ローカルニッポン

日南くらし01 “入り口のない公園” を目指した場所づくり

杉本恭佑
1991年生まれ。熊本県出身。大学時代を過ごした宮崎に惚れ、宮崎で生きていくことを決意。東京で宮崎野菜の販売を行うベンチャー企業で働いた後、宮崎にUターン。日南市で地域おこし協力隊としての活動を経て、現在は施設運営やイベントの企画運営など、地域プロジェクトを複数展開している。

私は、大好きな地域で、場をつくって生きていくことを決めています。
宮崎県日南市。ここをフィールドに小さな企画づくりをしています。遊んでいるように楽しく働いて、そのエネルギーをじわじわと波及させていきたい。地域資源を活用して“遊ぶ”ために必要な、遊び場と遊び道具と遊び仲間。今、私は日南市の方々と遊びづくりの最中です。

宮崎との出会いと東京就職

宮崎が大好きな私ですが、出身は熊本県です。20歳まで、地元である熊本県で過ごし、大学編入を機に初めて親元を離れて来たのが宮崎という地域でした。元々はエンジニアになろうと大学進学を選びました。編入学ということもあり最初はあまり友人ができませんでしたが、数少ない友人に誘われて参加したボランティアが、たまたま“地域活性”に関わる活動だったのです。ただ、仲間が欲しいと思い参加した活動の中で、宮崎で働く大人たちに出会い、私の人生観が変わりました。人と関わりながら、楽しく生き生きと働いている大人たちをみて、自分が向き合っていきたいのは機械ではなく、人だということが分かりました。その活動を通して、大切な繋がりもでき、宮崎という土地が自分を受け入れてくれたと感じたのです。

自分の人生が変わるきっかけをくれた場所に、何かを返していきたいと考え始めたのは宮崎にきて2年が過ぎた頃でした。就職活動の軸にしていたのは、“宮崎に最大限価値を返すこと”でした。こうして大学を出るタイミングで、友人が立ち上げた宮崎野菜を販売する会社の東京支部立ち上げメンバーとして上京しました。外で得た経験を宮崎に返していくこと、仕事で宮崎に関わっていくこと、両方の想いを叶えることができた就職先だったといえます。その後、東京で暮らす3年弱の中で、会社として初となる店舗を立ち上げ、店長を務めながら野菜や個人の繋がりを活かして、副業として多いときは月に5本のイベントの企画運営も行なっていきました。

立ち上げ、店長を務めたVEGEO VEGECO 根津

立ち上げ、店長を務めたVEGEO VEGECO 根津

場づくりをするための日南移住

東京に住んでいる間、東京と宮崎をつなげる活動をしたいと思い、関係人口をつくることを目的とした「KINAIYO」というプロジェクトを企画。この時、宮崎県の中で密に連携をしたのが日南市であり、今私がメインフィールドとして活動をしている、「油津商店街」の方々とも出会うことになります。

この企画が終わる頃に、油津商店街が奇跡の商店街と言われるまでになった立役者の木藤さんと、地域活動の中心を担っている株式会社油津応援団の社長の黒田さんに、声をかけられることに。それは、商店街に若い新しい風を吹き込むために、「一緒に働かないか?」というお誘いでした。東京で3年働き、次のステップを探していた時期だったこともあり、私は日南市に移住することを決めます。

日南市では、1年間地域おこし協力隊として活動。株式会社油津応援団に出向をして、商店街の活性化に取り組みました。私のミッションは商店街にあるテナントの利用率改善と、若い世代の商店街への関わりを増やすこと、つまり油津商店街というフィールドにおける場づくりでした。これまで商店街に関わっていなかった人が街に関わるきっかけをつくるために、小さなイベントを企画し続け、市内外で実施した企画は1年間で40本程度にもなりました。

活動の最後に実施した生き方見本市MIYAZAKI

活動の最後に実施した生き方見本市MIYAZAKI

小さな企画づくりをする理由

地域おこし協力隊として活動していく中で、意識をしていたのは小さな企画づくりをたくさん行うことです。そこには3つの理由があります。

1つは参加できる機会を増やすため。一度の大きな企画だと、その内容に興味がなかったり、都合が合わないと参加することができません。「油津商店街ではいつも何かやっているよね」という空気感をつくることを意識しました。2つ目は、一人一人との関わりを増やすため。都会とは違い、人が無数にいるわけではないので、一人の参加者が次の機会にもまた来てくれることが重要です。参加者一人一人との縁をできるだけ繋げられるようにしました。最後に重要なのが3つ目です。小さな企画を複数回実施することで、「自分でもこのぐらいの企画だったらできるかも?」もしくは、「次に何かがあるときに運営する側にまわってみたい」と思ってもらえるようになることです。街に関わる人を増やすためには、いつまでも参加者を増やすのではなく、企画側にまわってくれる人を増やしていく必要があります。

これら3つの理由から小さな企画づくりを続け、1年間の活動の最後にはいつもより少し大きめのイベントを企画しました。その時の運営メンバーになってくれた15人のほとんどは、イベント参加以前は商店街の活動に参加していない人たちでした。

地域おこし協力隊の任期が終了したあと、私はそのまま日南市に残りました。1年間お世話になった株式会社油津応援団からお仕事をいただき、ほかにも地域の中で仕事を作り、個人事業主として生計を立てています。現在、油津応援団としては、商店街の中のイベントの企画運営、ゲストハウスの運営を主な業務としています。個人では、企画旅行のコーディネート、無人の古本屋の経営、ローカルメディアの運営、ECサイトの運営、オンラインイベントの企画運営、地域留学プログラムの運営などを行なっています。

個人の仕事のほとんどは、日南市のローカルメディア「ヤッチャ」を運営するチームで行っています。どのような仕事においても、私は地域資源を活かして、地域で遊ぶように仕事をすることを大切にしています。

「地域に関わってほしい」というのは、地域づくりに携わっている人や、地域愛が深い人のエゴにもなりがちです。地域のために動くのではなく、楽しそうな場があったら、自然と人はその場に参加したくなるのではないでしょうか。楽しく遊んでいる人たちがいたら、その中に入っていきたいと思いませんか?

そこで、私が目指すのは “入り口のない公園” のような場所づくりです。公園には遊具や広場がありますが、そこで何をするかは自分たち次第です。日南市という大きな公園の中で、一緒に遊んでくれる人たちを増やすために、私たちは遊び道具を集めています。その遊び道具が、私たちの仕事づくりです。小さな仕事をつくり続ける理由はそこにあります。入り口のないという表現の意味は、狭い入り口からではなく、どこからでも入ってこれる場所であることを指しています。

運営するローカルメディア「ヤッチャ!」

運営するローカルメディア「ヤッチャ!」

住む場所を開くということ

私は昔から寂しがりやで友人と遊ぶことが大好きでした。今も遊び相手を見つけるために、自分自身が周りから遊びたいと思ってもらえる人でいつづけることに注力しています。

日南市にきてからの一年間は、3LDKの一軒家で一人暮らしをしていました。それは、日南市に行ってみたいという人や、短期間住んでみたいという人が、日南市にくるハードルを下げるために、自分の家を解放するためでした。結果的に、1年の間に1ヶ月以上滞在した人が6人。短期の滞在や遊びに来た人を含めると100人近い人が私の家を利用しました。

現在はコロナ禍ということもあり、住み開きはしていませんが、今後、友人やこれから友人になる人たちに開ける拠点をつくっていくために物件を探しています。

大学時代に私を受け入れたくれた宮崎の大人たちや友人たち、日南に移住するときに迎え入れてくれた方々がいて、今の私がここにいるからです。そして、今の私は地域で受け入れる側です。地域に関わるきっかけと、離れても地域に関わり続けることができるきっかけを、場を通してつくっていきます。

運営しているゲストハウスfan!での一コマ

運営しているゲストハウスfan!での一コマ

文:杉本恭佑 写真:ヤッチャ!

リンク:
日南市のローカルメディアヤッチャ!