ローカルニッポン

祭りから暮らしへ。創業103年を迎えた染屋が彩るサスティナブルな未来 前編

書き手:川島佳輔
株式会社COKAGE STUDIO代表取締役。クリエイティブディレクターとしてデザイン視点で地方の暮らしを豊かにする取り組みを行っている。
2018年岩手県奥州市にて元額縁店をリノベーションしたカフェ「Cafe&Living UCHIDA」をオープン。愛用している無印良品の商品はハードキャリーケース。

創業103年を迎えた岩手県一関(いちのせき)市の染屋「株式会社京屋染物店(以下、京屋染物店)」。祭りの半纏(はんてん)などを制作する傍ら、暮らしを彩る道具を展開する自社ブランドen.nichiを2019年に立ち上げるなど、今なお新たなチャレンジを続けています。本記事では京屋染物店の歴史とものづくりに対する姿勢を、京屋染物店四代目の蜂谷悠介さんはじめ、従業員のみなさんにお聞きしています。

左から京屋染物店の三浦真衣さん、蜂谷悠介さん、庄子さおりさん、寺嶋康平さん

左から京屋染物店の三浦真衣さん、蜂谷悠介さん、庄子さおりさん、寺嶋康平さん

友禅染の産地、京都で磨いた染色技術

京屋染物店の歴史は明治時代にまで遡ります。
創業者である蜂谷松寿さんは、若くして京都に修行へ向かい1910年(明治43年)から京都・橋詰の友禅工場で修行した後、1917年(大正6年頃)に一関に帰郷し京屋染物店を開業します。

蜂谷さん:
「松寿は幼い頃から絵がとても上手だったそうです。その才能を地域の方々に見出されて、京都へ修行に行ったと聞いています。それから縁あって京都の友禅染の工房で修行することになり、数年間の修行を経て一関で染物店を開業しました。初代は友禅染が中心でしたが、二代目は呉服の販売を始め、私の父である三代目が今の染色工場の原形をつくりました」

染物業界では古くから分業制で仕事が進み、それぞれの工程を分け、専門性を高める事で高品質な製品の生産性を維持してきました。

そんな中、京屋染物店では受注から納品までの全工程を自社で完結する“自社一貫制”にこだわっています。オーダーを受けるお客様担当にはじまり、デザイナー、染職人、縫製職人、仕上げ担当へとバトンをつなぎ製品をお客様の元へ届けます。このような自社一貫制での生産体制は、一関で染物屋として生き残るために必要だったと蜂谷さんは言います。

四代目の蜂谷悠介さん

四代目の蜂谷悠介さん

蜂谷さん:
「通常お客様からオーダーいただいた後、デザイン・染色・縫製と商品がお客様の手に届くまでに、大きく分けて3つの工程があります。これらの工程の中にも沢山細かな工程があるのですが、友禅染めの一大産地である京都は分業制でも成り立つんです。産地というだけあって、当然染物の需要もありますし、職人も多くいますので。

しかし、東北の片田舎である一関ではそもそも分業化できるほど、需要が多くなかったんです。自分たちで一から十まで全部できないと仕事として完結できなかったので、型もつくるし、染めも蒸しも洗いも仕立てもやるという一貫生産の流れができました。染屋として生き残るためにできることをやってきた結果が、全国でも数少ない自社一貫の生産体制に繋がったと思います。昔はこの地域にも型染めに使う型だけを販売する業者もあったんですが、時代とともに徐々に無くなってきて、最終的には内製化していく流れになりました」

四代目である蜂谷さんの代になった2010年以降、敷地内に縫製工場を設置。生産体制を整えていくことで、自社のものづくりに対する付加価値は向上。より高品質なものづくりができる企業へと成長していったのです。

古くから行なっている半纏や手拭の製造をはじめ、近年では大手メーカーのOEMやタイアップ商品も手がけるなど、ますます活躍の場を広げている京屋染物店。経営者としても順風満帆に見える蜂谷さんですが、染物屋を引き継いだ頃は苦悩も多かったといいます。

「LOCAL WEAR by Snow Peak」を2019年に共同制作。

「LOCAL WEAR by Snow Peak」を2019年に共同制作。

蜂谷さん:
「私が代を継いだ2010年。その9ヶ月後に東日本大震災がおきました。京屋がある岩手県をはじめ全国で多くの被害がありましたが、さらに追い討ちをかけたのは、お祭り自粛の空気でした。全国で予定されていたお祭りの中止が相次ぎ、受注していた半纏や手拭いなどの受注もほとんどがキャンセルとなり、会社も経営危機に陥ります。もうダメかもしれないという心境でしたが、少しでも誰かのお役に立ちたいと思い、被災地のボランティアに向かいました。

ボランティア活動をする中で、瓦礫から見つけた半纏を大切に保管している方たちに出会ったんです。そこでかけられた言葉は今でも忘れられません。『祭りには力がある。一日でも早く祭りを再開したいから、染屋として頑張ってくれ』と声をかけられました。その時私は、祭りには人を勇気づける力があると確信し、日本の祭りを支える染屋になると誓いました。それから祭り復活の支援活動として、被災三県の祭り団体へ半纏の寄贈をはじめました。これまでに60団体以上に半纏を寄付しましたね」

こだわりの、手染め

染色部の寺嶋さんによる染色作業の様子。

染色部の寺嶋さんによる染色作業の様子。

取材当日案内された工場内は、まさに染色の最中でした。12mを超える一枚の真っ白な布が一直線に広げられ、置かれた型に染料を置き、染め上げる様子は息つく暇もないほど一瞬の出来事。京屋染物店で染色を担当している染職人の寺嶋康平さんに、手染めの魅力や使用している生地について説明していただきました。

寺嶋さん:
「当社では主に『手捺染(てなっせん)』という技法を用いて染色しています。型の上からスキージという道具で染料を生地に流し込んでいくのですが、力加減で染まり具合も変わっていくんです。技法としてはシンプルですが、使用する生地や染料によっても染まり方が異なるので、毎回染料の配合を調整して、生地の裏まで染まるような仕上がりを目指しています。

なぜ裏まで染めるかというと、祭りで手ぬぐいをねじり鉢巻にする際、裏まで染め上げられた手ぬぐいが重宝されるんですよね。表裏が目立たない状態に仕上げることでねじったときに模様が綺麗に出る。職人の腕の見せ所です。決して派手な染め方ではないですが、型通りに染め上げるための日々の努力も、手捺染のたのしさです」

染物業界も職人による手作業の多くが機械化されているなか、今なお手染めにこだわる理由は、仕上がりの差でした。手染めだからこそできる力加減で生地繊維の奥まで染め上げることで、色の深みと奥行きがある製品に仕上がる。丁寧につくられたものを長く愛用することで、一層深味のある風合いへと変化していきます。

安心安全なものづくりを

直接肌に触れるものは、安心できる素材を使いたい。そう考える方も多いのではないでしょうか。京屋染物店では、世界的な認証制度「エコテックス®スタンダード100」の認証を取得しています。

エコテックス®とは繊維の安全性を証明する制度で、素材の安全性の他にも、環境や働く人にも配慮した生産体制がとられているかを厳しく審査する、人と地球に優しい繊維製品の証です。一本の糸、一滴の染料から、製造工程、トレーサビリティまで細かな検査に合格した京屋の手拭いは、生後36ヶ月以内の乳幼児にも使用できるエコテックスの最高ランク「クラスⅠ」のプロダクト認証を受けています。

寺嶋さん:
「海外って安心安全の意識が日本よりもすごく高いんですね。フランスではベビー用品にエコテックス®認証が付いているのが当たり前だったんです。
当時から私たちも安全性の高い素材を使った製品づくりをしていたので、同じ基準でやれるという気持ちでした。
例えば生地の話でいうと、私たちは無蛍光生地というのを使用しています。世の中に出回っている多くの生地は、白をより白く見せるように蛍光染料というものを使っているのですが、蛍光染料が人体に無害かと言うと、そうとは言い切れません。
また、生地に使用している綿についても、綿花を栽培・収穫する際に農薬や殺虫剤を使用していないオーガニックコットン(GOTS認証)を使用して生地を作ってもらうなどしています」

en.nichiのエコテックス®スタンダード100のプロダクト認証商品

en.nichiのエコテックス®スタンダード100のプロダクト認証商品

コットンを作る際に使用する農薬の量は、世界で使用される農薬の約7%とも言われています。農薬や殺虫剤は製品の安全性に影響を与えるだけでなく、綿花を育てる土壌の汚染にもつながり、さらには綿花生産者の健康を損ねることにも繋がりかねません。

安心・安全な製品を使うことは、自分にも環境にも、遠くの誰かの暮らしにも優しくあれるのかもしれません。日々の暮らしにサスティナブルな商品を取りいれてみませんか?

(後編に続きます)

文:川島佳輔
写真:京屋染物店、Snow Peak、川島佳輔

リンク:
株式会社京屋染物店HP