞰しながらも柳川の街にどっぷりと浸かり、地域と共に生きていくのでしょう。

掘割の端の街並みにて。

掘割の端の街並みにて。

文・写真:秋山フトシ

リンク:
柳川ゲストハウスほりわり
TAKE OUT やながわ