ゼロゼロ農業:0からスタートでも借金0
「とうとう、自分の農業が始まる。」
津和野町横瀬地区に立つ新築ビニールハウスを前に私は思った。不安はあるが、それを上回る高揚感が全身を駆け抜ける。私は津和野町の農業研修生。4月から認定就農者となり、独り立ちをする。
「私」
私、山田達郎は31歳、独身、愛知県名古屋市出身。高校卒業後、アメリカ、オクラホマ州立大学で4年間留学。植物学専攻、哲学副専攻で卒業。在学中は研究者を目指すも、データの信憑性やカネありきの研究内容に疑問を持ち、異なる道を進む。帰国後、塾講師を3年勤め退職。中学生時代からの夢であったバックパッカー、放浪の旅人となる。途中一時帰国し、資金稼ぎのアルバイトをしつつ、アジア、ヨーロッパ、北米、中米、南米を合計1年8ヶ月かけて周遊。ブラジル滞在中に日系人創設の弓場農場で1月半の農場体験をし、農業を生業とする覚悟をする。同農場で出会った友人が先行して津和野町で農業研修を行っており、その縁でこの地を研修先とした。
山あり谷あり
研修開始後も平坦な道ではなかった。最初の受入先との仲は良かった。最高に気が合ったといってもいいだろう。人から聞いた話だが「今までの研修生の中で一番いい」と言っていたそうだ。私もその方の理想に深く共感し、楽しく研修をさせていただいていた。しかし、こういうときにこそ少しのすれ違いが大きな波紋を呼ぶもの。酒の席でのちょっとしたひと悶着から、お互い疑心暗鬼になり、冷戦状態となってしまった。農林課担当者との話し合いや現受入先農家からのオファーもあり、移籍となった。研修は2年まで受けられる。就農資金を貯めることを考えれば2年やった方がいいのは間違いない。迷いはあった。農林課担当者の「お金のことではなく、山ちゃんが一番したいのは何かを考えたほうがいい」との言葉に後押しされ、研修を1年で打ち切り、独立することにした。
いつも愚痴を聴いてくれるブラジルで会った友人M。迷ったときに初心を思い出させてくれる農林課のMさん、Sさん。現受入先のWさん。今ではまた仲良く酒を飲んでくれる元受入先のIさん。いつも酒を飲んで夢を語る仲間たちへ。この場を借りて感謝の気持ちを伝えたいと思います。ありがとう。皆さんのおかげで今があります。
津和野
初めて私が津和野町に来たとき、「理想の田舎だ」と思った。潔いほどに何もない。観光地といわれているけれど「ひなびた」というよりは「しなびた」という表現のほうがしっくりくる。中心地から5分も車で走れば、あるのは田畑と山と民家がぽつぽつ。中途半端ではない田舎の中の田舎、それが津和野町。田舎暮らしを夢見る私としてはそれが本当に”理想的”なのだ。
しかしながら、そんな「理想の田舎」にも問題はある。高齢化、人口減少、耕作放棄地の増加…。
農業研修制度
前述した問題を解決するためには、都市部から若者が移住し、就農してくれればよい。そのためのツールとして農業研修制度は最適だ。津和野町では研修は最長2年。その間、給料の代わりに補助金が支払われる。県内では通常、月当たり12万だが、津和野町ではさらに町からの補助金が3万。月当たり計15万、となる。研修中の金銭問題はまったくない。切り詰めれば、田舎では月5万円でも生活できる。しかし、その後の新規就農となると話は別なのだ。
ハードル
新規就農へのハードルを高くしているもの、それはカネだ。必要な農機具や設備を仮に新品でそろえるとすると、トラクター 200万円。耕運機30万。運搬車40万。動力噴霧機30万。さらに、安定した収量をあげようとすればビニールハウス等の施設に最低でも200万。農地、家、作業場の購入まで考えればきりがない。
つまり、就農=借金、という図式が出来上がってしまっているのだ。縁もゆかりもない地に移住し、大借金を背負い、生計が立つかもわからない個人営業主になるというのは非常にリスクが高い。
ビニールハウス施工研修とリース事業
しかし、そのリスクを下げようという動きが津和野町にはある。平成26年度に行われたビニールハウス施工研修とリースハウスだ。ハウスの資金は役所からの補助と地元の農業法人からまかなわれた。労働力はプロの指導役が2名、残りは我々、津和野町の農業研修生7名。この事業の肝は、研修を通してハウス施工の知識と技術が身に付くこと。新規就農し、ハウスを建てる場合、工賃がかからなくなるのだ。それだけではなく、新築のビニールハウスはリース契約でこの農業法人から新規就農者に優先的に貸し出しを行っている。もちろんタダではないが、自費でハウスを建てるより短期的な負担は少ない。実際、私は7.2×40mと7.2×45mのハウスを借りている。賃貸料は2棟合わせて1年で約25万だ。来年度以降も是非この研修と事業を継続してほしい。
0からスタートで借金0
さらに幸運なことに、私は研修先農家からトラクターなどの大型農機もリースさせてもらうこととなった。1日借りて4,000円程度とのことである。
よって、私の場合、新規就農への先行投資は25万円+αでしかない。十分に研修中に貯蓄できる額である。つまり、私のような実家が農家でなく、貯蓄もほぼゼロに等しい人間でも借金ゼロから農業がスタートできるということなのだ。
今回たまたま私の運がよく、大型農機を借りられるということになった。しかし、将来的には行政に新規就農者への格安農機レンタルの制度を整えてほしいと切に願うばかりである。
モデルケース
貯蓄がなくても借金をせずに農業が始められる土壌が出来上がれば、必要なものは後ひとつだけだ。それは、実績。言い換えれば、ゼロゼロ農業の成功例。現状、私がそのモデルケースに最も近い位置にいる。同期の研修生は借金をして就農したり、研修を2年目も継続して行うことになった。
私が継続して農業を営み、暮らして行く。それができれば、今、農業に惹かれながらも躊躇している若者の背中を押すことができるのではないだろうか。実際、私の友人にも”農的暮らし”への関心を持っているものは多い。私が農家として成功すれば、友が友を呼び、新規就農者や移住者が増えるという正のスパイラルを造ることができるだろう。実際、同じくブラジルで会った私の友人が4月から研修をすることとなった。3・11以降、食の安全性やライフラインの確保等の理由から田舎での生活や農業への関心はさらに高まってきている。この風に乗れば、津和野町が新規就農者誘致のモデル田舎となることも夢ではない。
「君も、津和野町で農業やらないかい?」
文:新規就農者 山田 達郎