ローカルニッポン

下関の「点と線」Vol.6|「酒」と「人」との交差点。独自のスタイルを持つ地酒のまえつる

書き手:えさきあさみ
東京から下関に移住して4年。元アパレル店員、趣味で銭湯ライターをしていた事を生かして、江戸と昭和レトロをこよなく愛する独自の視点で下関の魅力を地元WEBマガジンで執筆中。

山口県下関市のユニークなヒト・モノ・コトを6つの「点」としてストーリーを紹介しています。あなたも今まで知らなかった「下関の点」を繋いで、自然や食との関わり方に目を向けてみませんか。

「獺祭(だっさい)」の名は、日本酒に馴染みのない方でも聞いたことがあるのではないでしょうか。山口県産の日本酒の知名度を一躍、全国・世界に広げた立役者です。獺祭に限らず、山口の豊かな自然が生み出す、多様な地酒の世界。その魅力を“伝道師”として案内する地酒のセレクトショップ「地酒のまえつる」が、下関にあります。

山口の地酒を味わうなら、ここしかない!

地酒のまえつるでは、日本酒以外にも焼酎やワインなども豊富に展開しています。
独自の視点で集められた地酒のセレクトショップならではの店内には、山口県内の地酒はほぼ網羅されています。店を切り盛りする2代目の前鶴健蔵(まえつるけんぞう)さんと奥様の絵梨(えり)さんが、ニコニコと店内に迎え入れてくれました。

健蔵さん:
「私たちはいろんなお酒や酒造をご紹介していますが、その中でも日本酒のおもしろさを知ってもらいたいと思っています。突き詰めた先で、みなさん一人ずつ違う“とにかく好きなお酒”を見つけてほしい、ただそれだけです」

山口県には25軒余の酒造でつくられる多種多様な地酒がありますが、仕込み水が違う、原料米が違う、そして技法・製造・仕込みを行う蔵元の人柄が違うと、それはもう日本酒という共通点以外は別物といえるほど、味わいの違いが生まれます。豊かな自然と水から生まれる地酒の多様さが山口県内の地酒の魅力であり、おもしろさであると伝えています。

せっかくならば、きちんと蔵元の声を通して“正しく”・“学ぶ”接点を設けたいと、前鶴さんが2007年に始めた「酒の会」は、蔵元の話に耳を傾け、地酒の奥深さを知る貴重な機会として70回以上続いています。地酒のまえつるならではの視点で、毎回異なるテーマや銘柄が情熱をもって紹介され、飲み比べも体験できます。

日本酒は、県内の銘柄であればほぼ一同に揃う。あまりの多さに圧倒されます

日本酒は、県内の銘柄であればほぼ一同に揃う。あまりの多さに圧倒されます

健蔵さん:
「日本酒は、蔵元や杜氏(とうじ)の人柄やお酒に込められた物語を知ることで、味わいも違って感じられます。気さくなプライベートの話も交え、楽しんでもらいたいです。杜氏の中には口下手の方や逆に歌いだしちゃうほど陽気な人柄の方も(笑)。お酒にもっと興味をもってもらえるはずです」

とはいえ、忙しい蔵元の方が酒店のイベントに参加してくれるのは「地酒のまえつる」との信頼関係があってこそ。こういった連携をできることがお店の魅力に繋がっているのではないでしょうか。

ユニークな“地酒屋”の原点

平成元年(1989年)12月、現在はオーナーである父・幸治さんが「地酒のまえつる」を創業しました。2代目の健蔵さんが店を切り盛りする今、他店が真似できない酒造との強い連携がとれている理由は2つあります。

1つ目は先代が創業直後に取り組んだ、県内酒造とのチームぐるみの結束です。
当時、酒類販売の規制緩和などで、ビールや洋酒が安価に売られ、酒店は低価格化による経営危機に直面しました。その際、地酒の価値を守るため、地元の酒造と協力しチーム「山口酒吞童子(しゅてんどうじ)」を発足。参加した酒造は“毛利の3本の矢”のごとく、「“東洋美人”の澄川酒造場」「岡崎酒造場」「俵酒造(その後廃業)」の3社でした。酒造と酒店とで団結して強化したブランディングと販売体制によって、山口地酒の知名度を引き上げるという、地道な種まきの活動は全国の先駆けだったのかもしれません。

当時、チームで制作した手書き看板「地酒に首ったけ」のメッセージ

当時、チームで制作した手書き看板「地酒に首ったけ」のメッセージ

そして2つ目の理由は、このチームでの取り組みが代替わりし、結果的に現在の酒造の現社長さん達と仕事の垣根を越えた家族ぐるみの関係性が築かれてきたことです。

健蔵さん:
「小さいころから父のチーム仲間の蔵元へ行ったり、季節ごとに遠足気分で稲の田植えや稲刈りをしたりと、ライフワークとして続けてきました。蔵の中は冷たくてこわいなとか、夏に遊びに行った時に、子供ながらに野菜がいつものよりおいしいな、これはきっと水が良いんだな…と原体験に近い思い出も覚えています。いわば酒屋の“英才教育”ですよね」

小さいころ遊んでもらっていた農大生の“アニキ”が、現在は「澄川酒造場」の社長となり、ビジネス以上に価値のある、信頼関係が生まれるのは当然です。
地酒屋としてお酒を売るだけでなく、現在も米作りから関わり続ける酒屋が全国にどれだけあるでしょうか。そんなバックグラウンドにある実体験と、数々の酒造との横の繋がりを持つ前鶴さんの言葉だからこそ説得力があるのも頷けます。

地酒で繋がる運命の出会い

健蔵さんの現在の活躍は、奥様との出会いでさらにパワーアップすることに。なんと絵梨さんは、健蔵さんの東京での「酒の会」をきっかけに、もともと苦手意識のあった日本酒にはじめて興味を持ったのだそうです。

金融関係で働いていた絵梨さんは、趣味で大好きなD&DEPARTMENT PROJECT(以下D&D*)の定期的な都内のイベントに参加していました。その企画で、健蔵さんが案内する山口「酒の会」が開催され、参加することに。

健蔵さんが案内する山口「酒の会」の様子。数々の銘酒の試飲ができる

健蔵さんが案内する山口「酒の会」の様子。数々の銘酒の試飲ができる

*D&D・・・ デザイン活動家・ナガオカケンメイさんが”ロングライフデザイン”をテーマに主宰し、暮らしや観光をデザインの視点で見つめ直そうとするデザイン会社。『d design travel』の発刊や47都道府県の生活雑貨や食を集める店舗・カフェを、東京を拠点に全国で展開しています。

この時初めて飲んだ「東洋美人」の一杯が、絵梨さんの人生を変えます。日本酒の魅力に気づき、健蔵さんと出会い、お付き合いがはじまり、下関への移住を決意。現在は健蔵さんのご両親と4歳の息子さんとの2世帯5人で暮らし、共に地酒のまえつるを支えています。

健蔵さん:
「他業種から加わったからこそ、妻は新鮮な切り口・客観的な目線を与えてくれます。長年同じ業種にいる僕たちだと気づけない地酒のアピールポイントや、こだわりをおもしろい角度から見出してくれて、意外とそこにヒントがあると感じています」

絵梨さんとの結婚を機に、夫婦二人三脚で進めることで酒屋としての個性をより引き出し、地酒のまえつるが大切にしてきた「地酒を楽しむ姿勢」の独自性がさらに深まりました。店内に掲出する販促物を制作するにあたっては、県外からの知名度・イメージなど客観的な気づきを与えてくれます。

東京の酒好きたちを魅了する、渋谷の「酒の会」

蔵元が伝えられない“ことば”を紡ぎたい。そんな一心で続けてきた、下関での取り組みが全国区に“バレる”きっかけは、先の渋谷ヒカリエで開催された山口「酒の会」。

D&Dが各県それぞれにある「個性」や「らしさ」をデザインの視点で紹介する刊行物『d design travel山口号』(2013年刊)の取材チームが、プライベートで地酒のまえつるに角打ちで訪れたことがきっかけです。打ち解ける中で、お店の魅力・山口県のものづくりの良さを伝える手段になるのでは?と意気投合します。

健蔵さん:
「一緒に県内でのイベントをするうちに、D&D主宰のナガオカさんが『これを東京でやらないか?東京用に何も変えずに、このままの空間を東京に持っていけないか?』と喜んで声をかけてくれたことが、私たちの‟全国の方へ山口の地酒の魅力を伝えたい“というアイデンティティへの気づきとなりました」

山口で行う「酒の会」と変わらぬ光景。ラストの日本酒争奪じゃんけんで最高潮を迎える

山口で行う「酒の会」と変わらぬ光景。ラストの日本酒争奪じゃんけんで最高潮を迎える

こうして、渋谷ヒカリエでの山口「酒の会」は、山口の地酒とその温かな雰囲気が都内の参加者を魅了し、東京での地酒ファンを増やすきっかけになりました。

健蔵さん:
「実際に東京から下関のお店にきて『イベントがきっかけで下関を旅行先に選びました』と声をかけてくれた方がいたのはうれしかったですね。もっと山口のことを好きになってもらいたいので、萩など違うエリアの知り合いを紹介して、さらに縁を繋ぐきっかけになればいいと思っています」

「酒の会」を通じて、地元の魅力を伝えるお二人の活動は今後も続いていくことでしょう。

ライフワークとして取り組む、酒造×地酒のまえつるのコラボレーションの数々

ライフワークとして取り組む、酒造×地酒のまえつるのコラボレーションの数々

2024年、地酒の新しい可能性を広げるプロジェクトが実現しました。雁木(がんぎ)×D&DEPARTMENT×地酒のまえつるのトリプルコラボです。雁木「八百新酒造」の協力で誕生した特別な地酒は、山口らしい地酒・風土を表現した一本。水質はもちろん、原材料の米に山口県オリジナル酒米『西都の雫』を、さらに山口に古くからある酵母にもこだわり、使用しました。“伝統と革新が融合した新しい地酒の楽しみを感じていただける取り組みを続けていきたい”と前鶴さんは語ります。

「辛口・甘口」に収まらない地酒のおもしろさ

書籍やインターネットにあふれる情報から、日本酒は敷居が高いと感じる人も多く、お二人にとってはそれが見えない壁に感じるといいます。日本酒は頭で考えるのではなく、感じるもの。先入観なく楽しんでほしいと、丁寧な案内を続けています。

健蔵さん:
「たくさんの銘柄やうんちくを判断の中心に置く必要は一切ないと思うんです。僕たちがしっかりご案内するので、先入観なくお酒の味を楽しんでください!」

絵梨さん:
「常連さんから“こんな気分で飲めるお酒ある?”・“お寿司に合わせるおすすめは?”など、相談いただくことが増えました。食卓の画が浮かび、地酒屋としてとてもうれしいですね!」

お店の特徴でもあるお二人の手書きラベル。紹介が細やかでうれしい

お店の特徴でもあるお二人の手書きラベル。紹介が細やかでうれしい

県内トップレベルの酒造にとって、ライバルはきっと県内ではなく全国・世界。しかし、酒造の社長さんご自身の知識や研究成果は、次の世代に惜しみなく伝えられ、山口県全体の日本酒のクオリティを各段に引き上げているのだそうです。そういった酒蔵それぞれの先鋭的な取り組みや、妥協のないこだわり、杜氏の人柄がお酒に反映するのだと、「酒の会」でなくとも、店頭でお二人が惜しみなく教えてくれます。この購買体験こそが、地酒のまえつるの魅力です。

地酒のまえつるで“地元“を体感しよう

お二人は、お酒を“ただ売る“以上の存在意義を見出せたらと、地酒のまえつるで生まれるネットワークに喜びを感じています。なにも知らずに立ち寄ってくれた観光客の方のコメントや、その後オンラインショップで購入を続けてくれることから、酒造へのフィードバックも行っています。

健蔵さん:
「下関の良さは、お腹を満たす海鮮や目で見て楽しめる観光スポットが多くあることですよね。そこにさらに、大自然の恵みである地酒を酒蔵さんのストーリーやこだわりも聞きながらいただくことは、都会ではなかなかできないことだと思います。五感をフルに使って体感してほしいと思っています」

地物は地元でいただくと格別なおいしさといいます。下関の自然や人の温かみが醸し出す地酒。「地酒のまえつる」で、山口の豊かな味わいと風土を五感で体感してみませんか。

文:えさきあさみ
写真:えさきあさみ、前鶴健蔵

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