ローカルニッポン

減農薬の栽培で伝え続ける、田んぼの魅力

書き手:金田恵美
野菜ソムリエ。自然環境や生態系に配慮して栽培されたエシカルな農作物を販売 するオンラインマルシェ「MERCi MARCHE(メルシーマルシェ)」を運営。畑リトリートなどの農業体験ツアーの企画・運営も行う。自治体の農業、観光、産業分野のシティープロモーションにも従事し、農作物の輸出、海外での展示会出展も支援している。

都心の池袋から電車とバスを乗り継いで1時間程の、埼玉県東部に位置する杉戸町(すぎとまち)は、都市型農村の典型とも言える場所の一つ。のどかな田園風景が広がっています。

そんな杉戸町で約20年、田んぼと生きものに向き合い、環境再生を目指す有機農法と減農薬で稲作を営むご夫婦(網本欣一・朝香さん)がいます。
都市近郊での有機稲作においては、米を生産する以外に水田自体がその土地に果たす役割や価値が非常に大きいと語るご夫妻。稲作に傾ける情熱、熱い議論を交わすお二人の姿から農業の明るい未来を感じることができました。

そんなお二人の原点はどこにあるのでしょうか。農薬類不使用を目指す背景や農業を通して地域の生態系を育むことの意味、そして地域の人々を巻き込んだ田んぼが繋ぐ農業の輪、地域から始まる農業の形について探っていきたいと思います。

農業との出会い

お二人とも実家が農家だったわけではない、全く縁もゆかりもなかったところからどのようなきっかけで農業を始めることになったのでしょうか。

朝香さん:
「元々、欣一さんが都内で玄米の販売業を営んでいました。その当時、玄米の仕入れ元である杉戸町のお米屋さんの所有されていた田んぼで、都内の友人達と一年間、田植えから稲刈りまでの体験をさせてもらうことになって、その経験が何とも楽しくて稲作を本格的にやりたいと夫が言い始めました。その杉戸町のお米屋さんには、跡を継ぐ方がいなかったので、私たちが後継ぎになる形で都内から移住して新規就農することになりました」

日本の農業において、農業従事者の高齢化、後継者不足は深刻な問題と言われています。 網本さんのようにスムーズに引き継がれるケースは、そう多くはないかもしれません。次世代へバトンを繋いでいくためには、担い手の確保も重要な課題です。流通システムにより便利になった分、生産者と消費者との距離が生まれ、私達が直接土や自然に触れる体験がめっきり少なくなってしまった現代では、純粋に田んぼや畑の面白さを体験してもらうことも農に触れるきっかけの一つになるのかもしれません。

農薬不使用を目指すということ

新規就農した当時から、農薬・化学肥料・除草剤不使用の稲作に取り組んできた網本さん。現在は有機・減農薬での稲作を実践しながら、全国の生産者を指導する立場としても活躍されていますが、稲作を始めて5〜6年は田んぼ中草だらけになり、草と格闘していたというエピソードも。ここまで来るのに決して平坦な道ではなかったことが伺えます。そうした道を辿ってまで、網本さんが有機稲作にこだわり、農薬不使用を目指す本質的な意味や理由はどこにあるのでしょうか。

朝香さん:
「目指しているのは、人の命を支える食べもの、特に古来主食であるお米の生産と、私達が住むこの地球の環境や生態系への負荷の軽減の両立です。ただ人間の安心や食べるためだけの理由から、農薬不使用の農業を追い求めるのは違うと思っています。食べものを生産させてもらっているこの地球の環境や生態系の保持と人間の営みが、より矛盾しない世界に向かいたい。できるなら、農業で壊してきた環境は農業で再生していきたいと考えています。田んぼが一枚、有機に転換すれば、それだけ地球の皮膚を健全な状態に戻すことができます。農薬不使用の稲作にそんな願いを込めています」

田んぼは、水を介し、水生昆虫・水生植物の棲み家となり、山から水をいただき、排水が川や海に流れる。“田んぼ”という環境だからこそ命を継いできた生きもの達が、世界に類を見ない多様な日本の生態系を支えています。人工的でありながらも、長い日本の歴史の中で里山という形で自然に組み込まれています。

田んぼが有機である意味、そこには環境保持、再生だけに留まらず、そこに棲まう命の生態系が、土の微生物の生態系も豊かにし、結局は、作物の栄養価が高くなり、作物を介して私達に有用微生物が届くことになり、人に還ってくる。

この一連の流れを辿ると、私達自身も生態系の中の一員であり、命の循環によって生かされていることを再認識できます。“田んぼ”を有機で営農することで、環境と私達へ、同時に大きなインパクトを与えることができる、そう感じました。

田んぼに集まる生きもの達

田んぼに集まる生きもの達

“田んぼ”が繋ぐ農業の輪

お二人が大事にしているのは、できる、できないではなく、どんな未来を描きたいのか。そんなシンプルな想いから全てが始まっているように思います。その想いが起点になって、地域の人との輪が広がり、田んぼをフィールドに見ず知らずの人が集まって、仲間になっていく。そこには、想いを共有する仲間が集う“地域コミュニティ”の存在が見えてきました。

網本さんご夫妻は、移住当時から、毎年田植え・稲刈りイベントを開催しています。田んぼには、子どもから大人までたくさんの人達が田んぼ体験をしに集まってきます。中にはご縁があって遠方から参加される方もいるそうです。

田植えの様子

田植えの様子

もう一つ、毎年恒例の面白いイベントとして生きもの調査があります。
子どもの観察眼を育てるのに抜群のツールとして、親御さんからも好評だとお二人は言います。

何より自身も参加者として楽しみながら、子どもたちに自然や環境の成り立ちを体験を通して伝えたい、それをきっかけに「なんか面白いな勉強って」、と思ってくれたら一番嬉しい、とその想いを話してくれました。

大人にも人気な生きもの調査の一コマ

大人にも人気な生きもの調査の一コマ

毎年イベントを続けてきた背景には、イベントを通して、商品を買う、食べてもらうというモノの繋がりから、人との繋がりへと変わっていく、そこに価値を見出したことがあるそうです。
田んぼが人と人を繋ぎ、人が人を呼び、また人と田んぼとが繋がり、連鎖が生まれる。段々と顔馴染みの人が増え、コミュニティが形づくられ、地域が活性化していく。そんな好循環が生まれています。

今年は「シェア田んぼ」という新たな取り組みも始められたそうです。元々、シェア畑があるように、田んぼ版をずっとやってみたいと思っていた網本さん。農薬を使わない稲作を体験したいと思っていた方々との出会いがあり、その想いが実現することに。今年から有機稲作を一通り体験できるプログラムを開講することになったそうです。

全6回の講座(座学、体験)の中で、農業の現状、農薬不使用の稲作技術の概略、堆肥仕込み、田植え…と実践的にプロから学べる貴重な内容ばかり。ここでも農を通した繋がりが確実に広がり、有機農業で地域の環境を再生していきたいという夢も現実化しつつあるようでした。

地域との協業について

新規就農から紆余曲折がありながらも続けてこられた秘訣は、人との繋がり、地域コミュニティの存在があると語る欣一さん。これから農を生業としていきたい志ある方達への希望やヒントになるお話が聞けました。

欣一さん:
「農業経営の話になるんだけど、 やっぱり経営を安定させるには、リスクを分散しないといけないと思っています。ただ私達は有機農業の技術を確立することを目指してきたので、ずっと稲作専門でやってきました。本当なら畑もやってみたいけど。その中で米糠発酵肥料の製造や、イベント開催などリスク分散は気をつけています」

最近では、SDGs関連や、農水省が「みどりの食料システム戦略」で耕地面積に占める有機農業の取組面積を25%、100万haに拡大するという目標を掲げ、有機農業に追い風になってきている気がしていますが、行政からの支援もあるのでしょうか。

欣一さん:
「方向性は打ち出されたものの、農業行政からの現実レベルでの支援は、今はまだ期待が難しいです。また、既存の農業の仕組みの中で、有機の新しい生産と流通の仕組みを成り立たせるのも難しい。

しかし、その解決策として、地域内で支援してくれるコミュニティや地域経済をどう作るか、地域の方々と生産者が密にコミュニケーションが取れていてコンセプトも共有できている、地域ならではの販売流通網を作ることも大事かなと思っています。 既に地域のコーディネーターがいて、消費者への直売や流通業者へ売ってもらえるところで新規就農するのは、若い方達には一番やりやすいと思います」

朝香さん:
「新規就農する人は作物を作るだけで手一杯で、どう売っていくかや売り先を考えるのは大変で。元々販売網ができている地域で、手伝ってくれる人がいるところに入るとやりやすいですね」

欣一さん:
「さらに欲を言えば、地域で農業技術を教えてくれる方がいればまたそこに新規就農者も入りやすくなる。だからこそ、もっと新規就農する若い方々が活躍しやすくなる土台を整えたいなと思っていて。今は全国で技術提供させてもらったり、地域モデルになるようなところをどんどん増やしていく取り組みもしています」

新規就農の方がもっと活躍する土台を整えたいと想いを語る欽一さん

新規就農の方がもっと活躍する土台を整えたいと想いを語る欽一さん

農業と地域コミュニティとの連携は、ただ単に新規就農者のためだけではなく、地域の持続可能な農業生産を支え、地域の人々の食を守るという観点でも重要な役割を担っていることに気付かされました。決して大きくなくてもいい、地域のコミュニティの中に生産者と消費者が助け合い、支え合う関係を築いていくことが持続可能な農業へと繋がっていく気がします。

農業そのものが地域コミュニティの結束力を高め、地域づくりを加速させるツールとしても力を発揮しています。農から始まる地域コミュニティ、地域コミュニティから始まる農、 様々な可能性や広がりも期待できます。

いよいよ田植えの時期、自分たちで育てた苗を田んぼへ持っていきます

いよいよ田植えの時期、自分たちで育てた苗を田んぼへ持っていきます

杉戸から発信していきたいこと、全体の取り組みを通した将来の夢

今後お二人は、都心に近い杉戸町の立地を活かし、東京と「チョイナカ(*ちょっと田舎の造語)」を結ぶツールとして、有機稲作を提案していきたいと言います。そしてその先にある夢があります。

朝香さん:
「人と人、消費地と生産地、都会と田舎、就農したい若者と現場…それらを結ぶコンテンツの一つとして有機稲作はとても魅力的です。その価値をもっと発信していきたいです。また、『草取りをしないで、慣行栽培程度の収量が確保できる有機稲作技術の確立』にも取り組んでいきたいと思っています。 埼玉の生産現場は、ヒートアイランドの影響で稲が夏バテをしてしまい、全国でも収穫量が上がらない地域でもあるそうです。ただ有機稲作であれば、暑くてもよく育つのでそのような環境下でも太刀打ちできます。埼玉でも営農が成り立つ有機栽培技術の確立ができれば、都市近郊、関東以南の皆さんの助けになるかもしれない」

こういった希望のある話の他に、都市近郊の田んぼの役割についても教えてくれました。

朝香さん:
「東京に対して上流の埼玉は、田んぼダムとしての治水、都市からの熱風のクールダウンの役割を担うほか、万一都市災害が発生した場合、なんとか歩いて行ける生産地…つまり食糧庫とも言えます。もちろんフードマイルが少ないことも、見えないけれど重要な価値を提供しているのが埼玉と言える理由ではないでしょうか」

田んぼが織りなす景色

田んぼが織りなす景色

収量の側面だけを見ると、都市近郊型農業は一見、不利のように感じるけれど、別の角度から見ると都心近郊の田んぼの果たす役割と価値はとても大きい。もっとその価値が見直されるべきだと感じます。
このような背景を知ってもらうことはもちろんのこと、新しい切り口で田んぼの魅力を伝えていくことで、より地域全体の魅力アップにも繋がっていくと思いました。

文:金田恵美
写真:高山和芽、網本朝香、齋藤はるか、金田恵美

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