町を変えるには、まず自分の店から。ツッパリ少年が、「枠にはまらない料理人」になるまで。 / 赤松健二さん
人口8,000人の小さな町、島根県津和野町。ここに異才を放つ料理人がいる。赤松健二さんは、イタリアン・レストラン”ピノ・ロッソ”のオーナーシェフであり、同時に町民から広く愛される「ケーキ屋さん」の一面も持つ。まかないではプロ顔負けの中華料理を作り、町から依頼されては新たな食の創作に取り組む。
枠にはまらない彼を動かしているものは一体、何なのか。
生い立ちと活動に対する想いについて語っていただいた。
エネルギッシュな学生時代、その源とは。
— 赤松さんの学生時代について教えてくれますか。
「生まれは、津和野町の隣の旧・柿木村。高校は津和野高校に進学したので、津和野町と縁ができた。高校時代は、ビー・バップ・ハイスクールが流行った時代。だから、髪型はリーゼントだったよ(笑)。それが普通のファッションだったし、周りもみんなそうだった。多少、悪い事もしてたけど、部活も頑張っていたよ。剣道部では警察など社会人を含めた石見地区(島根県西部)の大会で優勝したり、応援団の団長もやってたりしてたな。」
— すごいエネルギッシュですね。
「有り余るエネルギーのはけ口を探していたのかもしれない。僕の場合は親からエネルギーをもらっていたかな。というのも小学校で父親が、高校で母親が亡くなり、孤児になったんだよね。だから、「親が生きることができなかった分」まで生きようと。そういう意識が高校時代からあったかな。」
— そこがきっと赤松さんの原点なんですね。
苦労した修業時代、創意工夫で乗り切る。
— これまでの話だと料理人になる感じはありませんよね。料理人を目指したきっかけはなんだったんですか?
「元々、漫画も書いていたし、何かを「創る」のが好きだったから、デザイン関係の仕事に進もうとした。叔父の知り合いが大阪で料理人をやってたから「そこで修行しないか?」って声がかかったんだ。
料理人みたいに自分で何かを「創る仕事」はピッタリだと思ったね。」
— 特別に料理が得意という訳ではなかったんですね。やはり、修業時代は苦労されましたか?
「大阪で修行したんだけど、大変だったね。料理の経験もなければ、包丁の使い方すら分からない。だから店の前にあるサンプルケースを見て「こうやって果物は切っているんだな」って勉強したり、家族にケーキを買って来たときも「食べる前に、断面を見せて!」と言って、断面を書き写してたりしてたかな。
特に、パティシエの師匠は厳しくてね。目の前でレシピを書き写してたら、怒鳴るんだよ。だから、こっそりトイレに行って、小さいメモ用紙に殴り書きする。帰宅後に清書するっていう毎日だった。その頃の目標は、「1日1個新しい事を覚える」。絵を書くのが得意だから、一生懸命、絵に書いて覚えていたよ。数十年も前の話だけど、まだ当時のレシピは使っている。そうやって洋食だけではなく、ケーキやパンの作り方の基本も覚えて、何度も何度も修正を繰り返してきた。」
— 絵を書くという得意分野がそういうところで活きているんですね。
料理人の「自分だからこそ」できる役割とは。
— 修行を終えて、津和野に帰って来られた理由は何ですか。
「大阪で10年修行した後、津和野に帰って来た。出身は違うけど、高校時代を過ごしてお世話になった人が沢山いるこの町で店を構えたかったのが理由の1つ。自分が生きていた「証」を残すため、「お世話になってた人達への恩を下の世代に返したい」と思っていたからね。
当時の津和野は観光地として栄えていたけど、洋食のお店がなかったんだ。ケーキ屋もパン屋も無い。だから、1人で洋食のお店もやりつつパン屋もケーキ屋も同時にやろうと思った。ここで店を構えれば成功していける気がしていたからね。実際、クリスマスには100件以上のケーキの注文がくるよ。
そうやって、店の仕事を重要視してたんだけど、そのうち、「料理人としてこの町に何が貢献出来るんだろう」と思う様になってきた。ずっと店にいても料理の腕が上がる訳でも、この町が良くなるわけでもない。だから、町のお祭りに店を休んで出たりした。商工会青年部の人達と一緒に企画を練って、僕が料理を出す。毎年、何かコンセプトを決めては楽しんで料理を創っていた。」
— 他にも大事にしている活動はありますか?
「「食育」だね。何年か前に、オテル・ドゥ・ミクニのオーナーシェフである三國清三さんがキッズ・シェフという食育を始めたんだ。本で見た瞬間に「これだ!」と思ったから、緊張で手を震えさせながらレストランに電話したら、偶然三國さんがレストランにいてね。話をしたら「赤松さん、それは協力してほしい。今度、岡山に行くから手伝ってくれないか?」って言ってもらったのね。
そこから店を休もうと何しようと毎回毎回、食育の活動に行ってたら、いつの日か「あいつはウザいくらい、どこにでもいる」と言われる様になった(笑)。そうやって、色んな料理人と交流を持つ様になってから、刺激を受けて、自分の意識も変わってきた。よくこういった活動してて、「金になるの?」って言われるけど、そういう問題じゃないんだよな。」
— 最後に、津和野町のためにどんなことをしていきたいか、教えてください。
「最近、店の名前を変えたんだけど、まだ自分が思う様な中身までに変わっていない。やはり、地元の生産者と協力して、地場レストランていうところを意識したメニューつくっていきたい。もちろん、「町を変えたい」という気持ちもあるけど、まずは「自分の店」から。自分の店が変われば、町も変わる。そう信じている。嫁さんからは、「いつもそう言っているけど、できないんじゃないの本当は?」て怒られるけど(笑)
今年こそは、本当に変えていきたい!」
文:島袋 太輔
■津和野 四季のイタリアン ピノ・ロッソ
住所:島根県鹿足郡津和野町後田ロ284
電話:0856-72-2778
営業時間:ランチタイム(11:30-14:00)、ディナータイム(17:30-21:00)*木曜定休日
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