ローカルニッポン

好きなように過ごしてもらいたい。山香町で農村民泊。

書き手:仁科友恵
無印良品トキハ別府で働きながら、九州探検中。

大分県国東(くにさき)半島の南側にある杵築市(きつきし)の山香町(やまがまち)は人口1万人に満たない小さな町です。“山が香る”と書いて山香町。どんな香りがする町なのだろうと、つい想像してしまう地名です。JR杵築駅から少し山道に入って行くと、そこに “泊まれる文庫”「山香文庫」があります。どのような場所なのでしょう。

「山香文庫」は農村民泊を体験できる場所です。民泊場は築150年の古民家で、趣のある家具や木箱などが工夫して置かれてあり、家の中には全国から寄贈された沢山の本が並んでいます。周囲は緑で囲まれ、太陽の光、小鳥の鳴き声や心地よい風の音が流れ込んで、生き物や自然を思う存分に感じることができるずっといたくなる落ち着いた雰囲気の場所です。
民泊を運営しているのは牧野史和さんと鯨井結理さん。お二人はどのような経緯で、ここ山香町にたどり着いたのでしょうか。

緑いっぱいのお庭にはコンポストやミツバチの巣があります。

緑いっぱいのお庭にはコンポストやミツバチの巣があります。

様々な活動との結びつき

お二人が他県から移住をし、山香町に住んでから6年ほどが経ちました。それぞれが山香文庫の運営だけにとどまらず、様々な活動をされています。
牧野さんは山口県出身。大学生から東京に7年住み、その後、杵築市の地域おこし協力隊として大分県に住み始めました。今ではお茶づくりとダンスのインストラクターもしています。

身体、民俗学、不思議な動きに興味があります。

身体、民俗学、不思議な動きに興味があります。

牧野さん:
「お茶は国東市の茶農家さんと一緒につくっています。また家でも趣味で季節の野草をお茶に仕立てたりしています。ダンスは昔からロボットのような奇妙な動きが得意だった為、大学から主にストリートダンスと、コンテンポラリーダンスに本格的に取り組み始めました。元々民俗学にも関心があったので、大分に住んでからは地域のお祭りに積極的に関わり、そういった面からも風土を体感しています」

お茶づくりの影響か、山香文庫にはお茶を入れる湯呑みや急須などが沢山置かれています。本や照明の置き方にもセンスがあり、おしゃれな印象です。この空間づくりにはどのような経験が生かされているのでしょうか。

牧野さん:
「元々実家は本だらけで、本がある生活が身近なものでした。なので場所づくりをしようと思ったときに本を置くという発想は自然なことだったのかもしれません。また、照明や物の配置に関しては、ダンサーとしての舞台活動の感覚が生きています」

一方鯨井さんは埼玉県出身。元々、埼玉からどこかに移住したいと考えていて、移住先を探している旅の途中で大分県に立ち寄り、この地の魅力に惹かれたそうです。現在はヨガインストラクター、植物療法を軸としたセラピストとしても活動しています。

笑顔が素敵な鯨井さん。植物の知識が豊富でお料理上手です。

笑顔が素敵な鯨井さん。植物の知識が豊富でお料理上手です。

鯨井さん:
「『どれが本職?』と聞かれることがありますが、どれが本職とかではなく、全部つながっていないようでつながっているのです。埼玉にいるときにオイルを用いて伝統的な技法をとるスウェディッシュマッサージを習ったことがきっかけで、身体と心の仕組みに興味を持ちました。それは、誰かや何かに身体を治してもらうのではなく、元々身体が持っているちょうど良いところに戻ろうとする仕組みのことです。ヨガや植物療法にも同じ魅力を感じ、取り組んできました。身体も心も、人間も虫も動物も、生きていく為に常に変化しているけど、何もしなくても一定の状態を維持しようとする“ホメオスタシス”を意識しています。湧き水、野草、四季の食材、自然の移ろいと付き合う山香町での暮らしは、よりいっそう身体の揺らぎに繊細になり、自然治癒力が引き出せるようになったと感じます」

お二人の経験を聞くと、確かに“色々なことをしている”という印象ですが、きっとどれもが大事なもので、それらがあるからこそ「山香文庫」が出来上がっているのだと思いました。また、お二人が元々抱いていた興味や関心、生物としての生き方に共通するものがあると感じました。

「山香文庫」発足の2つの目的

牧野さんも鯨井さんも、元々農村民泊に興味があったこと。そして、ダンサーやヨガインストラクターとして自分の身体と生きていくことを考えたときに、便利過ぎない暮らしだからこそ、しっかりと身体を使って生きることができると考えていたようです。温泉・食べ物・水が豊かで、人があたたかな大分で過ごしていくうちに、「今後もずっと大分にいたい」「やっぱりいいな」と日々感じることが増えているそうです。

地域に寄り添った拠点づくりを始めると決めた上で山香町を選んだ理由は、山が香るという素敵な名前に惹かれたから。そうして始めた山香文庫は、どのような目的を掲げて始まったのでしょうか。

牧野さん:
「ここをつくった目的は2つあります。1つは“農村へ流動性を生む”。農村民泊として、県内外の人が農村を体験でき、地域を訪れるきっかけになる拠点がつくれたら良いなと思いました。もう1つは“帰ってこられる場所づくり”です。県外へ行った人がふと地元に帰ってくるきっかけや、一度山香に泊まりに来た人がまた来たいと思ってもらえるような、様々な人にとって帰ってこられる場所になれたら良いなと思っています。本は全国から寄贈してもらっています。送ってもらったり、持ってきてもらったり、人を介して渡してもらったり、どんな方法でも良いです。地域で廃校になった学校の図書室からももらったりしています」

様々なジャンルの本達。本の置き方にルールはないようです。

様々なジャンルの本達。本の置き方にルールはないようです。

確かにこれだけの本があれば、子ども達もゆっくりと読書を楽しむことができそうです。

主に山香文庫へ民泊に来る学生は、北九州や京都などの都市部から「教育旅行の体験学習」として来る中学生です。中学生だと最大7人まで泊まることができ、期間は二泊三日です。
教育旅行の体験学習の中でも、こちらは農村の暮らしを体験する「農村民泊」というスタイル。日本では大分県宇佐市安心院町(あじむまち)から始まった体験学習の形です。

牧野さん:
「都市部から来る子ども達は、意外とこの雰囲気を喜んでくれて面白いです。二泊三日一緒にいるから、変化が楽しい。最初は虫が駄目で草むらにも抵抗があるけど、森の中に家がある状況だから、色々なことが当たり前になってくるのです。人間と虫の壁がおそらく徐々に透明化してきて、帰るときには『虫が怖くなくなった』と言う子もいます」

たった三日でも、虫が当たり前の存在だと感じることができることには驚きます。都市部に住んでいるとなかなか実感できない体験ですね。
このように子ども達にとっても良い体験ですが、山香文庫は大人でも宿泊可能です。気分転換を望む都会暮らしの方、農村へ移住を考えている方などがよく訪れているそうです。

山香町に住んで変わったこと

もう1つ、牧野さんが “農村へ流動性を生む” を目的に山香文庫を始めるきっかけとなったのは、かつて東京で体験した満員電車だそうです。

牧野さん:
「当時、都会にいる周りの人はどこか冷たく感じていました。一番そう感じたのは、通勤途中で人身事故が起きたときです。周囲には舌打ちをしてイライラする人も多くいました。この状況ってどう受け止めればいいんだろうとモヤモヤしているときに思ったのです。都会では自然に触れる機会が少なく、生物として生きる毎日に無意識の違和感が生まれているのではないか。例えばスーパーやコンビニで手軽に買える食品は、単なる製品という認識だけになり、生産の現場と世界が切り離されている。『行動の選択肢に土(のある情景)がない。今、“農”が足りないんだ』と思いました。自分の食べ物を生産するってところが圧倒的に足りてなくて、それでピリピリしてしまうのではないだろうか。だったら自分が農業を発信して、選択肢として投げかけることをすればいいのではないか。というのが農村へ流動性が必要だと感じたきっかけでした」

都会でのふとした日常において、 “農” をきっかけに心豊かに過ごすことを発信していきたいと思い始めた牧野さんでしたが、山香での暮らしの年数が経てば経つほど、心境に変化が生まれてきたようです。

居間からは緑いっぱいの景色。季節ごとに様々な植物や生き物を眺められます。

居間からは緑いっぱいの景色。季節ごとに様々な植物や生き物を眺められます。

牧野さん:
「以前は “農” “生産” という選択肢がないがゆえにピリピリしていると決めつけていましたが、人それぞれ、多様な暮らしや人生があると感じることができるようになり、それらを受け止めることの大切さに気付きました。ここで暮らしていて、もっと相手や様々なものを尊重できるようになったように感じています。今は、ここに泊まってくれた人に、『必ず農業という選択肢が残ってくれたら』と思うことはなくなりました。好きな過ごし方や暮らし方を見つけてもらえたらという気持ちがすべてです」

「発信したい」から「受け止めたい」という姿勢に変わったという牧野さん。それは大自然の中で過ごしてきたからこそ変化したものだと感じました。鯨井さんも同じ感覚を持ったようです。

鯨井さん:
「東京でヨガを教えていたときは、他のみんなに埋もれないように積極的に活動の発信をしていました。でも今は自分達の手の届く範囲で山香文庫を営むようになって、『ヨガや植物療法ってこんなに良いですよ』とか『私はこんな人物ですよ』など大きく謳うことなく、必要な人に必要なタイミングで届けば良いなというスタイルになりました。自分が大切だなと思ってしていることが、もし誰かの何かのきっかけになるなら嬉しいなという気持ちで活動をしています」

自然の変化を目の当たりにする

お二人とも自然との距離が近くなるにつれ、感覚に変化が生まれていったそうです。自然界においては人間以外の生物の方が圧倒的に多い環境で、常に変化がある状況が当たり前であること。そして、日常生活の中で、人間が怒っていようが泣いていようが寝ていようが、変わらずに自然の営みが続いている。私達の感情の起伏に関係なく、生物達の暮らしが続いているのを目の当たりにすると、人間中心ではないという感覚が強くなっていきます。それは、都会の現代社会に慣れていると、なかなか体感できないことかもしれません。

鯨井さん:
「山香文庫では、これはこうです、これが提供できます、うちではこう過ごしてほしいですというような、明確な言葉やルールなど、そういうものはありません。変化がお互いそのまま流れ込んでいく。過ごしている人が変化していくこともあるし、しないこともあるし、それも反応だし、それこそ方向づけをしない。そのまま過ごしてくれたら良いです。『こういうことやっているから来てね』というのではなくて、『あなたもいるよね、私もいるよね』みたいな感覚です」

自然も人も、そのままのものを受け入れるお二人と、心が豊かになる自然の中で、沢山の本に囲まれた山香文庫。ぜひ「そのまま」を体験しに泊まりに行ってみてはいかがでしょうか。

文:仁科友恵
写真:金城優花

リンク:
山香文庫HP
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