ローカルニッポン

農業と教育そして医療の連携/稲葉芳一さん

百姓屋敷じろえむ。

遠目にも大きな存在感を放つ茅葺長屋門、築300年の趣ある母屋、裏山に配置された広い鶏舎の数々。旬野菜に囲まれた坂道を登りながら、徐々に古き良き時代の日本にワープしていくような空間を今に伝えるのは、江戸時代から続く稲葉家「次郎右衛門」14代当主の稲葉芳一さん。地元南房総市山名(旧三芳村)に生まれ育ち、全国でも一足早く有機農業を実践し、都市部との交流を生みだす農業体験やグリーンツーリズムを手掛けてきた稲葉さんは今、地域の農業についてどのように考えているのでしょうか。

農家レストラン

百姓屋敷じろえむは、抗生物質や抗菌剤を使用しない平飼い養鶏による自然卵や、農薬化学肥料を使わない有機農法で自家生産した米や旬野菜を食材とした予約制農家レストラン。コースや時期によって異なりますが、釜戸で炊いた米や自家製漬け物、卵料理や鶏肉料理と、品数の多い昔ながらの田舎料理が人気で、年間を通して都市部から多くの人が訪れています。

じろえむおまかせ御膳

“始まりは、維持費に悩まされていた茅葺長屋門や古い建物をどうにか守りたいという思いでした。そのままではお金が出てくばかりですから、何か仕事を生みださねば、そんなことで農家レストランを始めたんですよ。特に宣伝活動もしなかったので当初はほとんどお客さんもいませんでしたが、時流と言いますか、健康的で田舎に癒しを求めにこられるお客さんが口コミで増えていきましてね。お陰さまで今年18年目になります。”

築300年の母屋を改修したレストラン内

傍から見物する上では風情ある茅葺屋根ですが、30年を1つのサイクルとして部分的に葺き替えることで維持管理されており、材料となる茅や職人が少なくなった現代ではこれに家が一軒建つ程多額の費用がかかっています。そこで稲葉さんが考案したのが、自家生産している卵、米、野菜を使って健康志向の料理と伝統的な日本の空間を提供するレストラン。ここで少しでも収益を生むことができれば、代々受け継がれてきた建物を維持するための経費の足しになるのではないか、こうして始まったのが百姓屋敷じろえむでした。

この道42年の有機農業

そんな稲葉さんが有機農業と出会ったのは高校を卒業してすぐ、1973年のこと。この年、旧三芳村にとって大きな事件ともいえる出来事がおこりました。

“1973年食の安全性に意識の高い東京都旧田無市(現西東京市)を中心とする消費者団体が「農薬化学肥料を使わないで安心、安全な野菜をつくってください」と三芳村に頼み込んできたのです。農家にとっては化学肥料なしでは野菜は育たないと信じられていた時代ですから、諸先輩方が驚いていたことを思い出します。”

有機農業に切り替えた当時の写真
(中央:稲葉さんの父)

1960年代~70年代、日本の公害問題がピークに達し様々な分野で環境問題や農薬化学肥料による土壌汚染が叫ばれた頃、田無市を中心とする多摩地域東部では主婦を中心として食の安全を求める団体が結成され、顔の見える関係で生産者と消費者が提携する試みが生まれました。この団体から提携先として選ばれた土地が、南房総の中心部に位置する旧三芳村です。

“何も知らなかった私ですが、団体の声に耳を傾けてみたところ、なるほどと思うことも多く、またできた作物は全部買い取ってくれる、できなかった時は補償までしてくれるというのですから、とにかくやってみようということになりました。こんな熱心な消費者の方がいたからこそ有機農業を始められたのかと思います。”

自然農の大家、故福岡正信氏を
訪ねた土作りの研修

今でこそ有機農業として定着した無農薬無化学肥料による栽培は、70年代には農家の間で不可能と考えられていました。この時代に消費者側からの要望によって生産者が有機農業に切り替え、消費者への産地直送販売が始まったことは、全国的にみて異例の取り組み。稲葉さんは、この出来事をきっかけとして若くして有機農業の道を歩み、また消費者の声を聞き独学で環境や農業について見識を深めることとなりました。

三芳自然塾と三芳村蛍まい研究会

1980年代に入ると、有機農業の村として知られるようになった旧三芳村に大学の教授や学生が実習に訪れます。有機農業を学ぶ意図もありますが、若年層の土離れや農家の後継者不足を背景として体験や交流によって広く課題解決の糸口を探ろうとするもので、これを積極的に受け入れたのが稲葉さんです。

三芳自然塾建設中の風景

“当時25歳ぐらいだった私の周りにもすでに農家の跡取りは急速に減っていく中で、既存の農家だけが農業をやり土と触れる時代は転換期を迎えていると感じていました。また自然と調和する農には、単なる仕事を越えた「生き方」や「暮らし」を見直すヒントが多分に含まれています。そんな体験ができる場を創ろうと、大学の教授らと1989年に設立したのが三芳自然塾でした。”

稲葉さんの実家敷地内に参加者とともに廃材などを利用して建築した三芳自然塾は、大学生はじめ、消費者団体の主婦、農的暮らしを求める人々が多く集い、この施設を通じて2ケタ以上もの新規就農者も誕生するなど、今でいうグリーンツーリズムの先駆けとなりました。そんな稲葉さんが設立に関ったもう1つの団体に「三芳村蛍まい研究会」があります。

実習に訪れた大学生との集合写真

“自然塾ができた次の年に、村の山を利用したゴルフ場建設の話が持ち上がりましてね。せっかく有機で土づくりをしてきた三芳村に除草剤を多く使うゴルフ場ができたら台無しだってことで反対運動を起こしこれを止めました。その時の副産物としてできたのが無農薬または減農薬で米を作り、環境を守ろうという「三芳村蛍まい研究会」です。まぁ簡単にいえば、反対した責任をとらされたわけですよ(笑)。”

冗談を交えながら当時を振り返る稲葉さんですが、一方では農作物の単価が下落したことから農業収入が減り、後継者もなく、管理の行き届かない山を売り渡したいという農家の切実な背景があっての出来事。保守的な村落地帯で反対運動を起こすのは容易なことでなく、この時将来の生き残りを賭けた地域農業を深く考えることになりました。

蛍が「舞う」にかけた三芳村蛍まい研究会の無農薬田んぼ 会の要請から農薬の空中散布も行われていない

地域農業がつなぐ未来

“1にも2にも生計が立てられて初めて農業なので、いくら環境や健康によくたって私は有機が一番だとは思っていません。ただ、国が推進するような大規模経営に不向きな三芳村のような土地が日本には沢山あるのです。そこでこれまで考えてきた方策としては、1つには農業と教育そして医療が連携することだと思っています。”

国土の75%を山が占める日本では海外産品に価格で対抗できるほど耕作面積を確保できない土地も多く存在します。三芳村にて長年農業の活性化に取り組んできた稲葉さんは、こうした地域が今後担うべき役割として農業の文化、教育、そして健康的な側面を他の専門家や専門機関と共有していくことにあるとのでないかと語ります。

釜戸でご飯を炊きながら
地域の農業を語る稲葉さん

“例えば病に苦しむ人たちに農家と医者がついて一緒に農作物を作り、釜戸でご飯を炊いて昔の生活を共にする。医療と関りなく農的暮らしを提供してきた自然塾でさえ、身体や心が健康になったという事例がたくさんあります。今先進国は経済偏重で心身ともにバランスを崩しています。そんな中にあって自然との共生を学び、医療に結び付けるような農業のあり方が、今後の鍵になってくるのではないでしょうか。”

鶏舎内の卵を見回る稲葉さん できる限り鶏がストレスを感じることのない環境作りに勤めている

百姓屋敷じろえむでの健康志向で農文化を楽しむお客さんの増加や、三芳自然塾にみられる農業と異業種を橋渡す農を通したコミュニティ交流拠点の役割を踏まえ、稲葉芳一さんが口癖のように語ることは「人智万能、経済本位」からの脱却。農には、自然に生かされているという自覚や感謝の念を自ずと抱かせる懐の深さがあり、豊かな暮らしや健康について改めて考え実践する機会も多く残されています。地域経済の自立と現代社会の抱える課題の解決を考えると、地域農業は都市と農山村をつなぐフィールドワークの場として大きな可能性を持っているに違いありません。

文:東 洋平