ローカルニッポン

先人からのバトンをミライにつむぐ、鶴岡のシルク産業

書き手:マツーラユタカ
物書き料理家。東京でフードユニット「つむぎや」として活動後、2019年に地元である山形県鶴岡市にUターン。妻で暮らしの装飾家ミスミノリコとともに、カフェ&セレクトショップ「manoma」を営みながら、ライター稼業も。雑誌nice things.に「ソウルフードトラベラー」を連載中。

山形県の海側、庄内地方に位置する鶴岡市は、日本最北限の絹産地です。明治時代以降、日本の基幹産業として隆盛を誇ったシルク産業ですが、太平洋戦争後、ナイロンやポリエステルなどの合成繊維の台頭や安価な海外の素材に押される形で衰退していき、日本のシルクをめぐる状況は風前の灯になりつつあります。

そんな中、鶴岡市では、シルクを活かした地域活性化を目指し、民間と行政が協力しながらデザイン性と機能性を併せ持つ「kibiso」ブランドを盛り上げていったり、明治初期につくられた蚕室をリノベーションした「シルクミライ館」がこの春オープンしたりと、近年盛り上がりを見せています。

「一周遅れで世界のトップランナーに」と語ってくれたのは、鶴岡のシルク産業の推進役を担う鶴岡シルク株式会社の代表の大和匡輔さん。ある意味シルクロードの終着点ともいえる鶴岡の街から、シルク産業を新しい時代へ繋げていく、そんな未来に向けた話を伺いました。

蚕を守る、繭から作られるシルク。命の循環から育まれる素材

シルクというと、しなやかで美しい光沢があり、着物やスカーフなどに使われている素材……そんなイメージをお持ちの方も多いのではないでしょうか?それはあくまで一部の側面に過ぎません。大和さんにまずは素材の持つ魅力を話していただきました。

製薬会社にいた経歴を持つ大和さん。サイエンスの視点からもシルクを見つめます

製薬会社にいた経歴を持つ大和さん。サイエンスの視点からもシルクを見つめます

大和さん:
「シルクは蚕が作り出す繭から生み出される、命から生まれる素材です。1つの繭から1200〜1500mの糸がとれるという、天然繊維の中で唯一の長繊維です。動物性のタンパク質を主成分とし、人間の皮膚ともタンパク質構造が近いため、人の肌へもっとも馴染みがいい素材といえます。そして繭は、さなぎになった蚕を守るためのもの。それゆえに“紫外線吸収”“抗酸化作用”“抗アレルギー作用”といった、さまざまな機能性を持っているんです」

大和さんの口からは、シルクについてポテンシャルを感じさせてくれる話題が次から次へと出てきます。最近では衣服の素材としてだけでなく、医療、化粧品、眼鏡、文房具、食品など、様々な分野での活用がはじまっているとのこと。素材の持つ、高い機能性を生かしつつ、さらに土に還る素材として注目が集まっているそうです。

絹糸を生み出す蚕は、食料となる桑に、少しでも農薬がついていると死んでしまいます。必然的にオーガニックな環境でなければ育てられません。
さらにシルクは世界的に広まった日本語「モッタイナイ」の象徴的存在でもあります。着物として仕立てられた絹は、世代から世代へ受け継がれたり、お布団カバーや前掛けに仕立て直されたりと、繰り返し生活の中で使われてきた歴史もあります。

オーガニックな環境で育つ桑と蚕から生み出され、無駄のないサステナブルな素材である絹は、今再び時代に求められるものなのかもしれません。

刀を鍬に持ち替えて。鶴岡のサムライシルクのストーリーを未来に繋げていく

2022年春、美しい桜の季節に鶴岡市郊外の松ヶ岡開墾場にオープンしたのが「シルクミライ館」です。日本遺産「サムライゆかりのシルク」の舞台として、国指定史跡にもなっている松ケ岡開墾場は、明治初期に建てられた5棟の大蚕室などが、当時の面影をそのままに残されています。そのうちの四番蚕室がこの度、絹織物やシルクを学び、体験できる施設として生まれ変わりました。

松ヶ岡開墾場は、鶴岡のシルク産業のDNAが宿る場所でもあります。まずは簡単にその歴史を紐解いていきましょう。

戊辰戦争で旧幕府軍として戦った庄内藩は、酒田の豪商・本間家を通じて、近代装備を充実させ、勇壮な戦いぶりで勝利を重ねましたが、会津藩や周辺の諸藩が敗れる中で新政府軍に降伏します。賊軍となり、本来ならば領地も没収され、藩主をつとめていた酒井家も領地替えを命ぜられるところ、寛大なる戦後処理で済ませられます。西郷隆盛から格別の配慮があったとも語られますが、領民にも慕われていた酒井家は、商家から新政府への献金や領民からの請願が実を結び、戦後も鶴岡に留まることを許されます。

大和さん:
「旧庄内藩が賊軍の汚名を晴らし、新政府に貢献したい、そんな想いから、当時輸出品として貴重だった生糸を生産しようとはじまったのが、この松ヶ岡の開墾場です。『武士たるもの、農民たちから土地は奪わない』と、城下町の周りに広がっていた田畑から、さらに郊外へ。旧庄内藩士たち3,000人が東京ドーム67個分、約311ヘクタールの原野を開墾していきました。さらに市の中心部にあった城を解体して、その建材を利用して10棟の蚕室が作られました。サムライが刀を鍬に持ち替えて、そんなストーリーを持つ鶴岡のシルクは、成り立ちがそもそもエシカルでもあるんです」

明治初期のおもかげを伝える外観のシルクミライ館。

明治初期のおもかげを伝える外観のシルクミライ館。

絹織物の産地であった米沢藩から桑の苗や蚕を分けてもらい、その桑の葉が育つまで3年という時を待つ間に、武家の娘さんたちが富岡製糸場(群馬県)で製糸技術を学びにいくなど、当時先端を行っていた産地と交流を重ねました。

その後、発明家・斎藤外市によって「斎外式力織機」が発明され、革新的な自動力織機によって「広幅」とよばれる洋装用の生地を作れるようになったことで、鶴岡の絹織物は、輸出産業として大きく飛躍していきます。

大和さん:
「庄内藩校『致道館』で徂徠学(そらいがく)を教え、教育を重んじた庄内藩の気風を受け継ぎ、鶴岡は人づくりにも注力していました。鶴岡工業高校、鶴岡中央高校といった現在も鶴岡市内にある学校も、染色学校や女工さんを育てる家政校として、元々はシルク産業に関わる人たちを養成する教育機関だったものです」

人材を育成するために学校をつくり、さらに鶴岡の有力な商家が織物工場をつくったり、銀行として投資したりしながら支えていく……こういった地域内の循環があったのです。最盛期は市内の人口のなんと6割の人がシルク産業に関わっていたとのことで、近代化の中で鶴岡の人にとってシルク産業がいかに重要だったかがわかります。シルクミライ館は、酒井家の庄内入部400年の節目の年にあわせて開かれました。

鶴岡はシルクにまつわるすべての生産工程が残る唯一の街

「1個の繭からとれるのは1,500mの糸」「一反の絹織物は3,200もの蚕の命」…シルクミライ館のプロローグゾーンには、蚕という命から生みだされる絹という素材をエモーショナルに感じられる展示が並びます。体験型の展示を通して、見たり、触ったりしながら、学んでいくのは、説得力が違います。それに続いていくのが、シルクの生産工程を、動画を織り交ぜながら解説していくコーナーです。

本物の蚕、実際の数を揃えての展示は圧巻。

本物の蚕、実際の数を揃えての展示は圧巻。

大和さん:
「シルクの生産工程には、『養蚕』、『製糸』、『製織』、『精練』、『染色・捺染』、『縫製』といった工程があります。かつては日本中でつくられていたシルクですが、戦後、織物産地がどんどん生産をやめていったり、今も続いている産地でも分業化を進めていったりする過程で、すべての生産工程が揃う産地は、鶴岡を中心とした庄内地方だけとなりました。それは先人たちが残してくれたものを繋げていきたい、鶴岡のシルクに関わる人たちの想いがあるからこそ、こうやって続いてきたんです。モノづくりの現場でトレーサビリティーが求められる世の中、地域内で完結する鶴岡のシルク産業は存在感を高めています」

職人たちの息遣いを感じる映像を交えて生産工程を学ぶ展示スペース。

職人たちの息遣いを感じる映像を交えて生産工程を学ぶ展示スペース。

使われてこなかった素材から新しいイノベーションを生み出す

シルクミライ館の一番奥にはショップスペースがあります。そこで中心になっているのが、オリジナルのブランド「kibiso」の商品です。このブランドは、外からの視線を大切にし、教えあい学びあう、そんな鶴岡の姿勢から生まれたものたちです。

シルクの現在を感じられるショップスペース。

シルクの現在を感じられるショップスペース。

「kibiso」は東京ファッションデザイナー協議会議長も務めた岡田茂樹さんとの出会いからはじまりました。岡田さんを鶴岡の製糸工場にお連れしたときのこと。傍らに積み上げられていたものが目にとまります。それは蚕が繭を作る最初の段階で出す糸「きびそ」でした。太さもまちまちでゴワゴワしていて織物には不向きで、生糸に活用されてこなかったものでした。

製糸の工程でできる様々な副産物が活用されている

製糸の工程でできる様々な副産物が活用されている

他の繊維素材にはない風合いを活かして、これまでにないものづくりができるのではないか。岡田さんから日本を代表するテキスタイルデザイナーの須藤玲子さんにご縁が繋がりました。須藤さんが積み上げてきた経験とセンス、それに鶴岡の職人たちが呼応する形で、きびそを繊維化し、生産する技術を確立しました。さらに他の織物産地とも協業し、他の繊維も混紡しながら、これまでのシルク製品にはない素材感を生み出し、質の高いデザインに高めたのが「kibiso」ブランドの商品たちです。それらは現在、海外の展示会でも高い評価を受けています。

鶴岡の技術だからこそ実現する質の高いkibisoのコレクション

鶴岡の技術だからこそ実現する質の高いkibisoのコレクション

つむいできた糸・つむぐ未来

鶴岡で連綿と続いてきたシルク産業。その歴史を大切にしながらも、外から訪れる人たちの多様な視点を柔軟に取り入れながら、次の世代にバトンを渡していくこととは、シルクの未来と、地域のこれからをつむいでいくことでもあります。

シルクの新分野への活用が学べるブースや、織物などの体験スペースも。

シルクの新分野への活用が学べるブースや、織物などの体験スペースも。

「一周遅れで世界のトップランナーに」サステナブルでエシカル、そんなストーリーを持った鶴岡のシルク産業は、シルクミライ館という、ハブとなる施設ができたことで、より大きな一歩を踏み出しました。全国からクリエイターが訪ねてきたり、地元の子どもたちが学んだり、この場所から新しい感動の糸が紡がれ、シルクの美しい未来へ繋がっていきますように。そんなことを願ってやみません。

文:マツーラユタカ
写真:マツーラユタカ、小松 祐規/Lab(3,5,6,9枚目)

リンク:
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