ローカルニッポン

地域の豊かな文化や歴史を掘り起こす在野の研究者/大場俊雄さん

地域に根差した文化や歴史的な出来事そして人物は、気候や景観と同様に土地のイメージと深く結びついているものです。しかしこれらは、誰かがどこかの時点で記録してまとめない限り、時代の変遷と共に人々の記憶から忘れ去られてしまうケースが多いことも事実。今回ご紹介するのは、アワビの研究者として南房総へ移り住み、一枚の写真をきっかけに潜水器漁業の歴史、そして南房総が生んだ世界的スター早川雪洲について正確な記述を尽くしてきた在野の研究者です。

アワビ種苗開発の先駆者として

千葉県館山市那古に住む大場俊雄さん(83)は、東京都生まれ。東京水産大学を卒業後、教職員として神奈川県や愛媛県に赴任しましたが、国がアワビの生産量拡大に向けて動き出す流れの中、1961年千葉県水産試験場にてアワビの種苗生産の技術開発に取り組むことになりました。

早川雪洲を調べるためシカゴ大学を訪れる
大場俊雄さんと妻のヤス子さん

“大学で海藻学を学んだ恩師の計らいでアワビの種苗研究の道を進むことになり、館山に引っ越してからは昼夜技術開発に没頭しました。そんな中米国カリフォルニア州のアワビ研究者、キース・W・コックス氏が私のもとを訪れましてね。この時千倉町川口漁協の参事植木氏の案内で、東海区水産研究所増殖部長であった猪野峻氏やコックス氏と共に、千倉町千田の平野家に伺い、戦前カリフォルニア州モントレーでアワビ潜水器漁業を行う千倉町出身漁業者の写真を見せてもらいました。すると、帰りがけに猪野博士が何気なく「大場君、これ面白いよ」と言ったのです。”

戦前カリフォルニア州モントレーにて小谷源之助、仲治郎兄弟が始めた潜水器漁業で働くために多くの日本人が海を渡った

“その時は種苗開発の研究しか頭にありませんでしたので、深く追求することはありませんでしたが、4年後に千倉町に千葉県水産試験場千倉分場ができると、この地で種苗技術の実験を行うことになり千倉へ引っ越しました。幸いなことにアワビの大量生産も軌道に乗り始めまして、少し余裕ができた時に、ふと先生の一言を思い出したのです。あの写真の中に映っていた千倉町出身の漁業者は、なぜ遠いカリフォルニアで漁をしに海を渡ったのだろうかと。”

1963年米国カリフォルニア州アワビ研究者の来訪によって、安房郡千倉町千田(現南房総市千倉町千田)の民家で、カリフォルニア州モントレーでアワビの潜水器漁業を行う千倉町出身漁業者の写真を見た大場さんは、その4年後同席した猪野氏の一言を思い出し、この写真について関心を高め、仕事上集めていた世界中の膨大なアワビ文献や地元に残る資料や伝承から米国に渡ったアワビ漁業を本格的に調査し始めました。

太平洋を渡ったアワビ漁師達から潜水器漁業史の専門研究へ

“渡米したアワビ漁師について調べてみると、潜水器漁業そのものの歴史や周辺の出来事とも関わりがでてきました。しかし、同じ潜水でも海女についての文献は多いものの、潜水器漁業についての調査は当時まだ進んでいなかったのです。そこで断片的に記載された記録でなくて、潜水器漁業史をまとめようと企て、専門研究誌に寄稿するようになったんですね。後に書き下ろした本は、この時から集めた資料や、書き残してきた草稿をもとにしてまとめたものなんですよ。”

アワビの殻に囲まれる小谷源之助

潜水器漁業とは、潜水服をきて水深約15メートル以上の深い海底に潜り、アワビやタイラギなどを漁獲する漁業。今のところ確実な資料によって遡れる日本の潜水器漁業は1878年(明治11年)で、安房郡根本町(現南房総市白浜町)で始まり、たちまち全国各地に広がっていきました。南房総出身の小谷源之助とその弟小谷仲治郎は、カリフォルニア州モントレーに渡り、19世紀後半から20世紀初頭にかけて潜水器漁業による一大アワビ事業を展開しますが、この顛末と現代との関係については、「海を渡ったアワビ漁師達」をご覧ください。

ロサンゼルスにて小谷源之助の孫、曾孫と会合した時の写真 コダニファミリーと南房総は現在でも交流がある

早川雪洲に迫る

“地元でモントレーに渡ったアワビ漁師や潜水器漁業について資料探索や聞き取り調査を行うと、早川雪洲の話題も多くあがりました。しかし、世代を重ねるにつれ事実が曖昧になっていることも多く、それでは一つ調べてみようと思ったわけです。するとどうでしょうか、早川雪洲について扱った出版物に、生年月日や渡米年、シカゴ大学入学卒業年など、事実関係に誤りが発見されました。中でも金太郎(雪洲の本名)が渡米した正確な年月日が記載された資料を、ロサンゼルスで探し当てた時は驚きましたね。当時戦後57年も経つのに、重要な年数が誤って伝えられてきたのです。”

『戦場にかける橋』(1958年)で
アカデミー助演男優賞にノミネートされた
南房総出身の早川雪洲と息子雪夫

潜水器漁業の歴史や変遷について1993年と1995年に2冊本を執筆した大場さんは、調査に付随して集まった早川雪洲についての情報や資料、また総計11回に渡る夫人を同伴した米国での現地取材をもとにして2012年『早川雪洲-房総が生んだ国際俳優』を著しました。この本には早川雪洲と交流のあった画家の竹久夢二や妻ツルの叔父にあたる演劇俳優川上音二郎について独自の研究も織り交ぜられていますが、何より多くの文献と比較して事実関係を正しているところに特徴があります。

真実を伝える活字を未来へ残すこと

そんな大場さんが、在野の研究者として徹底的に原典となる資料を探しだし、現地取材に足を運ぶ理由は、急速に変化する現代にあって、地域に残存する文化や伝統を正確に未来へ残す重要性を感じているからです。

資料の蒐集に全国・世界を飛び回る大場さん

“いつの時代も真実を伝えるのは「言葉」でなく「活字」ではないかと考えます。ほんの100年前の潜水器漁業の話でさえも、2代3代と語り継がれた話は、必ず尾ひれがついてしまうものです。そのためできる限り孫引きを避け、原文や信頼のおける資料に依拠することを心掛けてきました。未来の人々が過去に学ぶためにも、地域に新たな研究者が生まれることを期待するためにも、現時点で何が正確にわかっていて、何が不明なのかという点をしっかりと記述することが大切なのではと思います。”

大場さんが執筆した論文や著書の数々(下段著書は左から発表年代順)

昨年には、第一作目の単著『房総の潜水器漁業史』の続編として『房総から広がる潜水器漁業史』を出版した大場俊雄さん。興味のある事柄を常に心の片隅に置きながらアンテナを伸ばして本や新聞を読んでいると、調べたい情報がどこにありそうなのか、自ずと勘が養われヒントが得られるとのことで、今年もすでに次なる論文の執筆に向けて鋭意研究を進めています。これからも地域の豊かな文化や歴史を掘り起こし、次世代に繋げていってほしいと思います。

文:東 洋平