春の足音
あれほど降り積もった雪が、3月になるとどんどんかさが減ってくる。
晴れた朝には放射冷却で雪の表面が固くなる。このあたりでは「かた雪」と呼ばれ、雪の上を歩いて田んぼの向こうの林の中まで行くことができる。
宮沢賢治の童話の「雪渡り」の冒頭に、まさにその様子が描かれている。
雪がすっかり凍って大理石よりも堅くなり、空も冷たい滑らかな青い石の板で出来ているらしいのです。
「堅雪かんこ、しみ雪しんこ。」
お日様がまっ白に燃えて百合の匂を撒きちらし又雪をぎらぎら照らしました。木なんかみんなザラメを掛けたように霜でぴかぴかしています。
「堅雪かんこ、凍み雪しんこ。」
四郎とかん子とは小さな雪沓をはいてキックキックキック、野原に出ました。こんな面白い日が、またとあるでしょうか。いつもは歩けない黍の畑の中でも、すすきで一杯だった野原の上でも、すきな方へどこ迄でも行けるのです。
平らなことはまるで一枚の板です。そしてそれが沢山の小さな小さな鏡のようにキラキラキラキラ光るのです。
早春を告げる「かた雪渡り」は、子どもたちの楽しみだった。平日だったら、通学路をちょっと外れて畑のほうを回り道したり、日曜の朝だったら近所の友達を誘って平原のようになった田んぼや畑を自在に歩き回ったりして遊んだ。雪の上には、ウサギやテンのものらしい足跡が、山のほうからずっと続いていた。最近は、子供の数も減って、近所に同世代の遊び相手がいなくなってしまった。それでも、子どもたちは保育所でかた雪渡りをして遊んでいた。
春先の山仕事
2月も末を過ぎると、ようやく朝と夕に、日が伸びてきたことが実感される。ときおり雪も舞うが、風は緩んで外仕事も苦でなくなる。
春先は、かつては山から木を搬出する季節だった。雪が締まって、あたり一面に残っているので、どこでも道をつけることができる。他の季節なら運び出すのが難しい山奥からでも、ソリを使って材木を搬出することができた。そのように労力を割いて運搬しても、十分に採算が取れる時代もあった。
現在ソリはほとんど使われなくなってしまったが、その代わりとしてスノーモービルにソリをつけて木材は運ばれる。スノーモービルだと1回に運ぶことのできる量は少ないけれど、往復する時間が早いのでそれなりの量を運搬できる。ただし、採算を取るためには、材料単価が高い桐などの伐採・搬出が多くなる。ここ奥会津三島町は会津桐の産地でもある。
森林をエネルギーに変える
会津自然エネルギー機構が目指すことのひとつは、エネルギーをなるべく自給することである。私たちの活動の原点が原発事故後の「原子力から再生可能エネルギーへ」という思いにあったということは前回書いたが、これは原子力による発電を、太陽光や風力などの再生可能な方法による電力にとって変えればいいということではない。原子力のような、大規模集中で、誰かを犠牲にしなければ成り立たない搾取の上に成り立つシステムから脱するということであり、同時に電気をガンガン使わないとやっていけない暮らしから、なるべくエネルギーを使わない暮らしにシフトしていこうというものである。
そして自分たちの地域にあるエネルギー資源を活用することで、エネルギーの自給自足を目指していくということだ。
私たちは、豊かに広がる森林を活用していくことが、この会津地域でのエネルギーの自給自足につながるものと考えている。ただ、木質バイオマスを発電に利用した場合、エネルギー効率は約3割で、残りは熱となって逃げてしまう。では始めから木質バイオマスを熱利用すれば、7~8割が活用できるという。
一方で、木材の値段が安いということで山林は手入れされずに荒廃しており、危険地帯も増えている。山の手入れをしながら、間伐などで出できた材木をバイオマスエネルギーとして熱利用していく仕組みづくりが必要だ。
そのために、まず現状を把握しようということで、近隣の林業関係者、製材業者、行政関係者などに集まってもらい、「会津の山を動かすべ!」と題して意見交換会を開催した。
そこで見えてきた大きな問題は、山林所有者が高齢化して、山の境界が分からなくなって来ていること、そして、林業従事者が高齢化してきていて、後継者がいないということだった。そこから、山の現状を学習し、林業の技術を習得するための「きこりプロジェクト・山学校」が始まった。
文:会津自然エネルギー機構 代表理事 五十嵐 乃里枝