ローカルニッポン

コミュニティを支える誇りある地曳網文化

鴨川市沿岸の東部に位置する天津(あまつ)地区は、鴨川漁港周辺と並んで南房総地域を代表する漁師町です。そこは、千葉県に現在3か所しかない「地曳網(じびきあみ)」の漁法をいまに伝える地域でもあります。そして、この地の地曳網は、地域の祭事とも関係が深く、漁師のみなさんとともに地域を牽引する大切な役割を担っています。さらに、九十九里、南房総岩井、天津にある千葉県下3つの現存網のなかでも天津のものは最大級、この地の漁師の誇りでもあります。
今回は、そんな地域コミュニティの過去、現在、未来をお伝えしていきます。

一度は廃れた地曳網が大漁祈願の祭りとともに復活

天津二タ間海岸で行なわれる地曳網は引き手50名以上の大網が特徴

過去を遡れば、砂浜がある日本中のさまざまな漁師町で盛んだった地曳網漁。朝の時間帯に沖に出ようとする魚たちの習性を逆手に取って、辺りの暗いうちから船で網をかけ、その両端を綱引きのように砂浜へと引き戻しながら、網に入った魚を岸に引き上げて獲る方法です。今回取材をした天津の引土地区も、40年以上前は大きな網を所有する漁師の家系が小さな集落のなかにふたつも存在していました。しかし、より効率的な漁法に取って代わって採算が合わなくなってしまったことや、働き方が変わって勤め人が増えたことによる専業の漁師不足を背景に、天津の地曳網漁は一度廃れてしまいました。

その後、五穀豊穣と大漁祈願を願う、漁師のみなさんにとって大切な地域の祭事の際、古びてしまった神具祭具を造り替えようという提案が地元で挙がります。そのときに、地域内で寄付を仰ぐのではなく、地曳網漁を復活させてそこで得た収入を工費に当てようという話が沸きました。年配者の方々が、かつてこの漁師町で栄えた地曳網の存在を思い出したのです。

それから35年。今年も9月の第3土曜から11月の第1土曜までの期間中に計5回、観光客や地元民に向けて地曳網漁が行なわれる予定です。

五穀豊穣と大漁祈願を願う天津須賀神社の例祭。
祭事の資金を地曳網の売り上げからまかなう

地曳網を通じてシェアする喜びをコミュニティに

漁場は、清澄山系からの清らかな水が流れ稚鮎も遡ると言われている二タ間川(ふたまがわ)が太平洋に注ぎ込む、二タ間の湾のなか。そこに迫り出す天津の山々は「魚付き保安林」と言って、西日が山にあたって湾が陰り、その暗くなったところに魚が入ってくるという稀少な地勢を形成しています。県内に2か所あるかないかの特別な地勢でもあり、魚の動きはきっととてもダイナミックなのではないかと想像できます。自然のサイクルが生きている健康な山からの栄養分豊富な水の流れも、魚たちを集める大きな要素。故に、小さな伐採さえ許可なしには行なえない、地域の水産資源を守る貴重な自然環境といえるのではないでしょうか。

この二タ間湾に面した引土地区に暮らし、天津の地曳網保存の中心にいる、地元漁師のリーダー的存在である浩徳丸の金高恵一さんはこう語ります。

金高さん:
「いちばん魚が入るのは毎年10~11月。過去最高はアジが12トンくらい入ったこともあったね。網の大きさは二タ間の湾をすべて覆えるくらい。引くのに最低50人は必要かな。観光用に小さいものをつくろうかという話も出ているけれど、それじゃあスケールが小さくておもしろくない……! 観光客やその辺りでサーフィンをしている人たちもおもしろそうと参加してくれたり。われわれ漁師も手伝いで一緒に引きます。“樽三本”って言って、最低でも100キロくらいは獲れるかな。100キロまでは獲れようが、獲れまいが、みんな参加してくれた観光客のみなさんで山分け。そんなに食べられません……なんて言われちゃうこともあるけどね。アジの他にはカンパチやスズキなんかも入りますね。大きいのが入るとやっぱり盛り上がるよね」

天津全体でも多分に漏れず、会社勤めの人が増えてしまったがために、昔のように号令をかけても引き手が集まらなく、漁が休みの第1と第3土曜で観光客に向けて行なうようなエンターテインメント性のあるものへと変化してきました。ただし、その文化をなくすつもりはありません。

金高さん:
「続けられる限りは続けようと思ってるよ。みんな楽しみにしてくれているから」

参加者みんなで漁獲物を分け合うことや、苦労した共同作業が終わったあとビール片手にその時間をシェアすることが魅力。地域のコミュニティ、そして参加者全員がいちばん豊かに輝く瞬間です。

天津漁港内の競り場

昔から変わらない地域や家族の強い絆

現在、漁業をはじめ、第1次産業全般に言えることはやはり、担い手が少なくなってきていること。とにかく漁師を目指してくれる人を増やし、産業を途切れさせないようにすることがいちばんの課題解決につながることだと、金高さんは語ります。

天津漁港の競り場の片隅で出荷を待つサザエのカゴ

金高さん:
「漁師という仕事をもっと理解してもらって、それに就く人たちが増えることを願っています。近年では鴨川あたりでもポツポツと、会社員を辞めた新しい人たちが漁師になったとよく聞きくようになったね。おすすめは、やっぱり修行をしてから漁師になるといい。例えば、ここの海域は魚を獲ってはいけないよとか、こういう風な状況になったらこの海域は危険だとか、海は危険性も十分ある。そして魚の動きについても、この潮ならここ、あの潮ならあっちなど、知っている人は過去の経験から把握している。さらに、広い海の上にも漁のためのルールがあるから、漁師としてのしっかりとした対応が求められるよね。」

金高さんが所有する浩徳丸。10月頭から解禁され、6月末まで続く金目鯛の漁がメイン。

そして、金高さんとともに船に乗り込む息子の裕司さんは、こんな風にご自身の仕事を捉えています。

裕司さん:
「俺は、乗った初日にそのおもしろさに目覚めて船に乗るようになったんです。自分の力で成果を生んでいける仕事に大きな魅力を感じていますね。ITとか、スマホひとつで稼げる時代にハードな環境で仕事をしないといけないから、担い手が減っていくのも仕方ないとは思う。安定的なものを求めてる人はなかなか飛び込めない世界ですよね。自分で自然のなかに出てやろうっていう気概がないと。一年を通して漁があれば本当に良い生活はできると思いますが、時化が続いたり、魚がいない時期などにどうやって収入を確保するかも悩みどころではありますね。でも、そこも含めての漁師ですよね。自分でやるっていうのが、かなりおもしろい部分ですね」

天津漁港に停泊する船の実に29隻中28隻が、親子か親戚という血の繋がっている師弟同士で漁に励んでいます。これからの日本における第1次産業には解決しなくてはならない課題が多く存在する一方で、そこには昔から変わらない地域や家族の強い絆が見て取れました。

引土地区に暮らす漁師のみなさん。(前列右から2番目が金高恵一さん。後列右端が息子の裕司さん)

文・根岸 功 / 写真・鴨川市役所、根岸 功