「進化するシーラカンスでありたい」ユーモアたっぷりの笑顔で語るのは、鈴木茂兵衛商店代表取締役の鈴木隆太郎さん。鈴木茂兵衛商店は、茨城県水戸市で慶応元年から約1世紀半、提灯をつくり続けています。
水戸の地で育まれた「水府提灯」の伝統を守りつつ、新たな挑戦を続ける鈴木茂兵衛商店の7代目鈴木隆太郎さん、隆太郎さんの息子で8代目の鈴木紘太さんにお話をうかがいました。
日本3大提灯のひとつ「水府提灯」
お店のドアが開くと、心地よい風鈴の音と柔らかな提灯の光が私たちを出迎えてくれました。水戸駅から車で15分ほど、水戸市袴塚にある鈴木茂兵衛商店は、慶応元年(1865年)に4代目鈴木茂兵衛によって創業されました。
鈴木茂兵衛商店がつくるのは「水府提灯」と呼ばれる提灯です。「水府」とは水戸の別称。岐阜県の「岐阜提灯」と福岡県の「八女提灯」に並ぶ日本3大提灯のひとつです。江戸時代、貧しかった下級武士が生活のためにつくり始めたのがきっかけです。次第に、水戸藩の奨励産業となり、広く江戸の町で使われるようになりました。
鈴木茂兵衛商店がつくる水府提灯は、竹ひごを螺旋状に巻き上げ外形を整える製法を用いている岐阜提灯・八女提灯と異なり、竹ひご一本一本を輪にして、それに糸を絡めていく製法を用いていて、丈夫な構造が特徴です。
まず、お話をうかがったのは、7代目で取締役社長の鈴木隆太郎さん。提灯とはなんぞや、そして鈴木茂兵衛商店のこれまでの歩みを教えてくださいました。
鈴木隆太郎さん:
「提灯の特徴は『折り畳めること』。畳めなければ提灯ではないです。懐提灯のように、夜道を歩くとき懐から出して伸ばして明かりを付けることができます。日本的だと思うのは、屋号や家紋を入れることで、夜道を誰が帰ってきたのかわかる点だと思います。畳んで、伸ばして、なおかつ絵柄を見せる、そして明かりになる。これが提灯の面白さです」
祭りやお盆・・・昔からの風習が我々を支えてくれた
「提灯づくりは私にとってまさに『家業』。提灯という一般的ではないものをつくっている使命があります」社員とその家族の生活を守る隆太郎さんの目には、7代目としての責任と気概を感じました。今でこそ、日本のクラフトは日の目を浴びていますが、隆太郎さんが育った時代はそうではなかったそう。
鈴木隆太郎さん:
「学校で『あなたのお父さんは何をしているの?』と聞かれたとき、クラスではサラリーマンと答える人が多かったです。その中で、『提灯屋です』と答えると、周りは一瞬ポカンとして、そして笑い出したんです。
日本のクラフトが再評価されるようになりましが、提灯屋は基本的にあまりこころよい響きの職業ではありませんでした。むしろ今のほうが持ち上げられているように感じます。メディアで取り上げてもらえるようになり、それに乗っかっている部分もあります。本当はつくる作業というのはとても地味なんです」
インタビュー中、一貫して謙虚な姿勢がとても印象的でした。真摯に提灯づくりと向き合ってきた隆太郎さんですが、苦難の時間も長かったようです。
鈴木隆太郎さん:
「今までやってこられたのは、祭りやお盆など昔からの風習が我々を支えてくれたから。提灯づくりは常に受け身の商売です。提灯をどこかに『使ってほしい!』と売り込むことは難しくて、企業から声を掛けていただき一緒に仕事をするにしても、たくさんの人間を介すと、コミュニケーションが円滑に進まないことがあります。そういう意味では歯がゆい思いをしています」
転換となった旧友ミック・イタヤとの再会
鈴木茂兵衛商店の大きな転換は、まさにいくつもの「縁」によって生まれました。
約12年前、隆太郎さんの竹馬の友である、ビジュアルアーティストのミック・イタヤ氏と高校卒業以来30数年ぶりに再会したときにさかのぼります。隆太郎さんが水戸の偕楽園で毎年梅まつりの期間に開催される「夜・梅・祭」で、提灯を販売しないかという話を受けていた頃です。
鈴木隆太郎さん:
「夜に提灯を売るといっても面白いのか…。来た人たちは買ってくれるのか…。だったら、好文亭(偕楽園内に併設された東屋)の中で開かれたお茶会で、提灯を明かりとして見てもらうのはどうかと考えたんです。そこで、ミックに声を掛けました。『ちょっと遊んでみない?』って」
「夜・梅・祭」の反響は大きかったそう。鈴木茂兵衛商店の人気シリーズ「MICシリーズ」はここから誕生しました。
鈴木隆太郎さん:
「ミックの作品の形が定まったきっかけは、スタンドです。従来のスタンドは、蛍光管や白熱球を使っていました。それだと熱を持ってしまうので、提灯の上下を開けなければいけません。ですが、ろうそくの灯りを再現したゆらぎのLED光源と出会い、ミックの今の形に繋がりました。LEDだと熱を発さないので、提灯の上を塞ぐデザインをつくることが可能になったんです」
こうして、ミック・イタヤ氏が生みだしたデザインは、専務の由元さん設計のもと忠実に再現されました。音センサーによるスイッチのオンオフ機能、起き上がり小法師(こぼし)のように転倒せず自立するデザインなど、利便性と遊び心に満ちたデザインを次々とつくり出しています。
旧友ミック・イタヤ氏との再会、ゆらぎのLEDとの出会い、専務の由元さんの設計・・・いくつもの「縁」がMICシリーズを生み出し、鈴木茂兵衛商店を新たなステージへと連れていきました。
「縁」といえば、忘れてはいけないのが鈴木茂兵衛商店の風鈴提灯「えん」です。誕生のきっかけはなんと、テレビ取材だったとか。
鈴木隆太郎さん:
「2010年の夏、8代目の紘太と専務の由元が主体となり風鈴をモチーフにした提灯を製作しましたが、テレビ取材に合わせて作ったものだったので、同じものではなく、ミックに相談して、現在の形になりました」
通常、提灯は上輪と呼ばれる口の大きい方が上にくるように製作されるものですが、風鈴提灯は提灯を逆さにし、上輪が下にくるようになっています。
鈴木隆太郎さん:
「なるべく価格を廉価にするため、既存のものを活かした結果、現在の形になりました」
風鈴提灯は、吊るされた紐を引っ張って明かりを付ける仕組みになっていて、おばあちゃん家の天井照明を思い出して、懐かしい気分になりました。
「えん」という名前には、「縁と繋ぐ」という意味があります。水府提灯の伝統と私たち水戸の人びとを繋いでいる、鈴木茂兵衛商店にぴったりな名前だなあと思います。
鈴木隆太郎さん:
「お盆にご先祖様が帰ってくるとき、風鈴の音で呼び込むことができると思うんです。風が吹いて音が鳴ったら、ご先祖様の御霊が帰ってくるかもしれない。もしくは『帰ってきたよ』というご先祖様の合図かもしれない。風鈴提灯を通して、いろいろな想像ができます」
「進化するシーラカンス」と呼ぼうじゃないか
鈴木隆太郎さん:
「提灯屋は、国の調査では職業分類で昔から今も変わらず『その他』に分類されています。シーラカンスみたいなものなんです。だったら我々を『進化するシーラカンス』と呼ぼうじゃないか、と。生きていくためには、生きる場所は深海かもしれないです。産業としては分類できないところにあったとしても、生き続けるために進化しなければと思います」
鈴木茂兵衛商店、そして隆太郎さんのチャレンジ精神、そしてハングリーさを垣間見た気がします。
提灯で、どうやってお客さんに寄り添うか
続いてお話をうかがったのは、8代目の鈴木紘太さんです。インタビュー冒頭、紘太さんは「社長と言っていること違うかも…」と笑いながら話していましたが、ユーモア溢れる話しぶりと、先を見据えて会社を見る姿は隆太郎さんそっくりだなあ、と僭越ながら感じました。提灯には2面性がある、と紘太さんは言います。
鈴木紘太さん:
「昼間明るい場所で見てもすごく美しいですし、夜になったらさらに存在感が増します。鈴木茂兵衛商店の、伝統と新しいものを作るという2つのマインド。この2つの2面性が上手くリンクして色んな人に届けられれば」
しかし、鈴木茂兵衛商店でも、昨今の新型コロナウイルスの影響は大きく受けています。
鈴木紘太さん:
「コロナ禍でお祭りは中止、居酒屋にも行くなという状況です。そしてそのどちらにも提灯があります。コロナのせいで提灯に触れる機会が減ってしまったけれども、上手く打開できればと模索しています。例えば、マスクは今必要なもので、人びとに寄り添えると思います。でも、提灯でどうやってお客さまに寄り添うのか。コロナをきっかけにものすごく考えるようになりました。お祭りがなくなって町を照らせないもどかしさもありますし、我々の使命を取られたような気分です」
と苦悩を語ってくれました。
風鈴提灯「えん」にも、お客さんに寄り添いたい、という願いが込められています。
鈴木紘太さん:
「反響としては大きいものではなかったけれども『風鈴の音に癒やされた』と言ってくれたお客さまがいました。買ってくださった方からの大きなアンサーな気がします。その人の生活に寄り添えるのが、我々にとって一番いいことなのではないかと思います」
水戸に提灯を根付かせたい
コロナ禍で始めた新たな試みのひとつが、小学校での提灯ワークショップです。昨年、とある県外の小学校から提灯を題材に授業をしてくれないかという依頼があったそう。オンラインでのディスカッションや絵付けワークショップを行いました。そして、その小学校の地元商店街で、提灯が飾ってあるお店を対象にしたスタンプラリーを開催しました。
鈴木紘太さん:
「『提灯の役目はこれだ!』そう思いました。提灯を根付かせたいという思いが強くあります。学校にワークショップなど出向くことで、水戸の中学生って学校で提灯作ったよねという『水戸といえば提灯』を根付かせていきたいですね」
水戸の街に育ててもらった水府提灯
水戸で生まれ青春時代を過ごした紘太さんにとって、「水戸」という街は、映画館や若者向けのファッションビルのあり人に溢れるにぎやかな場所だったのだそう。
ただ、人口減少や商業施設の郊外移転などによる地方都市の中心市街地の衰退は水戸も例外ではありませんでした。紘太さんは、水戸の街が変わってしまう寂しさを感じていたそうです。
鈴木紘太さん:
「提灯で水戸を明るくできれば、という思いがあります。水戸の町に育ててもらった水府提灯、その力を水戸の町に還元できれば」
今年7月16日にグランドオープンする、無印良品ヨークタウン水戸店には、すずも提灯「ICHI-GO」がシャンデリアの形で店内天井に装飾されます。その名の通り、いちごに見立てたコロンとした可愛らしいフォルムの提灯76個が、店内入り口のすぐに配置される予定。
鈴木紘太さん:
「水戸といえば、と言われるようなシンボルになればと思います。提灯を見て、『これね!』と言って入店してもらえれば嬉しいですね」
提灯の美しい・新しい・楽しいを日本から
常に新たなチャレンジを続け、水戸の提灯文化を支え続けている鈴木茂兵衛商店。鈴木茂兵衛商店には「柔軟性」のマインドがある、と紘太さんは話します。
鈴木紘太さん:
「今回のシャンデリア型も含めて、お客さまの要望を形にできるのは日本中を探してもうちくらいなのではないかと思います。コロナなど、ライフスタイルに合わせてうちも変化していければ。そして、作りの美しさ・見た目の新しさ・触れてみたときの楽しさ、こういったものも伝えていきたいですね」
7代目の隆太郎さんもこう話します。
鈴木隆太郎さん:
「若い世代にバトンタッチしつつ、新しいことにも挑戦しています。どんな形であれ、時代に合わせて変化をしなければならないと思います。今はその過程なのか。シーラカンスのままでいるのか、クジラになった方がいいのか・・・」
インタビューを通して鈴木茂兵衛商店に脈々と流れる、伝統を守りながら新たな挑戦を続けようという意気込みを実感しました。この先、鈴木茂兵衛商店はシーラカンスからどのような進化を遂げるのか、私も楽しみで仕方がありません。
文:髙橋葵
写真:鈴木茂兵衛商店・高木真矢子
リンク:
鈴木茂兵衛商店