自給自足の先に見据える菜の花エネルギー ― 真のローカリストとは ―
島根県の西端に位置し、周囲を山に囲まれた観光地、津和野町。この町の中心部から車で30分ほどの山間に農業組合法人「おくがの村」はあります。農家数20戸のこの村では、全国に先駆けて集落営農組織が法人化されるなど、先進的な取り組みが多数行われていますが、その基本理念は自給自足。最近では『菜の花プロジェクト』にも精力的に取り組んでいるようです。菜の花プロジェクトとは、耕作放棄地や転作田に菜の花を植え、花を愛でてから菜種を収穫し、油を絞る。その油をてんぷら油としたものを回収し、ディーゼル車の燃料にしてしまおうという一連の取り組みです。1970年代に滋賀県から始まったこの取り組みも今では全国的な広まりを見せており、津和野町でも2013年に「第13回全国菜の花サミット」が開かれるなど、活発な活動が行われています。地域の片隅から食とエネルギーの自給自足を目指す津和野町おくがの村。仕掛け人である「糸賀のおっさん」こと糸賀盛人さん(67)にお話をうかがいました。
おくがの村はわしの誇り
小林:
今日はよろしくお願いします!まず糸賀さんご自身についてお尋ねします。糸賀さんは日本初の集落営農組織を設立されたり、菜の花プロジェクトを仕掛けられたりと常におくがの村を牽引している印象を受けるのですが、その原動力はどこからくるのでしょうか?
糸賀のおっさん(以下、おっさん):
わしは昭和23年におくがの村に生まれ、それからこの村一筋で生きてきたんじゃ。高校3年間は益田のほうに出とったがな。他のもんは知らんが、わしはここが気に入っておった。水源地とまではいかんが、山のてっぺんに近くて水もきれい。自然災害も無い、洪水もない、津波の心配も無い。津和野町内では一番遅くまで夕日がある。たまたまここに生まれついたんじゃが、この村はわしの誇り。こんな美しい村は人間の手なくしては維持されんのじゃ。自分の住んでいるところが気持ちええところであるほうが気持ちええじゃろう? じゃけぇ、いつ誰が見ても美しい村を作ろうと住民の総意で管理されとるし、セイタカアワダチソウ(※1)にも絶対負けん!はっはっは。
村のみなさんにも気分よく暮らしてほしいけぇ、5月には鯉のぼりを出し、12月には村内の巨木をクリスマスイルミネーションで飾っとる。住んでいる人が仕事から帰ってきて、「あー、よかった。」と思うような、そんな村を目指しとるんじゃ。
小林:
糸賀さんの原動力は村への愛からきていたのですね。確かに、空気もおいしいし、きれいなところです。今日も鯉のぼりが悠々と泳いでいます(笑)
(※1 セイタカアワダチソウとは、北アメリカ原産で生命力が極めて強いキク科の植物。そのあまりにも強い生命力で他の植物を駆逐してしまうことと、花粉症の元凶という風評を受けたことがあり、イメージが悪い。)
村を守る
小林:
おくがの村は昭和62年に農業法人を設立されていますがその背景には何があったのでしょうか?
おっさん:
おくがの村を日本で初めての集落営農型農業法人にしようと思ったのはそれはもう100パーセント合理化のための話じゃ。机の上でソロバンはじいたようなもんで、ひとりひとりが農業機械をもっとるより、全員で一台持って管理するほうがはるかに経済的。村を守るにはこれしかないと思ったんじゃ。じゃが、説得相手は百姓じゃけぇ一筋縄ではいかんかったわな。さっきも言うたが、百姓ちゅうんは皆一匹狼で殿様なんよ。人一倍自分で生きるっちゅう考えが強いけぇ、そういった連中をまとめあげるのは並大抵な苦労じゃなかったわな。農業人口も減って高齢化も進む中で、わしの誇りであるこの村を守っていくにはこの道しかないと思ったんじゃ。
小林:
なるほど。それで法人設立に踏み切られたと。設立には大変な苦労がおありだったんですね。
生きるための場所と生きるための知恵をわしは守っとるんじゃ
小林:
自給自足の生活を理想としている糸賀さんにとって、現代のライフスタイルはどのように映りますか?
おっさん:
人間、金稼いでもそれで食えるわけじゃ無くて、金でものが買えて初めて食えるんじゃ。さっきから言うとるが「もしも」金が使えんようになったらどうする?食料が無けりゃ生きていかれん。ここなら3反土地がありゃ2反で米つくって、もう1反で畑つくれば生きていける。そうじゃろ?そのための農業じゃ。自分で食う分は自分でつくる。生きるための場所と生きるための知恵をわしは守っとるんじゃ。
小林:
なるほど。やはりここにも、この村と村に息づく自給自足の生活を守りたいという思いが隠れているわけですね。
おくがの村は「水田の油田化」をめざしとる
小林:
おくがの村では菜の花プロジェクトが進められていると聞きました。どうして菜の花プロジェクトを始めようと思われたのですか?
おっさん:
今の日本は、エネルギーのほとんどを海外から輸入しておるが、昔は米作りから何から全部国産でできとった。この村にも牛がおって、馬がおって。荒起し、代掻き、全て牛馬でやっとったんじゃが、今はトラクター、コンバインといった機械を使う。わしら田舎の百姓は「自分で食うもんは自分でつくれる!」という自負心があるから、国の政策がどうであれ自給自足でなんとかやっとったんじゃが、農業機械の普及で、それが不可能になったんじゃ。燃料はタンカーで運ばれてくるけぇのう。そんなときに最低限、トラクター、コンバイン、田植え機くらいは自前の燃料でできんか、そう考えていた時に知ったのがドイツの話よ。ドイツではナタネで車が走るっちゅうのを聞いて、そういうことならうちの村でもやれると思ったのよ。福島原発の事故にしてもそうじゃが、「まさか!」が起こるのが今の時代よ。そんな時代に、もしも油が無くなった時、この村が生き残るにはどうすればいいか、ということを考えるのはなんら不思議じゃありゃせん。自分らで作った油で機械が動けば、それで自給ができる。わしらは起こりうることを見越して「水田の油田化」を目指しとるんじゃ。
小林:
なるほど、不測の事態に対応するための「水田の油田化」ですか。非常に興味深い。いまのところ、津和野町での菜の花プロジェクトはどのように進んでいるのでしょうか?
おっさん:
「水田の油田化」とは言いおるが、津和野の田で菜の花を作るのはまだ難しいのう。あそこに咲いとる分はもともと畑だったけぇ、うまく育つんじゃ。じゃが、水田だと湿害で収量が少ない。これを解決しようと今まさに行政と一緒になって田の構造改革をしとるところじゃ。これが終われば、収量も増えて油田化も夢じゃなくなるのよ。米と菜の花の両方を、時期をずらして栽培できるようになるしのう。今はこういう段取りをしているところじゃ。
小林:
水田の構造改革ですか、またまた大規模な事業が動き出していますね。構造改革が終わったあとが非常に楽しみです。
本当、このままでええんかい?
小林:
最後に、今の日本社会に向けてのメッセージをお願いします。
おっさん :
もしも、日本国民が日本で栽培されたものじゃのうても、安くて、安心で、安全であれば買う!というならわしは止めはせん。お好きにどうぞじゃ。そのときは食料基地としてのわしらの集落営農は終わり。あとはこの村でしたたかに生きていく。
じゃがお前らの中で、自分の食うもんくらい自分で作るほうがええんじゃないか?そんな考えを持つものが少しでもいるのなら、おくがの村まで来てみい。農地の提供なり空家の提供なり、わしがやってやるけぇ。そのことに気づくもんが一人でも二人でも出てきてほしいのう。 本当、このままでええんかい?
自分で生きたかったら、いつでもおっさんのところに来い。
土地と空気と水はなんぼでもある。
あとは自分の感性と努力で生きていける。
聞き手:小林 英太郎