炊き立てのご飯にお豆腐の味噌汁、納豆、焼き魚にお醤油をたらせば、和食の定番ですね。
海苔やお漬物を添えて、旅館でもお馴染みの和食の朝ご飯。と言いたいところですが、果たして本当に日本が誇る“和”食と呼べるのでしょうか。
味噌や醤油、納豆や豆腐の主原料は大豆・麦ですが、実は、日本の食卓に不可欠なこれらのほとんどは輸入されているのです。農林水産省が公表している平成30年のデータによると、日本人が1年間に食べる大豆の消費量のうち国産の大豆はわずか6%にとどまり、小麦12%、大麦・はだか麦は9%と、ほとんどが輸入に頼っていることがわかります。
このような中で、農薬や化学肥料に頼らず “日本の大豆・麦” を育て、農ある暮らしを実践している場所があります。鹿児島県霧島市の北東に位置する霧島永水地区は、宮崎県との県境に近い中山間地域で、昔から農業が盛んです。福岡県出身の増田泰博さんが、過疎化が進むこの土地で、いまに辿り着くまでの紆余曲折の話を伺いました。
辿り着いた鹿児島で 人との出会い
増田さんは、出身地の福岡で建設関係の会社で働いていましたが、忙しすぎて「このままではダメになる」と全てのしがらみを断ち切って、自分探しの旅に出たそうです。26歳の頃でした。
増田さん:
「九州から出たことがなかったので、まずは北へ向かいました。紹介で旅館の住み込みや、土木現場の日雇いなどで働きながら全国各地を回りました。2年ほど経った頃、温かい沖縄に行こうと思い立ったんです。でも、その前に訪れた鹿児島でお金が尽きてしまって。職探しの相談へ役場を訪れた際、気にかけてくれた職員の方が、旅人を受け入れている古江さんという方を紹介してくれたんです。そこで居候しながら仕事の手伝いをさせていただけることになりました」
役場で偶然出会った方に紹介していただいた古江さんは、農薬や化学肥料を使わない農業をしている傍ら、「NPO法人霧島食育研究会」の理事も務めていて、そのうちNPOの仕事も一緒に手伝うようになります。“植え方から食べ方まで、消費者を育てる” というコンセプトは、その後の増田さんに大きなきっかけを与えることになります。こうして、27歳にして縁あった土地、霧島に定住する決意をします。
増田さん:
「お茶のバイトや農家さんの手伝いをしたり、型枠大工の仕事をしたり、NPOの仕事の合間にいろいろとやっていました。一人派遣業みたいな。依頼のある農家さんの手伝いへ行き、NPOでは食、農業、環境、について学びながら、豆腐作りや味噌作りのW Sの講師も担当しました。そのうちに、自分で大豆や麦を作るところからやってみないと!って思いはじめて。この地で暮らすならと、その頃から畑を借りて農業も始めました」
2015年、晴れて就農し、誕生したのが「マルマメン工房」です。
マルマメン工房 大豆・小麦の可能性
「◯豆ン工房」◯に大を入れたら「大豆」、小を入れたら「小豆」、納を入れたら「納豆」となるように、◯には様々な可能性があります。また、◯を輪にみたて、“調和” “人との繋がり” という思いが込められています。豆の可能性と人とのつながり。増田さんは、マルマメン工房や生産する大豆や麦を通じて、楽しめるモノや場所を創りたいと話します。
増田さん:
「鹿児島県内のイベントやマルシェに積極的に参加し、作った農作物を直接販売したり、協力してくださるお店とパンを作ったり、食育をテーマとしたワークショップを開催してきました」
増田さんは、生産した大豆や麦をただ卸して販売するだけでなく、その魅力を自ら講師となって伝え、仲間と新しいネットワークを作り、発信し続けています。県内外のイベントにも積極的に出店して「とにかく顔を売った」おかげで、着実に全国にファンを増やしてきました。
増田さん:
「鹿児島で大豆・小麦を作っている生産者が圧倒的に少ないんです。少量多品目で野菜を作ることよりも、穀物は可能性がすごくあると思った。同じ畑で、表作では大豆を育て、裏作で麦を育てる。一人で作業しても、同じ畑を2度活用できて、面積を広く作ることができる。収穫後に残った大豆の茎は次の麦のため、そして麦わらは次の大豆のための栄養になる。仮に失敗しても緑肥になるし、畑の保全になるんですよ。
私達は大豆を使った食べ物を日常的に食べているけど、大豆そのものについて意識することは、あまり無いように感じます。大豆そのものの美味しさや良さを知れば、大豆加工品の見え方も変わると思います。大豆って白いのが当たり前と思われてるんですよね」
増田さんの育てる大豆は、現在10種類。フクユタカ、紅大豆、茶大豆、青大豆(南九州在来、アオバタ、在来大豆)、黒大豆(クロセンゴク、クロダマル)、鞍掛け大豆、島大豆。
麦は、農林61号、ミナミノカオリ、ゆめちから、スペルト小麦、エンマー小麦、アイコーン小麦、シロガネ、ライ麦、二条大麦(ニシノホシ)、裸麦(イチバンボシ)、もち麦(ダイシモチ)の11種類。
なんでそんなに種類を?との問いに、「趣味です。笑」と即答。
「タネももらうし、なんでもやってみたいんですよね。なんでも育ててみたいし、なんでも知りたい。」と探究心が高まった結果だと言います。
「地粉」を守る 製粉機を受け継ぐクラウドファンディングへの挑戦
収穫した小麦は、口コミなどで好評価を得て、ファンを着々と増やして行きました。しかし2016年、それまでお願いしていた製粉所から、発注量が機械のキャパシティーを超えてしまい、製粉を断られてしまいます。同じ地域にあった他の製粉所も、高齢に伴い辞める予定だったり、個人では受け入れてもらえなかったり。小麦は収穫できても、製粉できなければ、商品になりません。霧島永水の大地に種子をまき、栽培、収穫し、製粉して小麦粉になるまで、その流れを一貫して行った小麦を「地粉」と呼びます。他の土地で製粉しても霧島の「地粉」とは言えません。諦められなかった増田さんは、製粉所を探す中で、数年前に廃業された方が持っていた木製の製粉機に出会います。
増田さん:
「見た瞬間、大事に使われていたのが分かったんです。ただ眠っているだけで、思い入れや機械に残っている息を感じました」
持ち主の親父さんは、80歳を超えるご高齢に加え、肺気腫を煩い、酸素吸入器をつけながら話してくださったと言います。
増田さん:
「電子制御だと1つエラーになると全部がエラーになり、基盤から変えないといけないけど、木製だと構造がシンプルなので、少し作り替えるだけで良い。しかもロール式は珍しくて、日本に5台くらいしかないんですよ」
一度は購入を断られましたが、増田さんは何度も通って、熱意を伝えました。
増田さん:
「親父さんの話を聞いてるうちに、買います!と言っている自分がいました。お金のあては全くなかったんですけどね」
なんとか資金調達をすることを誓い、クラウドファンディングへと挑むことになります。
増田さん:
「宣伝から締め切りまで、あえて1ヶ月という短い設定をしました。必死さや決意が相手に伝わらないといけないと思って。でも、商品の宣伝とは違いますし、ずっと宣伝し続けるのは、きつかったですね。なぜ鹿児島で小麦なの?そんなことあなたがしなくても良いんじゃない?と言われることもありました」
2017年3月、無事に目標金額を上回るクラウドファンディングに見事成功します。
製粉機を迎える製粉所の建築も翌年スタートし、2018年の年末に製粉所のお披露目イベントが催されました。現在は試験的に稼働、本格稼働は2020年収穫分からを予定しています。
その道をつくる
製粉所は、いろんな農家さんにも使ってもらいたいと増田さんは話します。
増田さん:
「穀物(こくもつ)って、国物(こくもつ)とも書けます。この国の物です。
生産をいくら広げるといっても、一人で背負って全部やるのは無理です。だから同じような考え方で農業に向き合い、大豆・麦を作る仲間をたくさん増やしたい。その道さえ作れば、教えることはできるし。農業で何億とか何千万とか興味なくて。いろんなニーズに対応しないと広がらないし、やる人がいなくなったら終わりでしょ。応援して(買って)もらわないといけないと思う。夢は、その道を作る。今までなかったなら、やってしまえばいい」
噂を聞きつけて、増田さんのところに相談に来る方も多いのだとか。
今後は自宅の土間部分で相談ができるスペースを設けたり、一般の方にも醤油や味噌、地粉、豆を量り売りできるように改装を進めたいと話します。
増田さん:
「もっと畑も広げたいと思っていて、表作(7月〜11月)は、麦5町歩と大麦1町歩、裏作(12月〜6月)大豆5町歩と蕎麦1町歩に増やしたいですね。目の前に畑が広がっていて、好きな人たちとワーワーやっているのが楽しいんです。それを維持したい。
やりながらだんだんゴールが大きくなっていったんですよね。自分一人で完結することではないと思っています。息子の子供の世代でやっとかな。いばらの道です」
息子さんは3歳、麦(バク)くん。父の背中を追って、たくましく成長中です。 就農して5年なので、まだまだ若手の方ですねと笑いながらも、夢を語ってくれました。
今年の夏は、青年農業者の県代表に選ばれ、九州大会へ出場されるそうです。
開催地は偶然にも沖縄県。まさかこんな形で、10年越しに沖縄の地を踏むことになるとは、誰も想像できなかったことでしょう。
増田さんは、この5年、大豆の葉に虫が大発生したり、麦の保管や乾燥の対策、とにかく前途多難だったと振り返ります。それでも一歩ずつ前進し、問題をクリアしてきたと言います。真っ当に農業と向き合い、大豆や麦の可能性を広め、美味しさはもちろん、その人柄で着実に仲間やファンを増やしてきました。
お米や野菜を生産者や農法、鮮度、品種等で選ぶように、大豆・麦にも同様に選択肢があるということを、一消費者としても忘れずに、今後の活躍にも期待しながら、変わらず応援し続けていきたいと思います。
文:八木悠
写真:マルマメン工房