ローカルニッポン

「江戸前銀鮭」で真価を発揮する関東唯一の海面魚類養殖場/鋸南町勝山漁業協同組合

同じ魚で、天然と養殖があったらどちらを選びますか? 実は私たちの食卓に並ぶ魚のおよそ4分の1の魚が養殖魚で、魚種によっては養殖の方が多いものもあります。日本全体の漁獲量は長年減少傾向にありますが、養殖漁業は安定した供給をキープしており食卓を支えているといっても過言ではありません。千葉県安房郡鋸南町に拠点を置く鋸南町勝山漁業協同組合では、マダイ・シマアジの養殖を機軸に2012年から時代の変化や顧客のニーズを反映してギンザケの養殖がはじまりました。「江戸前銀鮭」として高い評価を受けるギンザケはどのようにして生まれたのか、その秘密に迫ってみたいと思います。

関東唯一の養殖場はどのように誕生したのか

  勝山漁港から船で10分ほど。東京湾最大級の島で日本最後の原始島ともいわれる「浮島(うきしま)」の東面に到着すると、そこには10m四方に囲まれた鋼鉄枠の洋上生簀(ようじょういけす)が何体も顔を出していました。

浮島に向かう船の上。島の手前に数多くの洋上生簀が見えてきた

“あまり世間に周知されていない浮島ですが、ここは関東唯一の海面魚類養殖場なんです。つまり魚を海中で稚魚から成魚まで育成する漁場です。餌は地元近海産のイワシを中心に、魚粉と煉り合わせたMP(モイストペレット)を船上で作り与えています。無添加、無投薬のオーガニック生産をモットーに、餌のMPは人も美味しく食べられる安心・安全なものです(笑)。わかりやすくいえば有機栽培農業に近い育て方ですね。これほど築地と近い距離にあって最高級の魚を養殖しているところは他にありません。”

給餌用の冷凍したイワシを手にする新井顕太郎さん

  このように勝山漁協の養殖について熱く語るのは鋸南町勝山漁協養殖部の新井顕太郎さん(26)。新井さんは東京生まれで学生時代に養殖を知り、各地を調査して2013年勝山漁協に就職すると同時に鋸南町に移住しました。

冷凍して鮮度を保ったイワシと魚粉を船上で練り合わせて給餌する

“日本の養殖の歴史は戦後まもなく香川県でハマチを養殖したことからはじまりました。香川県の漁師は技術をもって全国各地へ養殖を広げていきますが、その過程で生まれたのが勝山漁協の養殖場です。対岸の三浦半島に香川県漁連支部があるのも、養殖場を開拓した歴史が関わっているんですね。そしてその漁師の一人として勝山漁協の養殖場を創り上げたレジェンドと言われているのが親方の黒川さんです。”

浮島と潮流がカギだった

なぜ勝山漁協は関東で唯一の養殖場となったのか、黒川剛さんに直接お話を聞くことができました。黒川さんは香川県出身で鋸南町に養殖技術を伝える過程で地元鋸南町の方と結婚して、香川県の漁業団を離れて勝山漁協養殖場の発展に尽力。現在は定年退職後に嘱託として漁協の養殖事業を手伝っています。

鋸南町勝山漁協 黒川剛さん

“それは他でもない、浮島のおかげです。養殖は波のたつ海ではできませんから、波穏やかな内房は適しているといえます。しかし問題は風。ここは北風こそ直接あたりますが、最も厄介な西風と南風を浮島が防いでくれます。内房とはいえ他の場所で生け簀を設置しても、風や台風がくるとひっくり返ったり、互いに乗り上げて損壊するためうまく行きませんでした。実は浮島のような環境は他を探してもそう見つかるものではありません。”

勝山漁協裏手にある大黒山山頂展望台より 右手に見えるのが浮島

“また加えてこの海域は潮の流れが速いことも特徴の一つ。養殖の魚は生け簀で育てますから潮が鈍いと体が弱く、病気も出やすくなります。ここは適度に潮が入れ替わるため魚の身が引き締まり、病気も最小限に抑えることができるのです。また、無添加、無投薬のオーガニック生産も全国的に珍しいこともあり、こうした評価を受けてマダイは「養殖江戸前真鯛」として千葉県のブランド水産物に認定されました。様々な環境が絶妙に組み合わさって良い漁場となり、関東で唯一の養殖場となったのです。”

生産と販売、双方の課題からギンザケ養殖の農商工連携はじまる

こうして例年評価の高いマダイ・シマアジなどを生産する勝山漁協で2012年から新たにスタートしたのが本記事のテーマでもあるギンザケの養殖。新井さんは2013年の就漁後に早速この研究グループに配属となり、2016年には千葉県が主催する実績発表大会で発表も行いました。

第63回千葉県水産業青壮年女性活動実績発表大会にて農商工連携によるギンザケ養殖の取組について発表する新井さん

“ギンザケの養殖事業は、勝山漁協と千葉県勝浦市に本社がある(株)西川それぞれの課題が合致したことで始まりました。千葉県でも有数の卸や輸入を営む(株)西川は安定した販路がありますが、中国や新興国の消費量が上がってギンザケの価格が高騰し、さらに東日本大震災の影響から国内生産量の9割を占める三陸沖の養殖業が大打撃を受ける中で国内での新たな供給先を探していました。”

マダイに給餌準備中の新井さん

“一方で勝山漁協は長年ブリを養殖していますが、2011年ごろから特に天然ブリの水揚げ量が増えて養殖のニーズが低迷していました。時代の変化とともに新たな魚種にチャレンジする時期だったともいえます。そこで、以前から評価を受けていた勝山漁協の養殖部と(株)西川が協力し、勝山の加工業者(株)ユタカ水産が加わることでギンザケ養殖の農商工連携事業が生まれたのです。”

初のギンザケ養殖に経験したことのない課題も

しかしいかに技術力が高いとはいえ勝山漁協にとってギンザケは初めての養殖。それまで経験したことのないような幾多の困難が待ち受けていました。

“ギンザケは200グラムほどの稚魚の段階は淡水で育て、その後海水へ移行します。もちろん突然移行すると適応できないので「馴致」(じゅんち)と言って海水に馴らす期間が必要です。しかし初期段階ではタイミングや水温の差など様々な要因で多くの稚魚が死んでしまいました。年々工夫を凝らしてその数は減っていますが、いかにストレスを感じさせずに馴致するかは今後も継続した課題です。”

ギンザケ専門の養殖場

“次に給餌(きゅうじ)ですね。ギンザケの餌はマダイやシマアジと異なりMP(生餌と魚粉の配合飼料)ではなく、固形粒状で消化吸収性を高めた水に浮くEP(エクストルーデットペレット)と呼ばれるものを使用しています。水に浮く粒状なので、生け簀の外に餌が流出しないように水面付近の網目を細かくしました。ギンザケは海水温が18℃を下回る12月ごろに稚魚を受け入れて、その後4月〜6月までに1キロ〜2キロほどの大きさまで育てて出荷します。しかし給餌がうまくいかないとその期間までに大きく育たない年もありました。今年は自動給餌器を導入するなどして、給餌の課題も年々解消しています。”

「江戸前銀鮭」の評価からその他の魚種まで波及効果

このようにいくつもの課題を一つひとつ丁寧にクリアした結果、勝山産の養殖ギンザケの生産量は年々安定し、今年は81トンと過去最高生産量を記録しました。(株)西川や勝山漁協の従来の販路だけなく、回転寿司チェーンなどの新しい販路も開拓されていきました。その名も『江戸前銀鮭』。養殖環境の良さと高鮮度の加工で文句なしの味を実現した江戸前銀鮭は人気も高く、これに応じてマダイやシマアジなど勝山産の他の魚種の取引も増えています。

“これまでは漁師は魚を獲るまでが仕事だったわけですが、農商工連携によるギンザケ生産を通じてこれからの漁業は世の中のニーズに適応していかねばならないと痛感した経験になりました。日本全国で年々漁獲量が落ちる中で、品質をコントロールして安定供給できる養殖業は有望だと思っています。まずは多くの方に養殖業とは何か知っていただきたいですね。私も今年で漁協に就職して5年目となりますが、ようやく漁業権も取得できたので、近い将来独立して養殖業を営み勝山漁港を盛り上げていきたいと思っています。”

海水温の上昇による環境的な要因か、乱獲によるものかは特定できていませんが、近年の漁業は魚種によっては記録的な不漁に見舞われています。ここで注目を受けているのが「捕る漁業」から「育てる漁業」への移行。勝山漁協での取材を終えて、海面養殖といっても自然環境が重要な役割を果たし、また人工的な管理がかえって高品質な魚の生産につながっていることがわかりました。ギンザケが鮮魚で食べられるシーズンは4月〜6月に限られますが、真空パックの商品が通年食べられるそうです。ご興味ある方は下記の店舗まで足をお運びください。良質な漁場が育まれる勝山漁港の養殖場や新井さんの挑戦からこれからも目が離せません。

文:東 洋平

<「江戸前銀鮭」販売店情報>
店舗名:都市交流施設・道の駅 保田小学校
住所:〒299-1902 千葉県安房郡鋸南町保田724
電話番号:0470-29-5530
営業時間:9:00~18:00
定休日:年中無休

店舗名:南房総の温泉旅館 紀伊乃国屋
住所:〒299-1902 千葉県安房郡鋸南町竜島970-6
電話番号:0470-55-1571
定休日:年中無休