藩政時代から続く曲げわっぱの伝統
秋田県大館市の伝統工芸「曲げわっぱ」は現在、7業者が生産に携わっています。そのうちの1つ、柴田慶信(よしのぶ)商店は、1964年の創業。慶信というのは創業者で現代表昌正(よしまさ)さんの父親の名前です。昌正さん(44)は二代目として、父の名のついた社名をそのままに8年ほど前に経営を引き継ぎました。
昌正さん:
「地場産業としての曲げわっぱは400年余りの歴史があるのですが、父は昭和39年ころ、知人に教えられたこの仕事に興味が湧いて、営林署勤めの山仕事を辞めて職人生活をスタートをしました。業界では後発になりますね」
曲げわっぱは、天然資源として当地に潤沢だった秋田杉を材料に、弁当箱やおひつをつくる木工品で、久保田藩が下級武士の手内職として奨励したのが起源だったと言われています。
昌正さん:
「戦後はこの業界も盛況だったようです。父はいい時代に曲げわっぱづくりに飛び込みました。昭和20年の資料ですが、曲げわっぱづくりの企業・工房は22社、従事者は150人ほどだったそうです」
しかし、生活スタイルの変化や職人の高齢化、離職などで業界の規模は縮小していきましたが、面白いことに近年は業界全体の総生産額は上向いてきているとか。
自然素材や昔からの価値あるものを見直す風潮が、今改めて曲げわっぱにスポットライトを当て始めているのでしょうか。
原材料の安定的確保が喫緊の課題。伝統を絶やさないための試練が続く
曲げわっぱが現代社会でも再評価されて総生産額も上向いている今、打開すべき大きな問題に直面しています。それは、原材料の供給停止です。
曲げわっぱの材料は秋田杉ですが、もっと厳密に言えば、〝天然〟秋田杉です。曲げわっぱが世に出た当初は秋田杉といえば天然が当たり前で、木目が細かく、曲げ加工にも適した材質だったからこそ曲げわっぱという伝統工芸が成立していました。しかし、資源保護の観点から、平成24年度で天然秋田杉の伐採は終焉を迎えることになったのです。
そのような状況に対し、柴田慶信商店では、伐採禁止の制約を受けない隣県の天然杉にも着目し、独自に天然材の材料確保に努めています。
曲げわっぱの各工房では、当面はストックしていた材料で凌ぐものの、長期的に〝天然〟秋田杉を使った商品を生産していくために抜本的な打開策が求められています。秋田県では藩政時代から秋田杉の植林が進められてきましたが、同じ秋田杉でも造林杉は天然杉に比べて、折れやすく曲げ加工に適さない、年輪幅が広く均一で美しい柾目が得られないなど、曲げわっぱの材料とするには著しく不向きです。
そこで大館曲げわっぱ協同組合では、「材にしたがう、材に合わせる」の考え方で、造林杉の特性にあった新しい曲げわっぱのデザイン開発、材料の強度不足を補う新しい加工技術の開発などを進めています。
また、特殊な計測機器を用いて計測すれば造林杉の中にも一定の割合で曲げやすい、つまり曲げわっぱづくりに適した性質の木を探し出すことも不可能ではなく、この方法で、造林杉から曲げわっぱの原材料を選別する研究も進められています。
造林杉であっても樹齢150年にもなれば天然秋田杉に見劣りしないものになるという研究結果もあります。大館市や大館曲げわっぱ協組、商工会議所、地域森林管理署では、大館市郊外の1908(明治41)年植栽の約20haの国有林を「曲げわっぱの森」と定めて、産官連携で将来の原材料確保に向けて森林整備をしています。
独学で飛び込んだ伝統工芸の世界
昭和49年に国が定めた伝統的工芸品に曲げわっぱも指定され、世間の注目も一気に広がるという気運の中で柴田慶信さんは曲げわっぱ職人としての人生をスタートさせています。
工業デザイナーで東北工業大学の秋岡芳夫教授(故人)には、曲げわっぱの蓋の丸みを帯びたデザインや、現代生活に合わせてビジネスバッグに収めることも考えた細長い形状の弁当箱のデザインのアドバイスを受けました。また、同じく東北工業大学技術指導員の先生からは、ろくろ技術の指導も受けました。
ろくろ技術の指導の際には柴田慶信商店の工場が実習会場として使われました。
昌正さん:
「同業組合員対象の指導会でしたが、キャリアの浅い父の工場が実習会場に選ばれたためか、他に参加者がなく、実質的にマンツーマンの指導になりました(笑)」
秋岡教授らの地域指導は、地場産業に従事する人を増やして出稼ぎをしなくてもすむ地域づくりの一環だったようです。大館の場合はさらに、意匠開発、新しい商品開発という指導名目もありました。
曲げわっぱの蓋の丸みを帯びたデザインは、慶信さんが業界で最初に取り入れました。
一般的に伝統工芸の世界は徒弟制度の典型で、ベテラン職人の弟子について修行を重ね、一人前となったところで跡を継ぐか独立するものですが、その点でも慶信さんの経歴はいささかユニークです。
昌正さん:
「25歳という、職人の弟子になるには若くない歳でしたし、既に結婚して子どもも二人いました。どうしようか迷っていた時に背中を押してくれたのが母だったと聞いています」
独学で失敗を繰り返しながらの曲げわっぱ職人人生のスタートでした。
脇役としての曲げわっぱ
昌正さん:
「脇役なんですよ、曲げわっぱは」
伝統工芸品の作り手の言葉としてはちょっと意外に聞こえますが、昌正さんに言わせると、主役はあくまでも食べ物で、曲げわっぱはそれを美味しく食べるための道具に過ぎないと。
昌正さん:
「父も最初は大手業者を真似て自社の全製品をウレタン塗装していました。ただ、それに料理を詰めて子どもの運動会に出かけて食べたら、料理にウレタンの匂いが移って美味しく感じられなかった。それから自社の製品は無塗装でいこうと、父は決断しました」
今でも、カップやジョッキなどのカタカナ製品はウレタン塗装するものの、おひつや弁当箱などは無塗装としており、同社の大きなこだわりになっています。
曲げわっぱは、素朴な木製品という情緒的な持ち味だけではなく、ご飯が冷めても美味しいという機能的な特徴を持っています。材料の性質で、余分な水分を吸ってくれるから過度には蒸れない。逆にご飯の水分が足りなくなりそうになっても保湿効果でご飯が硬くならない。だからご飯がいつまでたっても美味しい。都会のOLなどでも、一見都会的ではない曲げわっぱの弁当箱を愛用している人が少なくないのも道理です。
昌正さん:
「弁当箱は白木のままでも10年は使えるはずです。10年過ぎたら漆を塗ることを提案しています。それが剥げたらまた塗り直す。そんな風にして長く愛用してもらいたいと思います。メンテナンスも私どもの仕事です。そもそも、一人の人が弁当箱を持ち歩く年月は、10年を超えて長くなることは滅多にないのではないでしょうか」
それもまた道理。
曲げわっぱの新しい可能性
最近、難病を患っている県外で暮らす方から、介助されずにいつまでも自分で美味しいものを食べ続けたいと、特注食器の制作を依頼されました。曲げわっぱは軽量だし、熱伝導率が低いので熱いものを入れても持つ手に熱さが伝わりにくい、そういう特性に着目しての名指しだったようです。
昌正さん:
「握力がない人のために持ち手を工夫するなどしたマグカップ、汁碗、飯椀など5点を納め、喜んでもらいました」
この経験で、曲げわっぱの新しい可能性に、昌正さん自身も何か閃くものがあったようです。
伝統工芸に携わりながら新しいことにも進んで取り組む柴田家の面目躍如といったところでしょうか。
柴田慶信商店の社員は15名、その半数以上が20代30代の若手です。注目すべきは、雇用の場を提供するとか働き手を求めるといった一般的な形態の求人だけでなく、「伝統工芸士育成コース」の名称で、将来にわたって曲げわっぱという伝統工芸を担える人材の育成にも力を入れていることです。そのためにも働く環境を今以上に整備するのが経営者の務めだと、昌正さんは言います。
粛々と伝統産業を継承するだけではない未来志向のビジョンが昌正さんにはあるように感じられます。あえて若い人たちを積極的に採用するのも、曲げわっぱづくりの将来に明るい希望と強い信念を持っている証しかもしれません。
大館市はかつては近隣に鉱山町を擁し、潤沢な周辺人口がありました。曲げわっぱは言わば、旺盛な地元需要に支えられてきた歴史があります。その鉱山も閉山し人口の流出に拍車がかかりました。地元消費が冷え込んでいく中で、いち早く県外消費地での実演販売に取り組んだのが柴田慶信商店でした。また、就労先も決して多くはない地域事情の中で、意欲ある若者の受け皿として積極的に雇い入れ、同時に、社員数の増加に伴い、市内中心部の空きビルに社屋を移して、市街地活性化にも少なからず貢献しています。ショールームを兼ねた新本社には観光客も多く立ち寄るようになりました。
曲げわっぱのそもそもは、プラスチックや金属を素材にするのが困難だった時代の身近な素材を利用した食器作りでした。しかし今は、前述した傷病者のQOLを後押しする軽量の食器であったり、ご飯が冷めてからも美味しいおひつや弁当箱など、価値ある機能性が新しいポテンシャルとなっています。
柴田慶信商店の曲げわっぱ製品は、直営店舗の他に全国各地のセレクトショップに販路を広げ、フランスやイタリア、それにアメリカのサンフランシスコにも取扱店があります。ワールドワイドに評価されるようになってきました。海外にも販路が広がってきたことで、従来の日本の食生活で使われる道具の範疇だけではなく、外国人のライフスタイルに合った商品の開発にも取り組むようになりました。それが曲げわっぱの新しい〝伸びしろ〟になることでしょう。国内では毎年のように自社製品でグッドデザイン賞にエントリーして、現代生活にこそ価値あるプロダクツであることのアピールにも余念がありません。
そして夢がもう一つ。
昌正さん:
「JR奥羽本線大館駅前に曲げわっぱのミュージアムを建設しようと思っています。そこには、父が若い頃世界中を回ってコレクションした様々な国の曲げわっぱ製品も展示するつもりです。来年度(平成30年度)中のオープンを目指しています」
昌正さんのお話を聞いていると、将来への不安よりも、まだまだやりたいことがいっぱいあるという、とてもポジティブなものを感じます。
大館市は忠犬ハチ公のふるさとで、秋田犬が大館市のアイコンのように位置づけられています。曲げわっぱも、ミュージアムの誕生で秋田犬人気とともに大館のもう一つのアイコンとして地域の賑わいに寄与することが大いに期待されています。
文:加藤隆悦
写真:川又伸文