ローカルニッポン

新しい“都市と田舎の関係”づくり

瀬戸内海を望むデルタ地帯に形成された、人口119万人の広島市。市内を流れる川の上流には、国指定特別名勝の峡谷「三段峡」があります。中国山地の懐にあるこの三段峡(広島県山県郡安芸太田町)を拠点にして、新しい“都市と田舎の関係”づくりが始まっています。

「さんけん」の取り組み

三段峡は、広島市を流れる太田川の上流の柴木川(しばきがわ)に刻まれた、長さ約16kmの峡谷で、起点と終点の標高差は500mにもなり、変化に富んだ自然美を楽しむことができます。さらに広島市中心部から高速道路経由で約1時間というアクセスのしやすさや散歩感覚で気軽に見学できる整備された峡内の遊歩道も魅力です。

1917(大正6)年に写真家の熊南峰によって開峡されて以来、広島県を代表する観光地でした。ところが近年は、訪れる観光客や観光消費額の減少に悩まされてきました。町内からも訪れる人が少なくなっていました。町内最大の観光地、三段峡をどのように再生させるか。これはこの地域にとって大きな課題となっていました。

三段峡再生プロジェクトは、2017年の開峡100周年を目指して始まりました。1年以上をかけて町内外の自然専門家や、観光事業者、地域づくり関係者など様々なステークホルダーが話し合い、「三段峡憲章」が制定されました。“三段峡の価値を見直すこと” “訪れた人に、これからの自然と人の関係を考えてもらう場所にしていく”そういった願いが込められました。そして憲章を守り、生かしていくためにNPO法人「三段峡―太田川流域研究会」(以下「さんけん」)の取り組みが始まったのです。

「さんけん」は、理事長の本宮炎(ほんぐう・ほのお)さんと、三段峡を大切に想う仲間が様々な活動を展開しています。

本宮さん:
「私が岐阜県から移住して来た当初、高下務さん(「三段峡ホテル」社長、元さんけん理事)に三段峡を案内していただき、とても感動しました。1人で歩いただけではわからない、三段峡の良い面を広めていきたいと思いました」

本宮さんは元々地元出身でないこともあり、移住当初は三段峡に詳しいわけではありませんでした。しかし周りの人から学んでいくうちに知識を深めていきました。 さんけんは今、“都市と田舎の新しい関係づくり”“三段峡を野外博物館に”をテーマに、様々な活動を展開しています。

姉妹滝近くの探勝路。観察会帰りの小学生が歩いています。

例えば三段峡を自然フィールドとして活用し、県内の中高生向けに自然からの学びを伝えながら技術や心を習得するジュニアリーダー講座を開設しています。学ぶだけでなく伝えると、自然への関心や愛情がグッと増します。今年から中学生が講師となった自然体験教室が始まるそうです。また、一部エリアの無印良品と共同で企画運営するネイチャーツアーでは、都市部に住む人に自分の暮らす街の上流部にある自然や歴史を伝え、里山と都市のつながりを実感してもらっています。ツアーの開発をするうちに無印良品のスタッフの中には、コケの魅力や川遊びにはまってしまった人もいるとか。

川のツアーのオリエンテーション。無印良品のスタッフも参加しました。

本宮さん:
「実は大きな特徴として、三段峡には300種類以上の苔(コケ)が生息していて、そこから森の成り立ちを伝えることができます。またオオサンショウウオが生息していることは、食物連鎖の下位から最上位まで生き物が多様に存在していることの証です。絶滅危惧種の魚も棲むことができる本来の川の姿のまま残っていると言えるでしょう」

コケの説明をするさんけん本宮理事長。

強面のサツキマスを眺めている女の子の表情は楽しそうだ。

峡内を歩くと、カナクソという石を多数見つけることができるそうです。このことは、昔にたたら製鉄があったことを現代に伝えています。中国山地でかつて盛んに行われ、映画「もののけ姫」にも登場するたたら製鉄ですが、針ややすりなどの工業を生み出しました。

このように、三段峡は豊富な自然環境だけでなく、人間の織りなした歴史を伝えていく場所でもあるのです。太田川を介して、上流のたたら製鉄と広島市の工業がつながっている。本宮さんはさんけんの正式名称の「三段峡―太田川流域研究会」の「―」が重要だと強調しています。太田川こそが、上流の里山と下流の都市をつないできた媒介者であったからです。

新しい「経済循環圏」を目指して

それでは、これからの“都市と田舎の新しい関係”はいかにあるべきなのでしょうか。

本宮さん:
「田舎が頑張るのはもう限界です。都市はモノ(食糧、資源、燃料)を生産できません。昔は川の上流から鉄や炭を流す経済循環圏ができていました。今の時代であっても、都市にとって里山は必要な存在です。都市の人がもっと里山に訪れ、楽しめば対価が支払われて、新しい経済循環圏が生まれます。地域の困り事の共有もできます。例えば田んぼを維持していくことや、梅の木などの作物の収穫を都会の人に手伝ってもらうことです。都会の人は田舎を体験できる他、作物をお裾分けしてもらえます。都市と田舎の豊かな暮らしが実現します。さんけんは、都市の人と田舎の人がコミュニケーションを取る窓口でありたいと思っています」

さんけんの活動の2つ目のテーマ、“三段峡の魅力”とはどのようなものでしょうか?

本宮さん:
「三段峡は“野外博物館”と言えるのではないでしょうか。文人趣味が流行した大正時代に開峡し、山水画のような風景に、雄大な自然美も加わった美術館です。また、入口と頂上の標高差は500mもあり、森が暖温帯から冷温帯へと変わっていきます。一つの渓谷の中で森の姿が変わっていき、多様な自然を楽しめる、貴重な博物館です。そして、一帯は文化財保護法と自然公園法によって規制がかかっているので、今までもこれからも良好な河川環境を残していけるでしょう。

その一方で三段峡の周りを取り囲む地域に人が住んでいかないと、三段峡の自然環境や観光産業を維持していく担い手がいなくなってしまいます。私達は里山の地域社会を維持し、100年後も三段峡が残るようみなさんと大切にしていきたいと思います」

三段峡の入り口すぐには、広島市中心部からの路線バスの停留所があり、ホテルもトイレもあります。これほどに便利な条件が整っている中で、多様な自然の良さを伝えていける場所なのです。

一方で、これからの活動には課題も残っています。これまで安芸太田町は人口減少が続いてきましたが、そうした中でいかにして観光業の店舗などを維持していくのか。近年じわりと増えつつある田園回帰、Uターン・Iターン移住がカギとなってくると思います。

また、美しい自然は見学して楽しむことはできても、それだけでは経済循環にはつながりません。この地域の観光産業維持のためには、文化を生み出し、利益を出していく必要があります。これまでに三段峡で湧き出す軟水を使って、栃餠や蕎麦を作る取り組みが行われてきました。これからの“自然を楽しむ文化”をいかに作っていくか、本宮さんたちさんけんの活動が楽しみです。

大勢の人に、三段峡に興味を持ってもらいたい。それが本宮さんの思いです。三段峡はこれまでの“古い観光地”すなわち景色を見て楽しんで帰ってもらうだけの場所から、学び体験する“新しい観光地”へと変わりつつあります。良好な自然環境の維持。都市と田舎の交流。「100年後も残る三段峡」に向けて、さんけんの熱い取り組みが展開されていきます。

自然体験ツアーのオリエンテーション。さんけん会員が案内しています。

文:中本祥二 写真:さんけん