房州の名峰鋸山(のこぎりやま)の麓に金谷(かなや)という千葉県富津市南端の町があります。東京湾フェリーが金谷港と久里浜を結び、鋸山のロープウェーも人気のある観光地でもありますが、2017年3月「南総金谷藝術特区」という大規模なアートイベントが開催されました。「石と芸術のまち」というテーマが生まれて10年が経ち、新たな地域情報拠点「金谷ステーション」が竣工する今、金谷が目指す町づくりについてお話をお聞きしました。
10人の若手芸術家が金谷に滞在して作品を制作
「南総金谷藝術特区」は、文化庁の「地域の核となる美術館・歴史博物館支援事業」の採択を受けて、2016年7月から準備が進められてきた芸術家が滞在して作品を制作する一連のプログラム。3月10日から20日にかけてそれぞれの作品を金谷各所に展示する町を挙げたアートイベントが開催されました。
南総金谷藝術特区ゼネラルマネージャー風戸重利さん:
“若手芸術家10名が、今年に入ってから金谷の空き家に滞在し、金谷と向かい合いながら作品を制作しました。一定期間寝泊まりして初めて体感する町の奥深さがあり、自由に地元の人々と触れ合い、資料を集め、各地を歩き周り、それぞれの芸術家が見た金谷を客観的に表現した作品です。こうした試みは一般的にアーティストインレジデンスと呼ばれ、芸術家の創作活動への可能性はもとより、住民との接触によって文化的な双方向の作用が期待されます。”
“この作品(下写真)は石彫の芸術家荒木美由さんが、その昔鋸山から切り出した石を主に女性が山の麓まで1日3往復運んだという「車力(しゃりき)」に目を付け、2カ月間の滞在で調査を重ねて制作しました。実は石を縛った紐がどのように結われていたか今に残る資料がありません。そこで最終日前日には地元のご高齢の経験者とともに、この紐を作るワークショップを開催して作品を完成させました。こうした若い感性による発想力と地元住民の交流から、予想を超える素晴らしい作品が誕生していったのです。”
「房州石」と呼ばれる鋸山の石は火山噴出物が長時間かけて海底で固まった良質な凝灰岩で、江戸中期から明治、大正をピークに横浜港周辺、お台場や皇居の造営など、主に東京湾沿岸の土木建築工事に利用されてきました。目の前に港がある運搬の利便性も相まって、採石事業は町の大きな産業となり昭和60年代まで続けられてきたといいます。
文人墨客に愛されてきたネイチャーミュージアム金谷
それでは石で栄えた金谷が、なぜ今「石と芸術のまち」として町づくりの歩みを進めているのでしょうか。南総金谷藝術特区を主催するネイチャーミュージアム金谷実行委員会会長であり、房州石切り出しの元締めを担っていた鈴木家16代目の鈴木裕士さんは、大学卒業後都内の銀行勤めを経て、1991年家業を継ぐために故郷に帰ってきました。
“金谷の観光開発を行う会社にて、金谷港に隣接した観光拠点the Fishを立ち上げ、海の幸はじめ表情豊かな自然溢れる金谷を多くの人に知ってもらおうと、この地域の魅力を深く掘り下げる調査を続けてきました。すると、この町は房州石の名所であるだけでなく、かつて文人墨客が数多く訪れ、この自然の中でインスピレーションを受けて作品を残していた場所であることが徐々にわかってきたのです。”
“鋸山には日本という名を冠する唯一のお寺「日本寺」がありますが、このお寺は奈良の東大寺を建立した聖武天皇の命により行基が開山した関東最古の勅願所です。当時未開だった関東にて鋸山に人々の精神的拠点を設けた国家プロジェクトが示唆するように、この山には地理的な条件を超えた幽玄な力が宿っていると伝えられてきました。鋸山の景観や歴史、日本最大級の石切り場の遺構と自然。私たちは芸術家を魅了して止まないこの環境を「ネイチャーミュージアム」と呼んでいます。”
鋸山を含む金谷全体のエリアには古くから歌川広重、小林一茶、東山魁夷など多くの文人や画家が訪れており、夏目漱石と正岡子規がやりとりをした書簡や紀行文が残されています。鈴木さんは「鋸山歴史遺産保存会」の会長も務め、金谷に伝わる歴史や芸術家の足跡をたどり、地域の魅力を紐解いていきました。
「石と芸術のまち金谷」の下に住民が協力
その一方で、金谷地区の少子高齢化そして過疎化は、年々深刻さを増しており、2017年には人口約1500人のうち65歳以上の高齢者は40%以上を占め、小学生は40人弱にまで減ることに。
“店が閉まり、空き家が増えて、担い手がいないという状況をどう打破していくか。これは一過性の地域活性化事業では解決の難しい問題です。私は学生時代、よく湘南に遊びに行っていたのですが、あの海岸線の洒落た雰囲気やブランディングの手法を真似てもうまくいかないでしょう。取ってつけたものではなく、この地域に根差した伝統や文化を現代の人にわかりやすく伝えていくことだと思います。”
“そこで2007年あたりから「石と芸術のまち金谷」というテーマを掲げて活動を始めたところ、町おこしの有志の方々が少しずつ立ち上がり、地域内外の篤志家から芸術品の寄贈を受けるようになりました。この貴重な作品を展示するために生まれたのが金谷美術館です。美術館ができあがったことで、地域の人々の反応が変わったことは、とても喜ばしい出来事でした。何年も閉まっていたホテルや施設の大家さんが、地域のためなら、と建物の利活用に理解を示して下さったのです。”
金谷美術館の設立は2010年。その後2012年には倉庫のように眠っていた築230年の合掌造りが古民家カフェとして甦り、10年以上閉館していたホテルが若いアーティストのアトリエとしてリノベーションされるなど多くの出会いと住民の思いが詰まった物語が急速に描かれていきました。
地域資源と芸術家に愛される町を紹介する「金谷ステーション」が誕生
そして2017年3月「南総金谷藝術特区」の開催中にOPENしたのが、金谷の情報を集約するだけでなく、観光者にツアーを提案する町のコンシェルジュ機能をもった「金谷ステーション」。老朽化が進んだ老舗旅館を改修した施設内には、和室の宿泊スペースや温泉、カフェ、コワーキングスペースも整備されています。 南総金谷藝術特区開催中も5名の作家の作品が展示されていました。
“若い芸術家の方々が滞在して作品を創るという初めての試みを通して、美を追求する彼らの目線で新しい金谷を発見することができ、また若い芸術家が地域に求める環境が何かを知る具体的な学びにもなりました。制作や住まいの場の提供と地域内の仕事をバランスよく繋げることで、若手の芸術家を支援することも可能なのではないか、というアイディアも生まれました。”
“金谷ステーションでは、房州石と歴史、そして芸術家達による豊かな地域資源を、日本国内だけでなく世界に発信していくとともに、芸術家の方々に実際に住んでもらう取り組みも続けていきたいと考えています。地道な活動かもしれませんが、この町ならではの方針を明確にすることで、漠然と人を呼ぶのではなく、本当にこの町を愛する人々に住んでもらえるといいですね。そしていずれはこの町から芸術家が輩出されるような、そんな町をみんなで目指していきたいと思います。”
全国各地で地域活性化を目指した対策が練られる昨今、あくまで地域の独自性を掘り起こし、観光や移住促進の両面において一貫した町づくりに取り組む鈴木裕士さんのお話でした。鋸山に残る遺構の希少性を発見する研究者、金谷美術館に寄贈される数々の芸術品、そして徐々に手を取り合う地域の人々。「石と芸術のまち」と語り始めて10年が経ち、多くの人々の思いが金谷で高まりつつあります。「南総金谷藝術特区」の一大イベントと「金谷ステーション」の建設で新たにスタートを切った金谷の町づくりは、今後着実に発展していくことでしょう。
文:東 洋平
TOP写真:アーティストトーク会場(カフェ えどもんず2階) 小林雅子作『町の記憶、記憶の抜け殻』