島根県西部の山間に広がるまち・津和野。1970年代に観光地として知られるようになり、往時は年間150万人を超える観光客が訪れました。しかし、近年は観光客数が100万人を割り込む年もあり、まちとして観光事業の立て直しが求められています。
そんな津和野町に本店を構える和菓子屋「三松堂」の三代目社長・小林智太郎さん。小林さんは、お店の経営に奮闘する傍ら、商工業者の立場から地域に深く関わってきました。
「当店だけが生き残っても仕方がない、まちが生き残らなければ」
そう力強く語る小林さんに、自身の半生を振り返っていただきながら、地元への想いを聞きました。
観光地・津和野に生まれて
小林さんが幼少期を過ごした1970年代。「山陰の小京都」と呼ばれた津和野は、観光客の絶えないまちでした。
「印象に残っているのは、とにかく若いひとがたくさんやってきて、自転車でまちを巡っていた風景ですね。小さいころは、それが当たり前の景色でした」
「当時は知る由もありませんでしたが、70年代に国鉄(現・JR)が行ったキャンペーン「ディスカバー・ジャパン」のなかで、津和野は山口県・萩市とともに大々的に紹介されたんです。失われた日本がここにある、というような感じだったんじゃないですかね(笑)。先人の努力とこのキャンペーンのおかげで、一気に観光地化したわけです」
偶然お店を訪れた津和野鷺舞保存会会長・米沢さんと昔の津和野について語り合う小林さん。米沢さんは、まさに70年代の観光を担った世代です。
「20代〜30代の女性がたくさんおったんよ。『アンノン族』って呼ばれてね。まちの民宿じゃ収まりきらなかったぐらいよ」
観光の落ち込みに向き合う
高校を卒業後、小林さんはニューヨークへ留学します。大都会で10年過ごし、津和野に戻ってきた頃のことを次のように語ります。
「1990年代に津和野町を出て、2000年代にアメリカから戻ってきました。一番ショックだったのは、まちが何ひとつ変わっていなかったことです(笑)。ニューヨークは3年もしたらなにもかも変わってしまうけど、このまちは10年経っても変わらない。流れている時間が違うんだよね」
「ただ、まち自体は変わっていなかったんけど、観光客が減ってきていたのが気になりました。戻ってきてしばらくすると、それに呼応するように店の売上も落ち始めました。当時は『まちが変わらないからこうなってしまうんだ』と思っていて、とにかく変わらなければという意識が強かったです」
三松堂の経営に参画しはじめた小林さんは、事業の建て直しに奔走します。
「社長になってからすぐにリーマン・ショックがあって、それまでとは違うレベルで一気に売上が落ちました。ほとんど直角に落ちたような感じだったから、本当に焦りましたよ」
「なんとかしなきゃと思って力を入れたのが、オンライン・ショッピング事業。端午の節句の内祝いにいただくお菓子として「笑小巻」をアレンジし、初めてヒット商品になりました。それから、オンライン・ショッピングでは季節に合わせたお菓子の需要が高いことがわかって、店舗の売上の落ち込みをカバーできるようになってきたんだよね」
地元に愛される店を目指して
オンライン・ショッピング事業で経営を建て直した小林さんは、次の目標は地元との関係づくりにあると語ります。
「改めて当店の歴史を振り返って、原点は地元にあるなと気づいたんです。観光地化される前から、当店は地元の皆様に支えられてやってきたわけですから。そのご恩を返したいという想いが強くなってきました」
「自分が津和野に戻ってきた頃、当店の商品の価格やラインナップは、観光でいらっしゃるお客様を狙ったものになっていました。そこで、地元の方が普段から利用できるように価格を下げた商品をつくったり、地元の新聞に折り込み広告を打ったりしました。まちのひとが頻繁に使える店に変えたかったんです」
2013年には、津和野町観光協会の会長に就任。商工業者の立場を超えて、まちのために動き始めました。
「会長になった一番のきっかけは、津和野の観光を盛り上げようと頑張っていた人たちのほとんどが、町外から来ていたことですね。観光協会で頑張っていたり、地域おこし協力隊として津和野に移住してきたり。地元の人間以上に、よそからいらした方が頑張っていました。それを見て、まちのために行動しなきゃいけんと単純に思ったんです」
まちの未来を次世代に紡ぐ
「最近になって、まちのために頑張りたいという次の世代が出てきています。本当に頼もしいですよね。当店の従業員にも、お店とまちをつなぐような動き方をしてくれる人間がいますよ」
笑顔でそう語った小林さんが、三松堂で働く阿部さんを紹介してくださいました。阿部さんは、高校生と和菓子の接点をつくるプロジェクトを行っています。
「若い世代に和菓子を味わってもらうために、生菓子の学割をはじめました。わかりやすく、ひとつ100円。結構すごい割引率なんですけどね(笑)。源氏巻などの和菓子は、津和野の伝統的な産物のひとつですが、いままで若者が楽しむ機会はなかなかありませんでしたからね」
「学割だけでは面白くないので、ちょっとした工夫をしています。昔から行っているサービスでもあるのですが、お買い上げいただいたあとに『ここで召し上がってくださいね』という意味を込めて、津和野の名産・まめ茶をお出しするんです。このまちには、高校生が気軽に集える場所が少ないんです。ですから、当店で放課後の時間をゆっくり過ごしてもらえたらなと思っています」
地元に愛されるお店づくり、高校生の居場所づくり。そうした活動の背景にあるのは、どのような想いなのでしょうか。最後に改めて小林さんに問うと、こう答えてくれました。
「最近、若い人が『津和野に戻りたい』と話すようになりました。その声を聞いていて、次の世代の人間がこのまちで豊かに生きられるようにしなくては、と思ったんです」
次の世代のために、豊かな生活の場をつくりだすこと。そう語る小林さんの言葉は、まちの未来に対する熱い想いに溢れていました。
文:瀬下 翔太
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