ローカルニッポン

アイディアと情熱のまちづくり / 岡野大和さん


どこかへ旅行を考えている時、行き先の情報をHPで検索することありますよね?
またはふらっと訪れた観光地でパンフレットを手にすることもあるかもしれません。
南房総鴨川にも観光情報が集まったサイト「かもナビ」や季刊発行される「KamoZine」というフリーペーパーがあります。ただこの2つの媒体に共通していえることが1点。何らかの団体や行政が単独で運営するものではなく、それぞれの団体が集まった実行委員会が主体となっているんです。今回はこの媒体制作を主導しつつ、本業は神社の神職を務めるという岡野大和さんにまちづくりのお話を伺ってみたいと思います。

大学在学中に起業

1184年に創建された鴨川の由緒ある古社「天津神明宮」に代々奉職する社家(神職の家)に生まれた岡野さん。幼少期から家業を継ぐ覚悟をもちつつ、地元の高校を卒業して千葉大学の理学部に入学しました。そこで岡野さんは、当時運用が始まったインターネットと出会います。インターネットは回線さえ繋がれば誰でも自分の意見を世に問うことができる。この革新に目をつけた岡野さんは、学内の設備を利用してシステムの開発に没頭しました。

岡野さんご家族

岡野さんご家族

「当時常識を覆すインターネットの世界に誰もが注目していましたが、これがビジネスになるとは思っていませんでした。そこで大学4年生の時に仲間と6人で、サーバーを作ってホームページやシステムを開発する合資会社を立ち上げたんです。」

家業を継ぐために帰郷

その後会社はコツコツと成果を上げて、2年後には株式会社を設立するところまで大きくなりました。しかし、急速な成長をとげたIT産業は2000年を節目としてバブルがはじけ、低迷期に入ります。倒産が相次ぐ中、地道に技術と信頼を培ってきた岡野さんの会社はなんとかこの荒波に持ちこたえましたが、これをきっかけとして岡野さんは社長の座を退き実家へ帰ることを決心したといいます。

「子どもが生まれたことも大きかったですが、正直その当時は事態の収拾に追われ身体的にも精神的にも疲れきっていました。起業からの一連の流れを振り、改めてやることはやった、神職の道に進もう、と鴨川へ戻ることにしたんです。」

株式会社かっぺ10周年イベント全体写真(最前列左:岡野大和さん)

株式会社かっぺ10周年イベント全体写真
(最前列左:岡野大和さん)

鴨川市合併後WEBサイト統合の話があがる

こうして2006年に実家に戻り、家族で新しい生活がはじまった岡野さんでしたが、故郷鴨川は気鋭のクリエイター岡野さんをゆっくり休ませてはくれませんでした。

「2008年の3月に既に組織統合していた鴨川市商工会のサイトが旧組織のままバラバラに存在していることが問題となって、これを一本化しようという話があがったそうで、どこからか僕が千葉市でIT関係の会社をやっていたことを知った商工会の人が突然神社に現れたんですよ(笑)。」

鴨川市はいわゆる「平成の大合併」のピークとされる2005年に周辺市町村が合併して誕生しました。この合併後はどこの地域も各所に点在する情報システムの統合に苦労したようですね。外部PRの看板となるWEBサイトの統合は当然これに含まれてきます。

かもナビの誕生

しかし、そう易々と引き受けたわけではありません。

「この話を受けるにあたって提案したのは、商工会だけでなく観光に関るすべての団体のWEBサイトを統合すること、そして制作を円滑に進めるために役員会の下に実行委員会を設置して、各団体からの有志を出すこと、という2つでした。」

商工会からの話ではありましたが、なんと岡野さんはこれを機に鴨川市全体のポータルサイトを作ろう、という大胆な提案に出ます。もちろんコンテンツや有用性を考えると1つのサイトに情報が集約されている方が好ましいのは当然ですが、実はこの提案には岡野さんが会社経営時代から培ってきたポリシーが含まれているのです。

「田舎にも沢山の組織があって、狭いからこそ実はまとまりづらいものです。これは端的にいうと生活と仕事が同居している田舎では反対意見が致命的なひずみになりやすい。そこで僕はポリシーである「誰一人としてドロップアウトさせないこと」を貫き通しました。反対があっていい。しかし、切り捨ててはならないのです。反対する人こそ、後で本当の力になってくれると信じています。」

鴨川市のポータルサイト作りという岡野さんの提案にも賛成だけでなく反対の声も上がり、スタート時から制作が難航しました。ただし、わずか3カ月という期間で「かもナビ」が誕生した際、反対した人たちも喜んでくれたとのこと。陰ながら制作の努力を見守り、サイトの狙いを理解したのです。

かもナビ実行委員会全体会議(2014年)

かもナビ実行委員会全体会議(2014年)

「よく「愛と憎しみは紙一重」と言いますが、反対するというのはまちづくりに必要なことなんです。思いがあるからこそ反対するんですから、無関心とは大きな違いですよね。ただ、全員の意見を聞いているのは制作のスピードに影響します。そのため制作現場に一任する仕組み作りもセットで成功を導いたのではないでしょうか。」

こうして様々なドラマを生んだ「かもナビ」の誕生秘話でしたが、この期間にチーム力を高めた「かもナビ実行委員会」は次なるプロジェクト「KamoZine」へと実を結びます。

フリーペーパー KamoZine誕生

こちらは、南房総鴨川住民または観光客向けのフリーペーパーです。2009年にはじまり四季(春・夏・秋)に合わせて年間3本、毎号約3万部発行されており、一年に1回は南房総全体の観光情報も掲載しています。

「帰ってきて思ったことは、地域住民ほど地域のことを知らないということです。鴨川には全国に誇る地域資源がたくさんあります。これを住民が知って、自分のまちに自信をもってもらいたい。そのことが地域活性化の根本的な動力になると思っています。」

フリーペーパー KamoZine

南房総発!女子サッカーチーム「オルカ鴨川FC」

神職の傍らまちづくりに取り組む岡野さんですが、他にも鴨川を題材としたアニメ映画「輪廻のラグランジェ」とタイアップして「鴨川エナジー」というご当地ドリンクを開発するなどアイディアに事欠かきません。そんな中今最も力をいれているのが「オルカ鴨川FC」。鴨川で生まれた女子サッカークラブチームです。

女子サッカーチーム「オルカ鴨川FC」

「これまでの数々の媒体制作やイベントの開催から鴨川には行政と民間がフラットな立場でまちづくりに向かう環境が整いつつあります。そこで日本全国、引いては海外に鴨川そして南房総を知ってもらうためにも、この「オルカ鴨川FC」は大きな存在になると確信しました。初めは後援会事務局長だったんですが、今では監督と二人三脚(笑)。なでしこリーグ昇格を目指して選手と共に頑張ります!」

今秋チャレンジリーグへの昇格を賭けた戦いにむけて、神社のお務め以外の時間を9割方オルカ鴨川FCに充てているという岡野さん。天津神明宮でも今年は20年に一度の大祭が控えているとのことで、大忙しの毎日を送っています。何かを始めること、そして継続することには困難が伴うものですが、岡野さんの英断と実行力をお聞きすると、情熱をもってすればどんな障壁をも乗り越えることができる、そんな信念が持てるお話でした。

文:東 洋平