ローカルニッポン

在来茶と地域に生きるー楠森堂・河北幸高さんー

書き手:片中ゆう子
福岡県うきは市の里山の地域、小塩に移住して3年。店舗兼事務所のテヒマニ編集室を運営。米作りやお茶作りをしたり、仲間と里山地域の文化を掘り起こしたり、時々文章を書いたりしています。

苔むした庭と入り口の木戸から続く庭石の上、そして庭に面した簡素でいて美しくしつらえられた座敷の畳の上に、木漏れ日が静かな光を落とします。 風に揺れる、程よく植わった木々のざわめきと、幾種類もの鳥の鳴き声があたりを満たしていて、それがかえってこの場所の静謐(せいひつ)さを際立ったものにしています。

江戸末期から続く茶園「楠森堂」

約200年続く茶園「楠森堂(くすもりどう)」は福岡県の南部、うきは市にあります。うきは市は筑紫平野の東のはずれにあり、北には筑後川が流れ、南には久留米まで約30キロ続く屏風のような耳納連山(みのうれんざん)を擁した、自然豊かな土地です。

楠森堂こと河北家は、この土地に根ざして800余年と言われる歴史を持ち、大きな楠のある約2000坪の敷地には国の登録有形文化財に指定されている建屋がいくつもあります。また画家 青木繁などを研究した業績で知られる美術評論家の河北倫明を輩出している名家でもあります。

そして、茶園としての起首は、江戸時代末期に河北家21代当主 河北太郎衛門永重が酸性の火山灰土壌の大野原台地を地域の人々と開墾し、そこに適したお茶の栽培を始めたことにあります。

楠森堂は日本古来の在来種のお茶 “在来茶” を作っています。
在来茶というのは、お茶の花が咲き、それを自然に生息するミツバチなどの昆虫の媒介で受粉し、お茶の実(種子)を実らせ、その種子から育った茶樹からできた “実生” のお茶です。

今現在、在来茶の茶園が珍しいと言われているのは、昭和30年代に “挿し穂” と呼ばれる挿し木方法によって苗を作る技術が開発され、それまでの在来茶を品種改良して作られた品種が栽培されるようになったからです。その一番有名な品種が「やぶきた」になり、国内のお茶の栽培面積の約80%を占めています。それに対して在来茶の栽培面積は約1%と言われています。

楠森堂の茶畑。茶樹が多種多様なため様々な緑が入り混じる。

楠森堂の茶畑。茶樹が多種多様なため様々な緑が入り混じる。

28代目幸高さん、会社員からお茶農家へ

そんな状況の中、28代目となる河北幸高さんが楠森堂のお茶栽培に関わったのは2006年、30歳の時のことでした。会社員を経て、生まれ育った筑紫野市から、父方の実家である河北家と河北家の茶園の維持を決断し移住しました。

幸高さん:
「文化財の建物や伝統行事、家を守るためには地域とのつながりの強い農業しかないと思ったんです。近い将来やめようとしていた荒れた茶園を再興して活用することにしました」

農業経験のない幸高さんにとってお茶作りは試行錯誤の連続でした。「ザイライ」と言われて安く買い叩かれる自分の家のお茶のことを調べていくうちに、在来茶がどういうものなのかを知ったそうです。

幸高さん:
「茶商さんから、こだわったお茶はいらない、そう言われました」

幸高さんは言います。

幸高さん:
「けれど、ここまで低く見られているものなら、むしろ価値があるんじゃないだろうか。あるいは自分がその価値を作りだせばいいんじゃないか。そう思ったんです」

そして、幸高さんは在来茶にこだわったお茶作りをし、なんとか形になってきたと思えたのはお茶作りを始めて5年の月日が経ったころでした。そこで、在来茶の価値を低くとらえている市場を通すのではなく、自家やネット・産地直売など独自のルートでの販売という選択をします。

その決断と在来茶を広めるための活動が実ったのか、近年では在来茶の価値が見直され、雑誌などで取り上げられはじめています。

河北家の屋敷と新座敷

国の登録有形文化財の建屋群、左手が明治築の主屋。

国の登録有形文化財の建屋群、左手が明治築の主屋。

河北家の広い敷地には樹齢約500年の大きな楠がそびえ、江戸末期から大正時代に建てられた8棟の建屋があります。そして、地域の人々の協力を得て行われる伝統行事「壁結(かべゆい)」で作られた竹垣が敷地をぐるりと取り囲んでいます。

在来茶の再興に取り組む幸高さんが、何よりも願っているのが老朽化のすすむそれらの維持です。そのために幸高さんは「新座敷」と名のついた、かつて賓客をもてなすためと重要な行事にのみに使われていた座敷を、特別な人に対してだけ使うことにしました。具体的な催しとしては、幸高さんの良き理解者である叔母の秋の蔵開きにおける能楽会やうきは市出身の国内外で活躍する花人・杉謙太郎さんの花会、海外からうきは市を訪れたアーティストがその空間を味わうといったものです。

新座敷は大正期に作られたお座敷で、そういった行事の際には木製の雨戸を全部開け放ち、静閑な庭をぐるりと体感することができる、あまりにも美しい空間です。

お茶の蔵開き「秋の蔵開き」

新座敷をそのように使おうと思ったのは、秋の蔵開きというお茶の試飲会のイベントがきっかけだったそうです。

幸高さん:
「全部偶然なんですよ」

幸高さんは静かに笑いながら言います。

幸高さん:
「蔵に保管していたお茶を秋に袋詰めしようとした時に、角が取れてまろやかな味わいのお茶になっていることに気づいたんです。調べてみると茶道の世界では新茶を寝かせて秋に開封して飲むことを『口切りの茶事』と言って、お茶の1年の始まりとされていることを知り、それとお酒の蔵開きから着想を得て、お茶の蔵開きということを思いつきました。ずっと使われずに埃のたまったこの座敷を、その秋の蔵開きで使おうと思った時に障子を張り替えたんです。そうしたら小動物がすぐに障子を破ってしまって。だったらいっそのこと障子を取り払ってしまおうって思ったんです」

かつては近隣の人々との協力で行われていた伝統行事の「壁結」は、高齢化などにより地域でできる人が少なくなり、市内外の協力者と共に行う行事となるなど、幸高さんの家にまつわる取り組みはうきは市という地域全体のものとなりつつあります。

楠森堂のお茶の広がり

河北家の土地建物の維持を大きく支えているのは、やはりお茶なのだろうと思います。
楠森堂のお茶で私が好きなのは焙じ茶です。はじめて買って封を切った時に衝撃を受けました。こうばしく甘やかな香りと、ふんわりとやわらかい飲み口。こんなに美味しい焙じ茶が身近にあるのを長く知らず、残念に思ったほどです。

うきは市内には楠森堂の在来茶を、販売したり、挽茶と呼ばれる粉茶を使っている飲食店がいくつもあります。老舗の和菓子店ではお茶を使った葛ようかんが、地元の素材にこだわったジェラート店ではオープン当初から煎茶と焙じ茶のジェラートがあります。

またお茶の品揃えの多いセレクトショップでは在来茶の販売はもちろんのこと、煎茶と焙じ茶それぞれをベースにブレンドしたハーブティーや、挽茶を使ったバターサンドや練乳などの商品が開発・販売されています。 そのどれもが美味しく、楠森堂の在来茶への信頼の高さを感じました。

そして、うきは市内だけでなく、ニューヨークやヨーロッパ各地で楠森堂の在来茶を取り扱う店があり、ドイツでは世界16カ国で販売されたお茶の専門誌に取り上げられるなど、楠森堂の在来茶の存在が国内外に広まりつつあります。
小さなパッケージに入れられたお茶が、このうきは市から遠い国でも飲まれているということは、なんだか感慨深いことのように思います。

ドイツで出版されたお茶の専門誌。8ページにわたり取り上げられました。

ドイツで出版されたお茶の専門誌。8ページにわたり取り上げられました。

在来茶と地域に生きるということ

それらの追い風となっているのは、「在来種であること」なのかもしれません。
日本ではこの2~3年、種苗法改正にまつわる議論によって在来種の価値が大きく見直されました。その土地に適合し続いてきた「タネ」の維持は、気候変動や突然の災害などで起こるかもしれない種の存続のリスクを分散するということにつながります。

そしてその存続のリスクはジーンバンクなどの研究機関に依ると同時に、世界各地の小さな地域でタネを育て作物を守っている農家の方々にも頼っているのです。
在来種という長く継がれてきたタネを守るためには、公共の財産としてその農産物を買ったり使ったり、地域の取り組みとして支援するなどが求められているそうです。
それはまた、ある意味では楠森堂の歴史ある建屋や伝統行事についても言えることではないでしょうか。

壁結の風景。旧正月二十日に行われる300年以上続く伝統行事。

壁結の風景。旧正月二十日に行われる300年以上続く伝統行事。

幸高さんは言います。

幸高さん:
「自分が小さなころには何も思わず来ていた父の実家ですが、会社員時代に壁結を手伝ったことで、この地域には人とのつながりと古の景観が辛うじて残っていると思いました。地域に人を呼びこみ、地域を活性化することが、この家と受け継がれてきた風景を守ることにつながると思い、僕はこの土地で生きることにしたんです」

そうして続けます。

幸高さん:
「そのためには在来茶しかなかったんです。もがいて苦しんで必死の思いでお茶作りや地域活動をやってきましたが、それらすべてがまるであらかじめ決められていた一本道のような、そんな気がしています」

新座敷にて

新座敷にて、お茶を淹れてくれる幸高さん。

新座敷にて、お茶を淹れてくれる幸高さん。

木々を揺らし、吹き抜けていく秋風が心地よい新座敷での長く静かな話の終わりに、穏やかに笑う幸高さんが、お茶を淹れてくれました。
一煎目と二、三煎目を同じ器に注いで頂く在来茶の味わいはふだん飲み慣れているお茶とは少し違います。ふんわりとやわらかいお茶の香りに、野性味があるというのか、甘みと苦味とが入り混じっているのです。

そのお茶をゆっくりと味わいながら、私は幸高さんがお茶作りを始めてからのこの17年間という年月に思いを馳せます。

人が自分の道を選ぶ時、多くの選ばなかったあるいは選べなかった選択肢があるのだと思います。彼が在来茶とこの広大な敷地と建屋、そして地域と共に生きると決めるまでには、多くの諦めと選択があったのでしょう。同じ状況に置かれた時に、果たして私は在来茶を選べたのでしょうか?

幸高さんが守ろうと決めた在来茶と家とが、長く続くことを願うばかりです。

文:テヒマニ編集室 片中ゆう子
写真:1枚目  ワタナベカズヒコ(提供:株式会社tsumugi)
   その他 楠森堂 河北幸高/テヒマニ編集室 片中ゆう子

リンク:
楠森堂HP
楠森堂Instagram