旅行者のニーズが刻々と変化していく現代、観光需要に左右されやすい地方において新たな人材を育成するために、国土交通省は2005年までに「観光カリスマ」として100人のエキスパートを全国から選定しました。千葉県で唯一この観光カリスマに選ばれたのが南房総富浦にて「道の駅とみうら・枇杷倶楽部」(以下枇杷倶楽部)を立ち上げた株式会社ちば南房総取締役の加藤文男さん。今回は加藤さんに観光カリスマに選ばれた理由ともなる枇杷倶楽部を通じた地域振興策と、今後の地域課題の解決策についてお聞きしました。
とみうら枇杷倶楽部
東京からアクアラインを降りて千葉県内房線沿いを南下すると、南房総の入口となるのは館山自動車道終点の富浦IC。この富浦に1993年千葉県初の道の駅としてオープンしたのが枇杷倶楽部です。明治42年(1909年)以来、皇室献上が続けられている富浦特産の「びわ」を中心とした加工品やスイーツのショップ販売、カフェレストランにインフォメーションセンターなどが複合する枇杷倶楽部は、施設の運営管理や地域への波及効果が評価され、「道の駅グランプリ2000」にて最優秀賞を受賞し、2014年には全国モデル「道の駅」6か所の一つに選ばれました。
“現在、年間約3000台の観光バスが枇杷倶楽部経由で南房総へ来ています。とはいってもバスのすべてが枇杷倶楽部を目的地としているのではなく、むしろほとんどのバスは南房総での様々な観光や施設へ向かいます。つまり枇杷倶楽部の役目は、道の駅として人々が立ち寄る空間を提供するだけでなく、ランドオペレーターとしてこの地域に分散しているコンテンツを紹介する機能を充実させることにあったのです。”
こう語る加藤さんは富浦町に生まれ育ち、高校卒業ののち安房郡富浦町(現南房総市)役場に就職。1991年に富浦町観光・企画課長に就任し、その後12年に渡り初代駅長として枇杷倶楽部の経営にあたってきた、道の駅グランプリ受賞の立役者です。徐々に地域の衰退が顕在化しつつあった90年代初めから、改革策として加藤さんが取り組んできた事業をいくつかご紹介します。
売るモノをつくるために始めた加工品生産
施設建設が始まった1992年当時、「売るモノが無かった」という加藤さんは、特産品である枇杷の規格外品を中心に枇杷農家と契約を結び、加工品の開発に着手しました。市場出荷できない枇杷の買い取りによって農家収入が増加し、さらに買い取った枇杷の1次加工を行うことで雇用を創出しました。今でこそ農業の課題解決策の一つに数えられる6次産業(1次産業×2次産業×3次産業)の先駆けとなりました。
ポータルサイト 南房総いいとこどり
枇杷倶楽部がオープンしてから数年後、急速にインターネットの波が押し寄せますが、これに着目した加藤さんはいち早く南房総内のローカルな情報を集約させた「南房総いいとこどり」を開設。通例観光サイトは運営管理の面から行政区ごとに分かれる傾向にありますが、「南房総いいとこどり」は安房郡(現3市1町)全域の情報を掲載する南房総のポータルサイトを目指した結果、現在では年間300万アクセスを達成しています。
一括受発注システム
小規模な観光業者、飲食店、農園の多い南房総では、団体のバスツアーなどを誘致しにくいという課題がありました。そこで加藤さんが枇杷倶楽部を母体として考案した仕組みが「一括受発注システム」。散在する事業者のメニューや価格などのサービス内容を規格化して旅行会社へ提案し、受注した案件を小規模業者へ効率的に振り分けるシステムを確立しました。これによって夏期に集中していた旅行客を冬期が上回るなど、南房総への集客を推進しました。
エコ・ミュージアム
このように革新的なアイディアを次々と実現させた加藤さんが、枇杷倶楽部立ち上げの前に視察に訪れたのがフランス、パリ。目的は、南房総の観光振興に「エコ・ミュージアム」という手法を取り入れることにありました。
“ルーヴル美術館(ミュゼ・デュ・ルーブル)というのがありますね。日本語では「美術館」と訳されるのですが、フランス語での「ミュゼ」とは「文化空間」を意味しているんです。つまり建物というよりはそれぞれの作品が散在してなせる総合的な空間ですね。南房総には核となる大きな施設もないし、これを作る体力もない。ただ、伝統文化、食や自然といったそれぞれのコンテンツは小さくも豊かに存在しています。これを全体として捉えるためにエコ・ミュージアムという考えを観光に応用したのが枇杷倶楽部なのです。”
エコ・ミュージアムとは、地域で受け継がれてきた資源・環境を、総体として研究・保存・展示・活用していく考え方。もともと南房総には大きな観光地もなく、建設予定の枇杷倶楽部も総予算の限られた小さな施設という状況の下、加藤さんは地域の資源をそのままの状態で活用するという発想で地域振興戦略を組み立てました。「南房総いいとこどり」や「一括受発注システム」は、こうした考えに基づき具体化したアイディアといえるでしょう。
地域の活性化は地元愛を育む教育から
これまで枇杷倶楽部を軸として南房総一帯の観光振興に尽力し、今に続く数々の事業を産み出してきた加藤さん。その実績からからベトナムの道の駅「ビンアン道の駅」の設立にも協力し、JICAの技術協力事業のプロジェクトリーダーとして現在も定期的にベトナムにて現地アドバイスを行っています。そんな加藤さんからみて、地域はどのような発展を目指すべきなのでしょうか。
“途上国の活性化から日本の地域を振り返ると様々なことが見えてきます。途上国には人はいますが、モノや金、そしてノウハウがありません。それに対して地方には実はモノや金はあるんです。何が足りないかといえば人、そして気力なんですねぇ。にもかかわらず、未だに地方で途上国型のビジネスモデルを展開しているところが多く見受けられます。地方で重要なのは圧倒的に「人」なんです。人とはつまり故郷を愛する子ども達を育てること。愛するとは、すなわち理解することですから、この教育に時間をかけて地道に人を育てることだと思うんですよ。”
加藤さんが地域活性化策として第一に掲げる方針は「教育」。日本国内では都市型ビジネスのコストダウンを狙った地方での「途上国型」モデルは頭打ちにきており、観光あるいは商品に関わらずその地域独自の価値を創りだすことが必要とされていると加藤さんは語ります。この視点から、地域活性化の担い手はその地域を理解し地元愛に溢れた次世代の子ども達。人材の流出が久しい地域において、「地元を何とかしたい」という思いを育み、地域の文化や特質を学ぶ教育が、根本的な地域課題の解決に求められているのかもしれません。
文:東 洋平