「耕さない田んぼ」で農薬や化学肥料を使わずお米を生産する不耕起栽培。20年以上の歳月をかけて故岩澤信夫氏(2012年没)によって考案された農法ですが、労力やコストをかけずに付加価値の高いお米を生産する点で近年注目を集めています。この岩澤氏に直伝を受けて、南房総で不耕起栽培の教室を開講するのが五十嵐武志さん。今回は、五十嵐さんの実践する不耕起栽培やこの農法と出会ったいきさつ、そして南房総での暮らしについてご紹介します。
不耕起栽培とは
まずは不耕起栽培について。どのような点がこれまでの稲作と異なり、可能性があるのか、五十嵐さんに聞いてみましょう。
“通常の田んぼは、秋に収穫が終わって水を抜いた後、土を耕して冬を越し、春にも2〜3回耕してから水をいれて田植えをします。その後、雑草が出ないように除草剤をまいて、稲の生育のために肥料をいれるというのが一連のサイクルですよね。これに対して不耕起栽培は冬期にも田んぼに水をはり、育苗に時間をかけて、田植え後は除草剤や肥料もいれずにそのまま稲の生育を待って収穫します。”
全国的に行われている稲作は、冬期に水を抜くことが一般的ですが、不耕起栽培は冬期に水を張ることがポイント。それでは、なぜ除草剤も肥料も必要ないのでしょうか。
田んぼの豊かな生態系と成苗がポイント
“1つは、冬期に水をはることでイトミミズを代表として稲の生育に必要な肥料分を作る生き物の住処ができます。また、このイトミミズの糞が雑草の種を覆い隠し、繁茂を防ぐのです。次に苗ですね。不耕起栽培では、低温育苗で成苗と呼ばれる5.5葉の大きさまで苗を育ててから田んぼに移植するため、苗の生命力が強く冷害などの環境にも負けません。岩澤先生は東北地方の冷害をなんとかしたいとの思いで研究を進め、この農法に辿り着いたのでした。”
80年代の東北冷害を目の当たりにした故岩澤信夫氏は、被害の比較的少なかった田んぼを観察し、また独自の苗作りの研究を併せて「冬期湛水不耕起移植栽培」という農法を確立しました。大きなポイントは田んぼの中に生物を育む環境を作ること、そして一般的な農法における苗(稚苗)よりも、太く短く丈夫に育てた苗(成苗)を移植すること。この2点を軸として農薬も肥料も必要としない田んぼができあがります。
不耕起栽培で田んぼを作るための条件
ただし、この農法を実践するためには一定の条件があります。「冬も水を供給できること」と「周囲の農家に理解があること」です。
“現代の農地は、圃場整備といって、農業を集団で行いやすいように区画化や水路の工事が行われています。これによって田んぼの水は各地域の水利組合などが通年管理しているため、個人の意志では冬に水をいれられない田んぼが多いのです。また不耕起栽培は、準備さえすれば手がかからないので、周囲の農家から「さぼっている」などと批判を受けるケースも少なくありません。”
農業は他の職業と異なり、それぞれが耕作する農地全体の管理のため、年間を通じて協働作業が多く、農家間での作業慣習が存在します。そのため、圃場整備が行われた水田では不耕起栽培を実現しにくいことが現状ですが、山水が常に川に流れ込む中山間地域の田んぼでは、周囲の農家に理解さえあれば、比較的容易に不耕起栽培への移行が可能となります。
生き物が豊かな田んぼを増やしていきたい
“僕は特に、慣行農業に批判があるわけでも、オーガニック農法を普及したいという強い信念があるわけでもありません。ただ、田んぼの中にいる生き物を見ることが好きで、生き物が育つ環境を増やしたいと思った時に自然と不耕起栽培となったのです。そこで現代、無理なく不耕起栽培を行うには、山水が通年流れている中山間地の田んぼが最適です。労力のかかる中山間地の田んぼは耕作放棄地が増えていますが、少しずつ不耕起栽培が導入され、山から川そして海に繋がる生態系が守られるといいですね。”
五十嵐武志さんに興味深い点は、不耕起栽培という新しい技術を習得しつつも、農業者の立場から普及活動を行っていないところ。あくまで生き物豊かな田んぼを観察するという個人的な思いが先にあり、結果的に労力や農薬、化学肥料などのコストをかけずに営農する方法の専門家となりました。現在は、不耕起栽培による米づくりの教室を昨年から開講し、田んぼや稲の仕組みから、お米作りを学ぶ座学と実践講座を行っています。
生まれて初めての野菜づくりから、農業研修へ
そんな五十嵐さんが不耕起栽培を学ぶに至った経緯には様々な出来事が関わっています。
“小さな頃から生き物を見ているのが好きだったのですが、特に目標があるわけではなく、大学では工学を学びまして、その後下水処理場で電気を管理する仕事に就きました。その頃、大学の恩師が大手・中小企業や、整体院で活躍されている方々が集う会合に連れて行ってくれまして、将来の見えない自分の話を真剣に聞いてくれて、とても感動したことを思い出します。自分もそんな大人になりたいと、漠然とした未来の姿を思い描き、退職することにしたのです。その会で知り合った、「埼玉むつう整体」の先生に声をかけてもらったことが、この道に入るきっかけですかね。”
“退職してすぐにはこれといった道が決まらず、ちょうど父の友人にもらった「ミュンヘンの小学生」という本の中に、シュタイナー教育のことが書いてあったことをきっかけに、北海道のシュタイナー保育園の見学や、ワークショップに参加してみたのです。そこで、シュタイナーの観察眼、独特の教育学にとても衝撃を受けました。のちに、生き物や人を観察する目はここから養われていったように思います。こうして1年が経った頃、埼玉むつう整体の先生の自宅へ行きました。”
“裏に畑があり、60坪位ある広さのところに畳が何重にも積み重ねてあって、「ここにある畳を全部ほぐしてほしい。そうして空いたところに、何でも植えていいよ」と言われました。3ヶ月位かけて全部の畳をほぐしてみると、畳の間からミミズとか、カブトムシの幼虫がわんさか出て来て、「うわぁすごい」と純粋に思いました。都会のど真ん中で育った自分には、カブトムシの幼虫なんてデパートで売られていたカゴの中でしか見たことが無かったのです。そこで、生まれて初めて植えたのがじゃがいもです。生き物がたくさん見れるし、野菜を育てることに興味が出て来て、埼玉の農家で1年間、本格的な農業研修を受けることにしたんです。”
日本不耕起栽培普及会 自然耕塾
工業大学を卒業し3年ほど働くも、大学恩師に誘われた会で知り合った「むつう整体」の先生との縁で、農業に興味を抱いた五十嵐さん。さらに、不耕起栽培への道を繋いだのは、むつう整体院の木村院長でした。
“埼玉での農業研修を終える頃に、木村院長から連絡がありました。南房総で、整体院の利用者向けに自然栽培のお米を作らないかとお誘いを受け、平久里でむつう整体院を開いている米農家で働くことになったのです。そこで通うことになったのが、岩澤先生が開講していた自然耕塾でした。1~2年目は塾生として講座に参加していましたが、3年目からは自宅にお邪魔するようになり、1対1でよくお話をしました。岩澤先生はとても博識な方で、どんな質問にも答えてくださり、米作りの枠を超えた本質的な物の見方を教えていただきました。”
2007年五十嵐さんは、千葉県香取郡神崎町で開講されていた自然耕塾に通いながら、南房総市内で不耕起栽培による米作りを始めました。その後2012年には日本不耕起栽培普及会にて普及活動に参加し、同じ神崎町のNPO法人日本自給教室を通じて妻のひろこさんと出会い、2013年に南房総へ本格的に移住することになります。ひろこさんの影響で、農家だけではなく、誰もができる米作りへと思考をシフトしていくことに。
「耕さない」シンプルな暮らしを求めて
五十嵐ひろこさん:
“2011年、これからの暮らし方を、本気で立ち止まって考えたいと思い、勤めていた会社を退職しました。翌年、縁あって神崎町で主人と出会い、そこで私達を繋いだのは「耕さない」という考え方でした。それはとてもシンプルなこと。よけいな手を加えず、自然の営みに感謝して、自分の手を使って作ったものに囲まれた生活を送りたいと思っています。”
現在五十嵐夫妻は、南房総市内の古民家と倉庫を借りて、お風呂やトイレもない環境から暮らしを創り上げながら南房総市、鴨川市、勝浦市にて「耕さない田んぼの教室」を開講しています。不耕起栽培は、生態系の保全や中山間地域の農業振興に期待のかかる農法ですが、2人の話から余計な手間をかけずに自然と共生するライフスタイルでもあることがわかりました。これからも教室を通じて、不耕起栽培そして「耕さない」ことの投げかける意味を伝えていってほしいと思います。
文:東 洋平
リンク:
50noen/五十野園
日本不耕起栽培普及会
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